鳥人ファラ
部屋に、夕食が運ばれてきた。
遠慮しないでと、宿の女将が置いていった大皿には、あの小鳥の丸焼きもあった。がつがつと頬張るシドとレミから、ファラはやはり顔を背ける。
名物料理だという、刻んだ根菜と肉団子のスープを匙で掬い、シエロは二人の食べっぷりを呆けたように眺めていた。食が細いシエロと、野菜しか食べないファラだけでは、食べ終わるのに三日はかかりそうな食事の山が、あっという間に減っていく。
「シエロは、まだ成人していないんだっけ」
酒の瓶を置き、茶のポットを差し出して、レミが首を傾げた。
「うん。秋に、成人予定」
喉をつかえさせたシドが咳き込む。
「え。てことは、えっと」
「十四」
「マジか。もう少し下かと」
今度は、咀嚼した根菜を飲み込み損ねたシエロが咳をした。心配するファラを宥め、茶を飲む。涙が滲むのは、咳が苦しかったからだと、自分に言い聞かせた。
「やっぱり、僕、頼りないから」
「そういうことじゃない。あ、でも、そうか、中二くらいって考えると、同じくらいというか」
慌てるシドは、レミに睨まれた。汚れた手を濡らした手拭で拭き、シドは酒で紅潮した頬を掻いた。
「まあ、そうだな。それくらいの年じゃなきゃ、こっちの世界だろうと、旅に出ないか」
「シエロの場合、ちゃんと保護者もついているけど」
レミは、満足したように空いた皿を重ねた。
保護者という言葉に、シドは首を傾げた。
レミが言う保護者とは、ファラのことだろう。見た目はシエロと同じくらいの年齢に見える。察したシエロは、曖昧に笑った。
「ファラは、鳥人なんだ。だから」
「孵化して、三百八十年くらいでしょうかね」
小首を傾げるファラに、シドは天井を仰いだ。
「ロリな見た目で、そんな年かあ」
「ろり?」
「いや、なんでもない」
ヒラヒラと手を振るシドを睨み、レミは曲げた指の関節を顎に当てた。
「あ、だから、うちの宝剣についても知っていたとか」
クリステ城に伝わる、水晶の刃に竜紅玉を飾った宝剣。ファラは、実物を見たことがあるばかりか、場合によっては、竜を倒したという勇者にも会ったことがあるのではないだろうか。
好奇心から、勇者について尋ねるシエロに、ファラは頷いた。
「ただ、事実は異なります」
山肌に張り付くように住む人々は、飢えていた。耕作に向いた土地は少なく、山の北斜面で日当たりが悪い。
だが、三百四十年前のある日、畑を開拓していた男が、偶然、竜紅玉の鉱脈を掘り当てた。数名で掘り進めて行くと、水晶も出てきた。
彼らはその水晶と竜紅玉で富を築き、初代城主となった。象徴として、宝剣を作らせ、山からの恵みが続くようにと、祭典を開くようになった。
「そのことが、勇者に屈服した竜が宝剣を差し出し、その血流が鉱脈になったと語り継がれているのです」
淡々としたファラの語りに、レミは腕を組んで唸った。
「勇者じゃなくて、ただ幸運だった若者、か」
「ま、それでも、クリステをあれだけ繁栄させる元をつくったんだから、勇者でもいいんじゃない?」
宥めるように言うシエロに、シドが苦笑した。
「伝説って、そんなもんだよな。尾ひれ背びれが付いて、話がでかくなって」
だとしたら。シエロは無意識に、竪琴を手にした。
「だとしたら、始祖王の話も、竜の話も、そうなのかな」
竜など存在していなくて。始祖王も、なんらかの業績が認められ、話が大きくなって。竜だの操竜の乙女だの、実際に存在しないものが生まれたのだろうか。
「それこそ、ファラは知らないの?」
「ビューゼント王国の始まりは、五百年ほど前です。私の代の出来事ではありません」
シエロは、竪琴を膝に抱えたまま、ファラを見やった。
「ファラの代じゃない、って?」
