朝の鍛錬

 翌朝、窓を開けたシエロは、中庭から聞こえる音に身を乗り出した。

 空気は、まだ肌寒さを含んでいた。朝靄が残る中で、木を打ち合う乾いた音が響いた。

 レミが、朝の鍛錬をしている。驚いたのは、その相手がシドだったことだ。

 昨夜、揉め事を起こして、その決着をつけようとしているのではないか。不安になり、階段を駆け下りた。

 レミが木刀を上段に構えた。対するシドは、足を肩幅に開き、半身に構える。棒状のものを手にしているが、シエロに背を向けているので、腰のあたりから細く覗く先端しか見えない。

 木刀が振り下ろされる。同時に、シドの手の先から棒が伸びた。宙で打ち合う。

 シドは手首を回し、棒の上から力をかけた。それだけで、木刀は力をそがれて刃先を落とす。

 逆に、レミは圧された力を使った。柄を中心に弧を描くように木刀を回し、後方から振り上げた。勢いをそのままに、振り下ろす。

 シドもまた、手元でクルリと棒を回すとレミの木刀を受けた。

「シド。レミ」

 呼び声に手を止めた二人は、シエロの不安に反し、爽やかに朝の挨拶をした。もう随分身体を動かした後とみえ、薄く立ち上る湯気が、朝陽を浴びて金色の粒子となり、二人を縁取っていた。

「思ったより、使えるよ」

 レミが、木刀の先でシドを示した。

「ま、付け焼刃というか。齧っただけのわりに、役に立つな」

 持っていた棒を片手で器用に回し、シドが口笛を吹いた。驚いたことに、それは、カーポの杖だった。

「いいの? そんな使い方して」

 あんぐりと口を開けるシエロに、シドは屈託なく笑った。

「師匠に頼んで、術で強度をあげてもらった。めっちゃ呆れられたけど。魔術師だろうと、護身術くらい使えてもいいだろ」

「そういう、もの?」

「下手な魔術使って暴走されるより、確実かもしれないよ」

 悪戯っぽく、レミが口の端を上げた。

 ややムッとしたシドだったが、的を射られた気分もあったのか。頭を掻くと、肩をすくめた。

「基礎から精度を上げていかないとな。下級魔導師らしく、辻で探し物や占いをすりゃ、多少稼げるし」

 そういえば、と、シドは懐を探った。取り出したのは、一見何の変哲もない、一本の紐だった。

「昨日、俺の詠唱に影響されて、意識が曖昧になった、て愚痴ってたよな」

 絵描きの店の前に張られた、絵を買わなければ永遠に道の先へ進めなくなる術を解いたときだ。そんなことがあったのかと、シエロはレミを見上げた。

 レミも忘れていたらしく、しばらく視線を彷徨わせて、合点がいったように頷いた。

「獣人って感覚が鋭いから、普通の人が平気でも、なんか感じるのかもな。魔術書で調べて、護符的なものを作ってみた。身につけておけば、影響されなくなると思うんだけど」

 自信なさそうに差し出された紐に、レミもすぐには手を出さなかった。が、決意したように受け取る。

「身につける、か」

 手元や肩、腰など、身体を捻って紐をあてがう。が、ピンッと耳を立てると、長い灰褐色の髪を手でまとめあげた。紐を使い、高い位置で結ぶ。

「これなら、いいな。髪も邪魔にならない」

 嬉しそうに頭を左右に振り、尻尾のように髪を揺らす。後ろから見れば、頭と腰の二箇所に、フッサリと尾がついているようだ。

 戸惑ったのは、シドだった。

「え。そこに使うんなら、バザールに戻って綺麗な紐を買ってからにしたのに」

「いや。これだから、いいんだろ」

 キョトリと、レミは木刀を肩へ担いだ。

「この手のは、ある程度、魔術師の思い入れがあるほうが良かったんじゃなかったかな」

「まあ、そうだけど」

 不貞腐れて杖を袋へ仕舞うシドの頬が、心なしか赤く染まっていた。

 数回ひっかかりながら、杖が細長い袋へおさまる。シエロは、おや、と気が付いた。昨日は、袋の口を閉じる紐があった。レミに打ち上げられたシドがしばらく気を失い、シエロが代わりに仕舞ったので覚えている。

 今、袋の口は、だらりと開いたままになっていた。

 レミの、高い位置で揺れる尾を見上げた。

 くすんだ紫色の平組みの紐が、レミの動きに合わせて動く。

「さ。剣を受け取ったら降竜碑に上るんだろ。朝ごはん食べて、出かける準備をしよう。シエロ、髪、跳ねてるし」

 レミに指摘され、シエロは慌てて頭へ手をやった。いつも項で緩くまとめている黒髪が、寝癖であらぬ方向に跳ねている。地面に投影された影でも分かった。

 まったく、朝から不甲斐ない。

 元気良く跳ねる毛束を撫で、シエロは苦笑した。

「僕より、レミのほうが主人みたいだ。もっと、しっかりしなきゃ、だね」

 レミが振り返った。遅れて、灰褐色の髪が弧を描き、彼女の肩へ落ちる。

「今のまんまでも、シエロが私の雇い主なのに変わりはないよ」

 満面の笑顔で、犬歯が朝陽を反射させた。

 トクリと、シエロの胸が鳴った。

 今のままでも。

 それで満足するわけにはいかない。やはり、しっかりしなくてはならない。

 それでも、レミの言葉が嬉しかった。

 ひとつ頷き、シエロは二人の後を追った。

 中庭の片隅に立つ木が、萌黄色の若葉を風にそよがせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る