消えたシエロ

 シエロと離れ、レミは身を屈めて人々の間をすり抜けた。大きく半円を描くようにシエロたちの背後へ回ると、今度は爪先立って、ひしめく人々へ鋭く視線を巡らせた。

 荷物を背負って両手を開ける。

 青門を潜る前から、視線を感じていた。

 何者かが、後をつけている。

 シエロから旅の目的について詳しく聞いていないが、用心棒を雇いたい程度に、危険を感じているのは確かだ。

 そのうえ、シエロは無防備だ。旅慣れていない、身近に危険のない守られた環境で育ってきた経歴が、ありありと顔に書かれている。通りすがりのならず者には、手頃な獲物だ。

 三々五々、商品を物色して歩く買い物客の群れの中に、レミはそれを捉えた。

 人の流れを横切るように、シエロたちへ近付く旅装の者がいる。マントを羽織っていても、肩や背中の具合から、腕に覚えのある体だと分かる。

 レミは人の流れを乱さないよう、だが確実に不審者へ近付いていった。

 不審者がシエロまであと数名のところまで接近した。

 レミは素早く、背後からその者の口を塞いだ。片手で両手首を掴み、予め目をつけていた、ひと気の少ない薬店の軒先へ引きずった。

 一見、真っ当な薬屋だが、よく見ると怪しい。店主らしき金髪の男性は、涼しげな目をしていながら、ただ者ではない空気があった。レミの数秒前に入店した男が、「一時的に力を強める薬」があるはずだと、小声で尋ねる。通常の人には聞こえないだろうが、獣人の耳にはしっかり聞こえた。金髪の男はレミを胡乱げに見たが、すぐに知らぬ顔で接客をした。

 レミとしても今は、店主がどんな薬を売っていようが、関係なかった。

「ちょっと、こっちで休もうな」

 わざと周囲に聞こえるよう声をかけ、傍目には具合の悪くなった連れを介抱しているよう装う。

 モガモガと、不審者がもがいた。レミより身長が高い男だ。だが、獣人の腕力は強い。

「さて」

 薬店の影で、レミは男の耳元に囁いた。

「バザールに入って、ずっとつけていたのは分かっている。何が目的か、静かに教えてもらおうか」

 体の陰で、袖に隠し持っていた細い刃を男の喉元へ突きつける。男の喉仏が、ビクリと上下した。

 おや、とレミは眉を上げた。

 男に抵抗の意志がない。緊張しているが、隙を見て逃げ出す準備は感じなかった。

 この辺りでは見かけない顔立ちの男は、突きつけられた刃を意識しながら、低く応えた。抑えていた口元を緩めると、詰めていたらしき息を吐く。

「旅の仲間に追いついたところだった。相手の名は、シエロ。そして俺は」

 開放された喉を摩り、男は安堵の息を漏らした。

「マギクから来た。シド・サロヌ。いちおう魔導師だ」

「なんだ。それなら、ちゃんと正面から声をかければいいものを、コソコソ隠れているから」

 呆れるレミを、シドは恨めしそうに睨み上げた。

「どっかの怖いネェちゃんがガン飛ばしてっから、近づけなかったんスよ。正面で待ってりゃ、ふいと行き先くらますし」

 変わった喋り方をする。どこの訛りだろうかと考えながら、レミは苦笑した。

「すまない。あんまりにも怪しいから、てっきりならず者かと」

「ま、バザールに来ながら、商品を見ようともせず、シエロばっか追いかけてたのは、怪しまれても仕方ないな。シブヤ並みに人が多いところで、追跡魔術を加減しながら使うのに、全神経持っていかれてたから」

 やれやれと、シドは肩を回した。長いマントのフードがずれ、やはりあまり見ない赤毛が覗いた。マントの合わせから見える長い棒状の包みは、杖なのか。

「で、ネェちゃんは、さしずめシエロの用心棒ってとこか」

 頷くと、シドはホッとしたような笑みを浮かべた。

「これだけ優秀な仲間がいるんなら、安心した。あー。でもそうしたら、俺って必要ない?」

「それは、シエロが決めることだ」

 雑踏を振り返る。シエロたちの姿はもう見えない。赤門を曲がり、『うさぎ雲』を見つけた頃合だろう。

 だが、用心棒として長く離れているのは良くない。

 踏み出したレミは、思い出してシドへ手を差し出した。

「私は、レミ・クリステ。昨日から、シエロの用心棒として雇われている」

 握り返してきたシドの手は、思ったより固かった。魔導師は肉体的にひ弱な者が多いと思っていたのは、偏見だったのだろうか。

「武術の心得があるのか」

「杖術を少し。ま、ずっと前の話だけど。あとは、庭いじりと、家の補修、その他雑用ってところかな」

 彼の言った「いちおう魔導師」という名乗りに、納得がいった。正規の魔術学校を出たわけではないのだ。たまに、素質があり、独学や誰かに師事することで魔導師を生業としていける人がいるのは、レミも知っていた。

 詮索はそこまでにして、シドと並んで歩いた。

 シドは、道の両側を埋める店に、目を輝かせた。

「しっかし、いろんなもんがあるなぁ。毎日お祭りって感じだな」

「街道の交点だからね。商品も人も、集まる」

「うわ。鳥の丸焼きとか、ワイルドだな」

「わ?」

「あ、でも旨そー。おっと」

 シドが、人とぶつかりそうになって慌てて身を引く。子供のようにはしゃぐ魔導師に苦笑し、赤門をくぐろうとした。

 ピタリと、シドが足を止めた。

 不審に思って振り返ると、シドは眉間に皺を刻み、鋭く辺りを見回していた。

「何かが、ある」

「は?」

 シドは、細い目をさらに細めた。透かし見るように、注意深く来た道を観察する。

「おい」

 往来の真ん中で立ち止まっては迷惑だと言おうとしたレミは、気が付いた。

 先程までひしめき合っていた客が、激減していた。曲がり角などない。なのに、肩が触れ合うほどに密集していた人々がどこかへ消えうせ、人影はまばらになっていた。

 振り返り、今来たはずの道を見やった。

 内壁に沿った露店が確かに見えているはずなのに、目を凝らせば凝らすほど焦点が合わず、ぼんやりと霞む。見ているようで見えていない景色と化していた。

 シエロとファラは。

 項の毛が逆立った。グル、と喉が鳴る。

 急いで『うさぎ雲』に確認すると、二人はたどり着いていなかった。

「だとしたら、どこに消えたんだ」

 膝が震えた。

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