墓所
小さな尾根を回り、小高い丘を登ると、そこだけ草が生えていない四角い地面があった。どの辺も、シエロとシドが並んで両腕を広げたくらいの長さだ。中心に若木が立っていた。枝に、飾り紐が渡されている。
注意をして丘の木をみると、不自然に整列していた。
「墓標として若木を植えるのが、カヌトゥの風習なんだね」
土に戻り、地に根を張り、次の生を生きる。それが、地の声を聞く人々の最期なのか。
風に合わせ、澄んだ音がした。
枝に渡された紐の端で、小さな金輪が鈴のように鳴っている。シエロは、そっと金輪に触れた。
魔除けの呪いだろうか。それとも、誰かの身を飾っていたものだろうか。風雨に晒され、金輪の縁に錆が浮いていた。
「どれくらいの人が、生き残れたのかな」
それは、どのくらいの人数で、この大きな墓を作ったのかという疑問に繋がっていた。仲間の骸を運び、穴を掘り、埋める。どんなに辛い作業だっただろう。
そっと、シエロは竪琴を取り出した。
弔いの場で奏でる曲が、すぐには思いつかない。
技芸団では、陽気な出し物が多かった。最大の悲しみが失恋という世界だ。
幾度か指慣らしを繰り返す。
ふと、耳の奥に悲しい旋律が蘇った。
稽古で宙返りに失敗した父が死んだとき。母が、細く歌っていた。一度だけ。たった一度だけ聞いた歌だ。それが、今そこで歌っているかのように聞こえてくる。
シエロは、目を閉じた。さらに記憶を掘り起こす。思い出の彼方から聞こえてくる旋律に気持ちをのせ、弦を弾いた。心の赴くままに奏でる。
ゆったりと、静かに、胸を締め付ける音色。だが、奥底に、死者の魂を労い、安らかな永久の眠りを願う優しさが流れる。
曲が終わり、シエロは目を開けた。
カサリと、音がした。
幾分離れた植生の境で、草が割れていた。枯れた蔓草を掻き分け、少女が立っていた。辺りへ視線を彷徨わせ、怯えながら唇を振るわせた。
生存者がいた。
嬉しさに、シエロは少女へ歩み寄った。
足が草を踏んだ。
少女がビクリと身を竦ませた。
「……じゃないの?」
掠れた声だった。聞き返すシエロに、少女は踵を返した。
「誰かを待っていたみたいだね。だけど、違った、と」
「目が、見えていないのかもしれない」
シドとレミが低く言葉を交わす。
シエロは、口元へ手を当てた。少女の口の動きを、再現する。
「ノクターン?」
確かに、彼女はそう言った。
山賊に追われ、川に落ちたシエロを救ってくれた、不思議な集落の住民。
ハッとして、少女を追った。
「待って。ノクターンを知ってるの?」
ファラの制止を聞かず、蔓草と下生えが密に茂る中へ駆け込む。しかし、両側から絡み合う草で、すぐに後ろ姿を見失った。吹きつける風が、周囲の草を一斉に揺らした。大きな波に行く手を阻まれる恐怖に襲われた。
拒まれている。
それがカヌトゥの力だとは思わないが、彼らの気持ちだと感じられた。
悄然と、シエロは来た方へ戻った。ほんの十数歩踏み込んだだけのはずだが、背の高い草は、帰り道を塞いでいた。搔きわける指先が、草の葉で切れた。
ようやく墓所に戻り、細かい埃に咳き込んだ。水で喉のざらつきを流すが、不快感がしばらく続きそうだ。
「怖い目に遭った後なんだから、追えば逃げるよ」
戻ってきたシエロのもつれた黒髪を解きながら、レミが呆れた。
「それにしても、どうしちゃったの。ノクターンって?」
「僕を、助けてくれた人なんだ」
うな垂れ、シエロは懐の珠を出した。シドとレミを救ってくれた珠は、掌に溜まった木漏れ日の中で、淡く光を放つ。
「彼は、まだ幼い子に笛を教えていた。とても優しくて、面倒見がよくて。僕のことも、詳しく問い詰めたりせず、ただ、見守ってくれた。だから、ここで、あの人に何か奏でて聞かせたのかもしれない」
「それで、シエロの竪琴を聞いて、出てきた、てことか」
この墓も、とシドは若木に触れた。
シエロも頷く。
ノクターンたちは、シエロより先に集落を訪れた。犠牲者を埋葬し、弔ったのだろう。生存者とも、会っている。
じゃあ、とレミが黄緑色の目をすがめた。
「その人たちも、竜を探しているってこと?」
「分からない」
シエロが彼らと過ごした時間は、短かった。シエロが思う時間でも数日間、ファラに聞いたところでは半日ばかり。その不思議な時間に、竜の話は一度もしなかった。シエロも、探し物をしているとだけ伝え、それが竜だとは言っていない。
ただ、彼らはムジカーノの名に鋭く反応した。即座に操竜の乙女と結びつけ、王のムジカーノ狩も知っていた。
時間の流れが異なり、跡形もなく消えた、不思議な集落の住民。
彼らも竜を求めているのか。
それとも、カヌトゥと何らかの関係を持っているのか。
「分からないことだらけ」
はっきりしたのは、地の声について聞く機会は、金輪際訪れそうにないということだ。
この先、どうしたらいいのか。自分たちで考えなければならない。建国祭まで、残された日数はふた月だ。
シドが、フラットの研究書を呼び出して、地図を開いた。
「カヌトゥが駄目だとしたら、このバツ印を片端から当たるしかないな」
印は、ビューゼント王国の至るところに点在していた。ふた月では回りきれない数だ。それでも、新たに有力な手がかりが見つかるまで、地道に回っていくしかなさそうだ。
比較的近いところに、四つの印が集まっている。そこへ行くには、一度街道へ出なければならない。
レミは荷物を担ぎ直した。
「じゃあ、とっとと行こう。ファラ、案内して」
命令口調に、ファラは半眼で彼女を見据えた。返事をせず、くるりと、シエロを振り返る。
ムッとするレミを苦笑いでなだめ、シエロも荷物を持ち直した。
「ファラ、次の場所まで、案内を頼んでいい?」
「かしこまりました」
めんどくさいなぁと、レミのぼやきに背中を押され、シエロはファラの後を歩いた。
分からないことだらけだ。
それでも、進むしかなかった。
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