間違った場所
少女の父は、バザールの宿屋街近くで、靴や鞄を修理する傍ら、販売をする職人だった。
少女はある日、得意な絵で鞄を飾った。それが好評で、店には、手持ちの鞄や靴に絵を描いて欲しいと訪ねてくる客も現れた。
父が亡くなり、店を継いだ娘は、修理や製作が苦手だった。もっと、絵を描きたかった。
店の売り上げは下がっていく。娘はある日、思い切って父の仕事道具を売った。得意だった絵を売ることにした。
だが、あれほど請われた絵を売っていても、客足は遠のくばかりだった。次第に、見向きもされなくなった。
一年ほど前。店先に足を止めた魔導師がいた。彼は、娘の話を聞き、ひとつの提案をした。
絵に少しでも関心を抱いた人が、商品を買うまでこの通りを抜けられない術を施す。
「で、その結果が、宿を求めて赤門にたどり着ける旅人の数を減らし、宿屋街の売り上げを激減させていた、と」
的確なファラの指摘に、娘はうな垂れた。
「こんなふうになるとは、思わなかったんです。足止めすれば、絵を買ってくれるんじゃないかと。買ってくれたら、通れるようになっていたので」
シエロは、改めて娘の作品を見た。
鮮やかな筆で描かれた風景や花々は、どれも美しい。王都のちょっと洒落た店には、似たような絵が飾られていた。しかし。
「旅人に買ってもらうのは、難しいかも」
絵はどれも、大きかった。それこそ、屋敷の廊下に飾るような大きさだ。今から旅をするというのに、抱えて歩く人はいないだろう。
「ま、そういうことだ。売る場所が間違っている。もっと普通に家や店がある町で売ったらどうだろう」
シドの提案に、娘はさらに俯いた。
「町には、町の絵師がいます。それに、父から受け継いだこの店を手放すわけにはいきません」
「もう、跡形もありませんが」
ファラは容赦がない。レミですら苦笑を禁じえない突き放し加減だった。
でも、と、娘は半ば自棄になって、隣の花屋を指差した。
「花が売れるんです。あれだって、旅に持っていってもしかたないじゃないですか。なのに、大きな花束だって売れるんです。花が売れるなら、絵だって売れるんじゃないですかっ」
「ああ、これね」
答えたのは、雨を降らせた魔導師だった。彼もまた、手に花束を持っていた。
「降竜碑って、知らない? 建国に手を貸した竜が降り立ったといわれる山頂の祠に参る時、持っていくんだよ。商売繁盛や無病息災を願う人が、買っていくんだ」
「そういえば、そんな話を聞いたことがあるな。鳥の丸焼きも、供え物のひとつじゃなかった?」
首を傾げるレミに注がれたファラの視線は、心なしか冷たかった。
降竜碑。
シエロは首を伸ばし、近くの山を見上げた。さすがに、木々に覆われた小高い山頂を見ることは、できなかった。
「じゃあ、僕達も後で花を買おうか」
何気なく呟いたシエロは、戦慄く娘の肩を見て、しまったと身を引いた。
「どうせ。どうせ、私の絵は、花にも劣ってますよ」
「えっと、そういうことじゃなくて」
「買う価値なんてないって、そういうことでしょ」
「だったら」
腕を組んだシドが、娘を睨みつけた。小さな瞳が、ギラリと光る。
「ついうっかり買ってしまえるような絵を描けるように、修行したら。こんなところで我流でやってたって、状況は変わらないだろ。近くの町なり、王都なりに出て、もっと基礎から勉強したらどうだ」
「そんなお金、ありません」
「バザールに出店したい業者なんて、山ほど居る」
店を売れと、言っているのだ。
詠唱の疲れも相まって、シドはすこぶる機嫌が悪そうだ。シエロが宥める隙もなかった。
娘は、涙を浮かべた顔を上げた。
「帰る場所まで失えって言うんですかっ。そんな、酷いことを」
「ああ。言ってやるよ。帰る方法もなくて、仕方なく魔導師になった俺に言われりゃ、少しは説得力あるだろ」
シエロの胸が、ツキンと痛んだ。
シドの師匠カーポから聞いた。別の世界から、間違って召還されてしまったシドは、魔術を使えるようになるまで、どれだけの苦労を乗り越えてきたのだろうか。
娘も、何かを感じ取ったのだろう。唇を引き結び、俯いた。
「あと、ひとつ」
更に娘へ詰め寄るシドを、シエロは止めようとした。
だが、彼は娘の前に膝をつくと、頭を下げた。
「俺の修行不足で術を暴発させ、店先を燃やしたことを詫びる。絵が燃えなかったのは、幸いだった」
「濡らしちゃったけどね。ごめんね」
雨を降らせた魔術師も、並んで頭を下げた。
毒気を抜かれた顔で、娘は小さく頷いた。そして、小虫の羽音のように消え入りそうな声で付け加えた。
「こちらこそ、お手数をおかけして、申し訳ありませんでした」
道には、水溜りが残っていた。術の解けた道を、人々は、自分にとって価値のあるものを求めて行き交う。
自分は、誰かにとって価値のある存在だろうか。
「ごめんね、シド」
改めて、術の邪魔をしたことを謝った。
先を歩いていたシドは、振り返らず頷いた。
「怒ってるわけじゃないって。ただ、HP削られた。疲れた。しんどい。眠い」
豪快に大口を開けて欠伸をする。とにかく、休みたいようだ。
レミが励ます。
「宿、すぐそこだから。こんなずぶ濡れなのを見たら、驚かれるね」
苦笑し、レミは頭に巻いていた布を外した。水を吸って重くなった布は、だいぶ前から斜めに傾いていた。一度広げ、畳みなおしてきつく絞る。灰褐色の耳の毛も、毛先から雫が垂れていた。
半眼になっていたシドの目が、見開かれた。
「え。レミの、それ、耳?」
食らい付くような問いに、レミが警戒して身を引いた。
間に割って入り、シエロはシドを宥める。
「レミは、獣人なんだ。だけど、ここではちょっと、大きな声で言わないで」
「え、マジで。まさかの、生ケモ耳。て、もしかして、尻尾もセットってこと?」
シドの長い腕が、シエロの脇からレミのマントを持ち上げた。マントで守られた尾の毛は、ふっくらとしたままだった。
「も、モフモフ」
熱に浮かされたように、シドの頬は紅潮していた。目尻を下げ、ふらふらとレミの尾へ手を伸ばす。
「シド、止めたほうが」
シエロの忠告が終わらない間の出来事だった。
シドの体は、レミの拳によって、華麗に宙を飛んだ。
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