答えは、すぐには返ってこなかった。乏しい表情からファラの感情は読み取れなかったが、逡巡しているようだった。
ややあって、ファラは口を開いた。
「鳥人は、死ぬと卵になります。記憶も姿も手放し、新たな生命体となる準備に入ります。同時に、世界のどこかに眠っていたもうひとつの卵が孵化します」
「つまり、常にこの世界に存在する鳥人は、ひとり」
シドの呟きが、シエロの背筋を逆撫でした。ゾクリと身を震わせ、シエロは竪琴を抱え込んだ。
「なんで、その鳥人が、僕なんかと?」
獣人と同じく、鳥人も血筋のひとつで、世界のどこかには鳥人の村があるとさえ思っていた。
レミもシドも、ファラに注目している。
世界にたった一人しか存在しない鳥人を、ただの楽師が独占していていいのか。もしかしたら自分は、身分に合わない、とんでもない無礼を働いているのではないか。
シエロが生まれる前から、母の面倒も見てくれていたと聞いている。まだ健在だった父を助け、技芸団の仕事に忙しく携わっていた母に代わって、ファラは、シエロのオムツを替えてくれもした。
鳥人に、オムツ交換してもらうなど。
ファラは、静かに息を吐いた。黒目がちな目を伏せ、真っ直ぐな髪を払った。艶のある白髪が、さらりと揺れた。
「立ち寄った酒場で、意気投合したので」
「え」
三組の目が、丸く見開かれた。
「シエロ様から見て、お祖父さまに当たる方です。旅芸人であられましたが、体の弱い妹の話し相手になってくれと、頼まれました」
「それだけ?」
信じられない、と、レミが酒を煽った。それだけです、とファラも頷く。
「鳥人は、歴史の見聞者でもあります。嘘を言うことはできません。それに、何より」
ファラが、少し笑った気がした。
「私が、選んだのです」
「ムジカーノ家を?」
「病に伏せるお嬢様の側に居ることを、です。嫁いできたシエロ様のお祖母様がムジカーノ家だっただけです」
もしかしたらファラは、恋に似た感情を抱いたのか。はっきりとした性別を持たないファラだが、特定の誰かの傍に居たいと思ったのは、恋のような感情だったのだろうか。
ふんわりとした勝手な想像に、胸が熱くなった。
だが、強張ったレミの声に、シエロの血の気は下がった。
「ムジカーノ、て。操竜の乙女の」
しまった、と思った時は、遅かった。名乗らず隠していた身元を、明かしてしまった。
レミは、頭をやや低くして身構えていた。喉の奥で唸る。黄緑色の目は、獲物を見据える鋭い眼光を湛えていた。
「建国伝説にまつわる、竜を意のままに操る家系、か。確か、今、全国でムジカーノ家の女性が王城に集められていると聞いたけど」
シドもまた、冷めた目でシエロを見据えていた。組んだ手を膝に載せ、身を乗り出す。
シエロ、と呼びかけるシドの声は低く、優しさも含んでいた。
「この旅の目的を、教えてくれないか」
いずれ、言わなければならないことだと、覚悟はしていた。
だが、怖かった。
夏の建国祭までに、竜を探す。研究目的や好奇心からではない。王命だ。果たせなければシエロも、捕らえられた母や楽団の仲間同様、処刑されるだろう。共に旅をしてくれたら、レミやシドも罪に問われるかもしれない。
きちんと、言わなくてはいけない。
目的を話し、改めて彼らの意思を問う。
同伴を断られても、彼らを恨むことはしない。
「僕は」
まだ前振りにも入っていないのに、声が震えた。
シエロは、細く息を吸って、吐いた。唇を引き結び、竪琴を抱きしめる。
「シエロ・ムジカーノ。操竜の乙女の末裔のひとりで、ビューゼント王から、建国祭までに竜を探し、王都へ連れてくるよう、命じられました」
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