逆詠唱

 拠りどころを求めて、用心棒を申し出た。初めて特定の人に雇われる興奮から張り切って、尾行する怪しい気配を突き止めた。

 その結果、本当に守らなければならないシエロたちを、失ってしまったのではないか。

 用心棒失格だ。

 ブルリと体を震わせた。

 魔術が絡んでいるなら、レミに手出しは出来ない。雇い主を、守れない。剣の腕が立つからと、驕っていた。

「そこか」

 低い声に、レミは我に返った。時間をかけて周囲を探っていたシドが、一点を見つめていた。

 おもむろにマントを払い、細長い袋の紐を解いた。出てきたのは、やはり杖だった。杖先に、竜紅玉より明るい赤色の珠が嵌められている。

「逆詠唱なんて、初めてだな」

 呟き、唇を舌で湿らせる。

 不安になる一言だったが、若い魔導師は深く呼吸をすると、背筋を伸ばした。杖を体の前に立てるよう片手で構え、反対の手の人差し指と中指を杖に添える。

「俺の周囲に、誰も入れないでくれ」

 言い残し、彼は目を閉じた。低く詠唱を始めた。

 命令口調が気に入らず、レミは軽く舌打ちした。が、すぐさま全身を震わせた。

 シドの詠唱が広がる。言葉として聞き取ることはできないが、低く、高く、滑らかに移ろう声は、辺りの空気も大地も揺るがせるような力があった。

 間近で詠唱を聞くのは初めてだ。耳の毛が、ビリビリと震えた。精一杯後ろに倒し、まともに聞き入れないようにするが、項の毛も逆立つ。周囲の音が遮断され、ただ、頭に直接シドの詠唱が響いた。

 食いしばった歯の間から、獣の呻きが漏れる。

 人を近づけるなと言われても、レミの神経は詠唱に占められ、すぐ傍にいるはずの複数の人の気配すら感知できなかった。

 幸い、険しい空気を察したのだろう。誰も近寄ろうとしなかった。足を止め、遠巻きに見守っている。

 陽光の中で、杖の先の珠が内側から光を放ち始めた。辺りに満ちた光が、徐々にまとまっていく。一方向を示すかのように筋になっていく。

 と、その時だった。

 ぼんやりと霞む露店の景色から、勢い良くシドへ跳びかかる影があった。

「シドっ」

「ぅおっ」

 詠唱が上ずり、乱れた。

 本能的に、ヤバイと感じた。

 珠から、雷電が迸る。辺りの空気がバチバチと鳴り、皮膚が痺れた。数軒先の露店から火の手が上がる。

「誰か、消火を」

 叫び声が上がった。

 すぐさま、見物していた一人が杖を出した。短く唱えられた呪文に反応し、燃える露店を中心としたバザールの一角だけに雨が降る。それも、土砂降りの雨が。たちまち鎮火したのはいいが、辺りは大騒ぎとなった。

「ご、ごめんなさい」

 シドの前でずぶ濡れになり、しょんぼり見上げているのはシエロだった。

「シドの声が聞こえて、駆け寄ったら、思ったより近くて」

 魔術により、空間が歪んでいたのかもしれない。中断された詠唱により魔術が暴発したシドは、頬を引きつらせて固まっている。

「だから、止まるよう言ったのです」

 濡れた髪を片手で絞り、ファラが溜息をつく。

「幸い、荷物の中まで滲みていないようですが」

 消火をしてくれた魔術師も、咄嗟のことで雨を酷く降らせ過ぎてしまったことを周囲の人に謝っていた。

「で」

 レミは、気を取り直して露店へ踏み込んだ。火の手があがった店だ。

「説明してもらおうか」

 通行人に見えるよう並べられた絵の陰で、若い女性がビクリと身を竦ませた。

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