竜の研究家

 振り返ると、中年の男性がにこやかに立っていた。よく陽に焼けた肌に、薄茶色の短い髪が映えていた。

「夏至に、何かあるのですか」

 シエロが問うと、男性は降竜碑の西に聳える岩壁を示した。

「夏至の朝陽を浴びると、東の山と降竜碑の影が岩壁で合わさり、飛び立つ竜の影を作るのです」

 首を回し、平たい山頂の東を見れば、参拝を終えた人々の一部は、東に伸びた岩棚へ向かっている。

 何があるのだろう。

 興味深い視線に気がついたのか。男性は、シエロを誘った。

「あそこからの景色は見ものですよ。お時間があったら、ぜひ、一緒に見ませんか」

 シャープと名乗った男性は、竜の研究をしていると言った。ビューゼント王国ばかりでなく、他の国へも足を伸ばし、各地に伝わる竜にまつわる伝承を集め、研究してるのだそうだ。

「それで」

 シエロは、さり気なさを装って尋ねた。本当は、心臓が激しく胸を打ち、痛いほどだった。

「竜は、実際に存在するのですか」

「存在する、という前提で、私は研究をしていますが、どうなのでしょうね」

 時折吹きつける風に髪を押さえながら、シエロは彼に指差された方を見た。

 ビューゼント王国の北方に連なる竜骨山脈が一望できた。

「わあ」

 獣の歯のように、鋭く尖った山々が連なる。どの山も肌が黒い。手前は暗く、遠く離れた山は青い霞がかかっている。黒の濃淡で描かれた景色が美しい。目をこらせば、麓にいくらか木々の影がある。だが、大半が、生命を寄せ付けない厳しさを醸し出していた。

 シャープは、連なる山脈を腕で示して、目を輝かせた。

「ずっと連なる山々は、死の山脈とも呼ばれています。非常に険しい山です。北が、大国のオーケスティン。そして、ここから西に、あちらにぐぅーっと伸びているのが竜骨山脈」

 降竜碑を発端に、山並みは、やや北へ張り出すよう弧を描く。その西の先から、かすかに噴煙が立ち昇っていた。

「始祖王と共に戦った竜が、国を抱くように眠ったのが、竜骨山脈となった、という伝説はご存知ですか?」

 頷いたのは、ファラとレミだった。シエロとシドは、目を見張った。

「これ全部、竜?」

「でか!」

 シドの驚愕に、シャープは深く頷いた。

「でしょ? これだけ大きな生物が存在するのは、ちょっと難しい話ですね」

「食料だけでも、どんだけ食うんだ。あれか。体内で核連鎖反応を起こせば。いや、それにしても、排出される二酸化炭素も大量だし」

 拳を口元へ当て、シドは、ぶつぶつとシエロには分からない言葉を並べる。シャープは、そんなシドを、目を細めて眺めていた。

「そう。だから、実際に山になる竜が存在していたとは考えにくいです。けれど、伝説の中には小さな真実が紛れていることがあります」

 クリステの宝剣のように。

 シエロが頷くと、シャープは照れたように頬を染めた。

「もっともこれは、私の師匠の受け売りですけどね。でも、人の力をはるかに凌駕する存在がいたと考えるのが、楽しいのです」

 シャープは、断崖から吹き上がる風に薄茶色の髪を揺らし、満足そうに山々を見上げた。

 彼に、もっと竜の話を聞きたかった。シエロの旅も、伝説の中から、手掛かりをつかまなければならない。竜を探すためには、竜の痕跡を辿らなければならない。

 が、気が付けば、尖塔の影が、東に広がる谷間へと傾きかけていた。あまりゆっくりもしていられない。

「ここのほかにも、竜にまつわる場所で、お勧めのところがあれば教えてもらえますか」

 自分の研究分野に興味を示されたと感じたのだろう。シャープは嬉しそうに、顔を皺だらけにした。真っ直ぐ西を指差した。鋭く並ぶ山々の先。

「西の果ての火山が、死の山脈を越えた始祖王と、竜が出会った場所。ビューゼント王国始まりの地だと言われています」

「モル兄も、そんなことを言ってたな」

 ポソリとレミが呟いた。

 示された先へ目をすがめた。

 遠い。王都のほんの一部しか知らなかった自分が目指すべき場所が、竜骨山脈の中でも、西の端。

「間に合うのかな」

 知らず、声に出して呟いていた。

 シャープに聞き返された。

「夏の」

 無意識に答えそうになり、シエロは口をつぐんだ。風で口が渇いたふりをして、唾を飲み込む。

「夏の間、西のほうで過ごしたいなぁって思ったんだけど、この調子じゃ、来年の夏になりそうです」

 ぎこちなく笑って答えた。

 疑われずに済んだようだ。シャープは大きく頷いた。

「ゆっくりと楽しみながら行かれるといいですよ。西の、王弟の荘園も美しいですし。なに、土地は、逃げませんよ」

 礼を言い、シエロはシャープと別れた。研究家は、引き続き降竜碑について調べると言い残し、尖塔へと歩いていった。

 重くなった心を抱え、シエロはみなと下山口へ進んだ。

 土地は逃げない。来年も、その次の年も、そこにある。

 しかし、シエロの命運は。

 数ヵ月後の建国祭で、消される可能性が高かった。

「じゃあ、街道に出たら西へ向かおう」

 シドとレミが、ファラに道筋について助言を求めた。

 沈みがちな気持を気取られまいと、シエロは懸命に顔を上げた。

 下山の人の列に、見覚えのある顔があった。あれ、と思う間に、相手もシエロに気が付いた。

「昨日の」

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