カヌトゥの郷

 確かに、集落の近くまで来ていた。多少道を逸れていたが、たいした回り道でもなかった。

 それでも、一切の気配が感じられなかった理由。

「ひどいな」

 シドが眉間へ皺を刻んだ。

 集落は、何者かに襲われた後だった。丸太と草で作られた家屋は、どれも扉が壊されていた。引き倒されたものもあった。靴や鎌、ナイフが辺りに散らばっている。

「先回りされた、ってこと?」

 降竜碑で襲い掛かった傀儡は、前日に出会った人の姿をしていた。彼本人の姿だったのか、それとも、どこかで見張られていて、接触のあった人の姿を模したのか。どちらにしても、獣人のレミが察知できない方法で、シエロを追尾していた証拠だった。

 フラットとシャープの庵での会話も、どこかで聞かれていたのかもしれない。すぐそこに、いるのかもしれない。

 襲われた時の恐怖が蘇った。溢れる殺意。冷たい狂気に満ちた目。

 震える腕を、シドに掴まれた。

「そうじゃない。落ち着いて、見てみな」

 なぎ倒された家屋の屋根の隙間から、青葉が伸びている。地面に落ちた靴に、土埃が積もっている。見上げたシエロに、シドは頷いた。

「昨日今日のことじゃないだろ? 少なくとも、ひと月は経っている」

 シャープが訪れたのが、秋だと言っていた。

 だとすれば、冬の間の出来事だったのか。わずかながら、シエロは落ち着きを取り戻した。

 柱に刻まれた傷や、落ちている布端、何かの欠片を用心深く観察し、レミが鼻の上に皺を寄せる。

「王の、でもないな。かなり質はいいけど、この色はディショナールの紋章に使われていない。かといって、スティン国でも、オーケスティンでもないな」

「王以外に、竜を探している人がいるってこと? しかも、手勢を持って、カヌトゥや地の声について、知っている人が」

 居るのだろうか。ちらりと、シエロの心に疑いが刺し込まれた。

「もしかして、フラットたちが」

「彼らに、カヌトゥを滅ぼす理由はありません」

 断言したのは、ファラだった。足元へ落ちた透き通った破片をつまみ上げ、光に透かしながら続ける。

「それに、カヌトゥや地の声と竜について、フラットはあの本に記しています。彼が王立大学の教鞭をとっていた際に、学生たちへ話をした可能性は高いです」

「それ、どれくらい前の話?」

 レミの問いに、ファラはしばらく首を傾げて考えた。

「三十七年前から、十数年間でしょうか」

「そのころ学生ってことは、王のほかは、今、城仕えしている高官や地方の城主の年齢か」

 城主なら、たいてい自前の兵を持っている。カヌトゥ襲撃の容疑者は、膨大な数に上る。

 冷静な仲間に囲まれ、シエロも周囲を観察する余裕が持てた。

「誰も、居ないの?」

 疎林の中にちらばる廃屋をひとつひとつ覗き込むが、生存者の形跡はなかった。皆、殺されてしまったのだろうか。

 ふと、レミが首をかしげた。

「死骸がない。生き残った人がいて、どこかに運んだかな」

 どの廃屋にも争った跡がある。柱が斬られていたり、食器が散らばっていたりする。だが、骸はない。獣が食らった跡だとしても、骨が残るはずだが、集落を見つけて数刻の間に、一体の白骨も見なかった。

 絶望しかけていたシエロの胸に、一縷の望みが点った。

「じゃあ、どこかに身を潜めているかもしれないね。近くの集落に逃れたとか」

 この際、地の声について話を聞くのは二の次だ。カヌトゥに生存者がいてくれさえすれば、安心できる。

 だが、集落の端からさらに小川に沿って疎林の奥へ入った時、シドが足を止めた。

「新しい結界がある。これは」

 一度シエロを見て、シドは目を伏せた。

「弔いの、界だな」

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