竜の存在

降竜碑

 勢いをつけるように大きく揺れ、間を置いて再び揺れる。その繰り返しが、連続した小さな揺れに変わった。

「あ、あれかぁ」

 のんびりとしたシドの声が、彼の背中からシエロの頬へ響いた。ハッとして、枕にしていたフードから顔を離した。首を伸ばし、シドの肩から顔を出す。

 広々とした平地が広がっていた。山を登っていたはずなのに、と、振り返る。背後に長い下り坂が続いていた。確かにここが山の上だ。もう一度、前方をみやった。

 灰色の平地は、中央がややくぼんでいた。周囲を囲む山々が天を刺さんばかりに尖っているのに、この山だけ、切り取られたように平らだ。竜が降りた際に山頂を削ったのだと言われても、納得できる。

 平地の先は、断崖となって深い谷へ張り出していた。張り出した断崖の上に、岩の尖塔がたっている。正面から陽を浴びて、反射光が眩しい。参拝する人の列は、平地の真ん中を横切り、尖塔へ続く。

「碑、というから誰かが建てたのかと思ったら、岩なんだね」

 レミが、額に手を翳して尖塔を確認した。

 彼女に倣って、目を凝らす。

 それは、間隔を空けて立つ二本の巨大な岩の柱が、先端だけで絶妙な均衡を保って寄り添い、長細い三角形を作っているものだった。足元には三角形の隙間があり、参拝者の列は隙間を目指している。

 どのような偶然が、その奇妙な造形となったのか。興奮でドキドキと脈打つ心臓が、眠りかけていた体へ血を巡らせた。

「シド、ありがとう。発作もおさまったし、歩くよ」

 いつまでも背負われているのも、恥ずかしい。はいよ、と景気良く返事をして、シドがしゃがんだ。

 地面へ降り立ち、もう一度前方を窺おうとして、先程と異なる景色に首を傾げた。人の後頭部しか見えない。シドを見上げた。

 肩を回していたシドが、目を逸らせた。やはり、軽いとは言え、成人間近のシエロを長時間背負って山を登るのは重労働だっただろう。と考えながら、シエロは彼を見上げる首の角度を意識した。

 さっき見たのは、頭一つ分背が高いシドが、いつも見ている景色なのか。目の前を塞ぐ人々の後頭部を見つめ、シエロは嘆息した。

 シエロの憂鬱を、具合の悪さと思ったのか。ファラが、首を傾げた。

「まだ、休んでおられた方が良いのではないでしょうか」

「ううん。大丈夫」

 笑顔を作り、ファラが持ってくれた荷物を受け取った。降竜碑に供える花束へ、鼻を近づける。

 しっかりお願いしよう。健康になれるように。ついでに、身長が伸びるように。

 人々の列は、粛々と進んだ。

 祈りを捧げる最前列が見え始めた。

 二本の岩の柱が作る隙間には、さらに自然の不思議を感じさせるものがあった。

 尖塔の中ほどで、地面の色が変わっていた。手前は、これまで歩いていた道同様、灰色だが、ある一線から赤くなっている。そこから先に立ち入ってはならないと、線引きされている。

 人々は、自然が引いた境界線から、断崖へと供物を投げ込む。いくつかの供物が、崖の下に落ちきらず、地面に残った。その場合、祈りは聞き届けられないそうだ。

「それなら、花束より、鳥の丸焼きのほうが投げやすかったな」

 シドが呟いた。冷たいファラの半眼に、慌てて明後日の方へ顔を向け、口笛を吹いて誤魔化そうとした。

「届けるのが難しいから、花束のほうが意味がある、て思えば」

 曖昧に笑い、シエロは自分の花束を握り締めた。

 余程不安な顔をしていたのだろうか。レミが首を傾げた。

「代わりに投げようか?」

「自信ないけど。自分で投げたほうがいいんだよね」

 そうこう言っている間に、直前で祈っていた老夫婦が顔を上げた。お先でした、と場所を開けてくれる。

 シエロは、震える足で、出来るだけ境界線に近付いた。四人で揃って、せーの、と花束を投げる。

「あ」

 届かない。

 シエロが投げた花束だけが、距離が足りず、先の地面へひっかかる。

 刹那、後ろから風が吹きつけた。

 風を受けた花束が、揺らぐ。転がる。

「は、入った!」

 順番を待っている人の間からも、どよめきが起きた。祝福を述べる声もあった。

 肩を突かれ、シエロは我に返った。

「ほら、願い事」

 レミに促され、慌てて頭を下げた。花束が転がり、崖から落ちていく残像が瞼の裏に焼きつき、心臓がドクドクと音を立て続けていた。

 両脇で、シドとレミ、ファラが下がる気配がした。

 シエロも、ぼうっと頭を上げた。夢見心地で、三人の後に続く。そして、はたと立ち止まった。

「願い事、忘れてた」

 え、と振り返った三人の顔に、顔から火が出る思いだった。

「花束が届いたのが奇跡的で、印象的で、それで。あぁ」

 頭を抱え、座りこんだ。

 なんてことだ。ここまでシドに迷惑をかけながら。一行の中で、最も無病息災を祈らなければならない自分が、願い事を忘れるなんて。

 ぶは、と頭上でシドがふき出した。

「大丈夫、大丈夫」

 ぽんぽんと、頭を撫でるように叩かれた。

「俺がしっかり、シエロが健康になれるよう、祈っといたから」

「そんな。シドの願い事は?」

 その他の願いでも、良かったはずだ。異世界から間違って召還されたのだから、戻れるようにとか、願いはなかったのだろうか。

 一瞬、シドの目が、ここではないどこかを見た気がした。やはり、何かあったのではないだろうか。だが、シドは屈託なく歯を見せた。

「シエロの健康が、俺の願い」

 胸が熱くなり、シエロは感無量で頷いた。

 が、彼の肩を見た途端に、背負われていた時の揺れを思い出した。

 シドは、単純にシエロのことを思ってくれている。シエロにも分かっていた。だが、心の底で、どうしても俯いてしまう。

 シエロが健康になれば、シドは、余分な労力を使わなくてよくなる。

 暗い気持ちを隠すように、無理に笑った。

「あ、ありがとう」

 どうにか、誤魔化せただろうか。

 自信がないまま、シエロは降竜碑を振り返った。

「初めて訪れましたが、不思議な造形です」

 溜息をつくように、ファラが呟いた。

「ファラも、初めてなんだ」

「はい。あまり、このようなところへ来る機会がありませんでしたから」

 世界を見聞する鳥人でも、知らない場所がある。世界の広さを思い、シエロはしみじみと溜息をついた。

 そこへ、後ろから声をかけられた。

「初めてなら、今度はぜひ、夏至に訪れてください」

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