譲れない
王都からこれまでのことを話し終わると、室内は静寂に包まれた。宿のどこかで賑やかな酒盛りの声がしていたが、ひどく遠い。
最初に口を開いたのは、シドだった。
「師匠が、気にかけておられたわけだ」
長椅子の背もたれへ体重を預け、シドは、緊張を残しながらも笑った。
「これも、何かの縁なんだろ。本物の竜ってのに、お目にかかるのも悪くない。それに、シエロも俺の恩人だ」
魔術が暴走し、杖に体力を吸い取られるシドを、シエロは、ソゥラからもらった魔道具の珠で救った。
「だけど、貸し以上に、シドを危険な目に遭わせてしまうかもしれないよ」
「そのときは、そのときさ。俺がいた方が、便利だろ」
シドは、大きな肩をすくめた。
危険から逃げず、向き合い、立ち向かう。
マギク城の魔導師と対峙していた時にも感じた、シドの強さが眩しかった。シエロは目を伏せた。
シドの隣で、レミは顔を強張らせていた。引き結んだ唇の端が、小さく震えている。黄緑色の目は、シエロを睨み続けていた。
強い視線から逃げ出したくなる弱気を叱咤し、シエロは真っ直ぐレミの目を見た。
「トリルさんたちの迷惑になっても、僕は嫌なんだ。レミが居てくれると心強いし、前金として革鎧とか買ったけど、契約を解消されても、僕はレミを責めることなんかできない。黙っていた僕が悪いから」
ぴんと張られた竪琴の弦に触れながら、シエロは精一杯気丈に伝えた。言うべきことは言えた、と思う。
がばりと、レミが跳びかかってきた。
「ひ」
犬歯が近付く。熱い息が首筋にかかった。
「シエロぉ。あんた、そんな大変なことに巻き込まれてたんだね」
ぼろぼろと涙を流しながら、レミはシエロを抱きしめた。獣人の力は強い。酒に酔ったレミは、手加減をおろそかにして、シエロの肩を引き寄せる。
「こんな、まだ若いのに。世間知らずなのに、あの暴君に目をつけられちゃうなんて」
「れ、レミ。く、くるしぃ」
柔らかな胸で、息が詰まる。
ふっと、レミの身体が離れた。ファラが、彼女の肩を押しやっていた。
「用心棒が飲みすぎて、どうするんですか」
「ファラぁ。あんたも、健気ねぇ」
抱きつかれたファラが、わずかに目を丸くした。
「レミ、俺には?」
ぼそりと、シドが自分の顔を指差す。が、あっさりと無視された。
「父上や兄上も、話してたよ。ディショナール王は、近いうちに何かをしでかす危うさがあるって」
ディショナール・ジグ・ビューゼント。普段意識しない王の個人名を知っている辺り、さすがは城主の娘というべきか。
「ありがとう。二人とも」
胸のつかえが取れた。不安が全て払拭されたわけではない。だが、この先、心細くなる必要はない。
安堵した指は、自然と弦を弾いた。
穏やかな竪琴の音色に、レミの瞼がトロリと下がった。シドもまた、大きな欠伸をする。
長めの曲を弾き終える頃には、二人ともぐっすり眠ってしまった。それぞれに、緊張していたり、体力を使ったりしたのだ。休養して、明日からに備えてもらわなければならない。
シエロは、竪琴を置くと、食器を片付けた。共に片付けるファラが、小さく溜息をついた。
「食費が、今までの三倍以上はかかりそうですね」
「だね」
気持ちが良いほどの食べっぷりだった。クスリと笑うと、シエロは、長椅子で重なり合うように眠る二人を見下ろした。
あれほど触られるのを嫌がっていたレミの尾が、シドの腹を横切っている。彼女が先に目覚めたら、また大騒ぎになるだろう。
「本当に、良いのですね。目的を果たせなかった場合、彼らもただでは済まされませんよ」
静かなファラの問いに、シエロは頷いた。
操竜の乙女の末裔である母を掌中に入れるために、話し合いをしようともせず、技芸団の天幕を襲撃し、丸腰の団員を躊躇なく刃にかけた相手だ。さらに、旅立ったシエロとファラを、山賊を使って亡き者にしようとした。
もしかしたら、竜を探し出し、王の前に連れて行くことに成功したとしても、命の保障はない。ディショナール王とは、そのような暴君だ。
それでも。
シエロは、懐を握った。ソゥラの珠に触れる。
「三人に、手出しなんかさせない。もし、王が、みんなや、みんなの大切な人に危害を加えようとしたら、その時に、最後の珠を使わせてもらう」
じっと、息を詰めて見上げるファラの眼差しに、照れくさくなって鼻の下を擦った。
「結局、ソゥラ頼みなんだけどね。それに、一番は、珠を使わなくていいように事が進むことなんだけど」
魔術も使えない。戦う力もない。むしろ、厄介ごとに顔を突っ込んで、足手まといになってしまうだけの若造だ。
それでも、譲れない。守りたい。
「大事な仲間を、僕の目の前で傷つけることは、相手が誰であっても、許さないから」
だから。その時は、力を貸してください、ソゥラ。
そっと、心の中で呼びかけた。
シエロの想いは、この広い空の下のどこかにいるだろうソゥラに、届かないかもしれない。それでも、どこかで繋がっていると、信じていたかった。
汚れた皿や空の酒瓶を廊下へ出し、さて、とシエロは腰に手を当てて苦笑した。
「どうしようね」
隣り合った二つの部屋を借り、ここはそのうちの一室だ。
ファラは、付き人としてシエロと同室を主張した。だが、それなりの年齢のシドとレミを、同室にするわけにもいかない。
シエロとシド、レミとファラという部屋わりに決めたのだが。
「私達では、運べないですよ」
「宿の人に頼むのも、申し訳ないしなぁ」
「シエロ様が気に掛けるべきことではありません。危害に遭うとしたら、魔導師でしょうけど」
「だよねぇ」
他の客が寝静まった夜更けに騒ぎを起こさないことと、シドの無事を祈って、シエロは足音を忍ばせて隣室へ移動した。
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