刃先のない槍

 開店直後の『隻眼の鷲』に、シエロたち以外の客はいなかった。

 出来上がった皮の鞘は、クリステの剣を優しく、しかし、頼もしく包む出来栄えだった。

「さすが」

 レミの賞賛に、店主は眼帯をしていない目を細めた。

「革鎧も、大丈夫そうだな」

 新しい革鎧に身を包んだレミを眺め、満足そうに頷く。

 シドが、カウンターの横手からシエロを手招いた。

「ちょっと、これ、持ってみな」

 渡されたのは、短槍の柄だった。刃がないので、重くない。磨かれた表面は滑らかだが、所々に滑り止めの刻みが彫られていた。言われるまま縦に持つ。石突を地面へ置くと、上端はシエロの肩の長さだった。

 興味を引かれたのか、店主が首を伸ばした。

「刃先なら」

 案内しようとする店主に、シドは首を振った。

「柄だけがいい。山を登るときにも使えるし、杖術の棒に近い」

「シドが、今朝やってた?」

 片手を伸ばす、手首を返す。それだけなのに、杖先はシドの手先で大きく伸び、弧を描き、激しく動いていた。

「相手の不意をついて隙を作って逃げる手段を、持っていて損はないだろう」

 自分用の武具。身が引き締まる思いがした。

 同時に、嬉しくもあった。シドが、気に掛けてくれていた。

 新たな出費の許可をファラへ問うと、店主が割って入った。

「俺から贈らせてもらうよ」

「そんな。いくらレミが常連だからって、悪いですよ」

 顔の前で両手を振った。だが、店主は柔らかな布で槍の柄を拭くと、シエロへ差し出した。

「客から聞いた。赤門前に張られたおかしな呪を、解いてくれたそうだな。その礼だ」

 眼帯の下で、短い髭に囲まれた口が歪んだ。

 遠方から来る客も、世界各地から集まる品々を安心してじっくり物色できる場所。それが、バザールでなければならない。

 店主の好意を押し抱き、店を後にした。程よく樹脂が馴染んだ柄の表面は、手に吸い付くようだ。

 客が増えてきた。

 降竜碑へ捧げる供物として、レミとシドは丸焼きの鳥を買いたがったが、ファラに却下された。うな垂れる二人を尻目に、ファラは花を買った。

 素朴だが可憐な花束に、描かれた色とりどりの花を思い出した。

 花の間から、花屋の隣の敷地を透かし見た。

 絵が並んでいた天幕は畳まれ、ガランとした空き地に、小さな立て札がある。新しい店主を募集する張り紙が出されていた。

 青い髪の若い女性が、同じくらいの年の黒髪の男性と、頭をつき合わせて読んでいた。張り紙の一部を指で示し、互いに顔を見合わせ、首を傾げたり頷きあったりする姿は、後ろから見ていても仲睦まじさにあふれていた。だが、恋人同士の甘やかさはない。

 彼女たちがここに店を出したら、どのような商品が店頭に並ぶのだろう。

 天下のバザールへ出店したい者は、いくらでもいる。シドが昨日言ったとおり、彼らの後から来た若者も、張り紙へ目を留め、品定めするように周囲を見回した。

 カンバスと絵の具を持って、あの娘はどこへ行ったのだろうか。

 片腕に抱えた花束から、柔らかな香りが立ち上った。俯くと、花弁が鼻先を撫でた。

 商売繁盛と無病息災のご利益がある降竜碑に、彼女のことを願おう。彼女が、新天地で花開けるように。

 重くなった荷物と、増えた仲間と共に。踏み出したシエロの足取りは、軽かった。

 しかし。

 坂道を登る。

 いつも歩いているのと同じ、土と石と所々岩で構成されている地面に傾斜がついただけなのに、どうしてこんなに違うのだろう。槍の柄を杖として使ったが、慣れないため、逆に疲れた。

 降竜碑までの道のりを半分も行かないうちに、シエロの気管は悲鳴を上げた。胸の辺りがゴロゴロと嫌な音をたて、息が苦しくなり、ついにはシドに負ぶわれることとなった。

「ごめんね、シド」

 ファラが飲ませてくれた薬が、ようやく効いてきた。呼吸が落ち着いたが、シドの広い背中で揺られていると、気持ちが落ち着かない。一行を追い抜いていく老若男女の哀れみの視線が、チクチク刺さった。

 身を縮めると、体が下がる。シドに揺すり上げられた。

「気にすんな。喘息って、しんどいんだろ? 下手すりゃ、命に関わるし」

「降竜碑は、無病息災も願う場所なんだから、具合が悪い人が輿で上ることもあるって聞くよ」

 シドの荷物を自分のとまとめて軽々背負うレミも、慰めてくれる。

 シエロとあまり変わらない体型のファラも、食料や薬を入れた袋を背負い、汗ひとつ浮かべず足を進めていた。

「お疲れも出たのでしょう。参拝が済んだら、すぐに宿の手配をします」

 ふう、と息をつき、シエロは半眼で山を見上げた。

 竜骨山脈を構成する周囲の険しい山に比べれば、降竜碑のある山はなだらかだ。高さも、低い。

 それなのに。自分の足で登れない。

 シエロよりずっと幼い子が、細い足を動かしている。腰が曲がった老人が追い越していく。参道の門が開くのは日が昇ってからだそうだが、すでに参拝を終えて下ってくる人ともたくさんすれ違った。

 山肌は、人々が通る道以外は、萌黄色の新芽に覆われていた。若葉が、柔らかな風に靡いている。

 シドの身体の前で、柄だけの槍を握った。

 竜を探すと言っているが、このような脆弱な体で、旅そのものを続けられるのだろうか。

 降竜碑に着いたら。

 まずは、やっぱり、自身の健康をお願いしなければならない。

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