バザールの怪

 何も出来ず、無力で守られてばかりいる。ひとりでは何もできない、弱い自分に対する嫌悪。

 人のことを考える余裕すらない。今も、本音を堪えることが出来ず、店主を困らせてしまった。

 重苦しい沈黙を破ったのは、レミだった。

「これ、調整してもらえるかな」

 革鎧の一式を掲げる。

 おそらく、布で覆われていても、人より敏感なレミの耳は、シエロたちのやり取りを聞き取っていただろう。

 気を遣われている。

 それがまた、苦しい。

「あ、あと、これに見合う鞘を作って欲しい。皮でいいんだけど」

 厳重に包まれた剣を見て、店主は眉を上げた。だがそれも、何一つ問うことなく引き受ける。預り証を書きながら、代金の計算をする。

「急ぎかな。明日の朝には出来ると思うが」

「じゃあ、明日、引取りに来るよ。今夜はここで宿を探す予定だから」

 預り証を渡しながら、店主は重く頷いた。

「それはいい。最近、バザールに宿をとる旅人が減って、宿屋はどこも困っている」

「ざっとみたところ、旅人は前と変わらず来ているようだけど?」

 首を傾げるレミに、店主は太い息を吐いた。

「それが、わざわざ隣町に宿を求める客が増えたんだ。バザールには宿がないっていう、変な噂がたっているらしい」

「それはまた、どういうことだろう」

 レミも、納得がいかない様子で唸った。

 店を出ると、次は保存がきく干し肉や携帯食の店へ立ち寄った。

 何が必要かは、旅経験の豊富なファラが選んでくれた。その間も、レミは上の空で、考え込んでいた。

「宿の、こと?」

 そっと尋ねると、灰褐色の髪を揺らして頷いた。

「一年前に来た時は、特に変わった様子はなかったんだけどな」

「宿を利用していたの?」

 レミが住むクリステの城からは、馬を走らせれば一刻で立ち寄れる場所だ。わざわざ泊りがけで買い物にきていたのか、と驚くシエロに、彼女は笑いながら否定した。

「食事だけね。友達が宿屋をしているから。『うさぎ雲』っていう店なんだけど、今日も、そこにしようと思っていて」

 大丈夫かなと、レミは友人を気遣った。

「じゃあ、まだ早いけど、先に宿に行ってみる? 荷物置けると、助かるし」

 シエロの提案に、レミは嬉しそうに頷いた。

 ファラと分けた食料をかかえ、入ったのとは反対の出入り口から外へ出た。

 バザールの町も、高い壁に囲まれている。他の町と異なるのは、壁が二重になっていることだ。

 建屋内バザールの外壁から、等距離のところに内壁が張り巡らされている。外壁と内壁までの間は、幅広い環状通路の扱いだ。その両側に、これまた露店がひしめいていた。狭くなった通路に、買い物客がひしめいている。

 周辺の地域から小売業者が集まり、商品を並べていた。品揃えは、建物内の格式ある店舗とは異なって、庶民的なものが多い。その場で立ち食いできる簡易な食事や飲み物、煙草、革製品や木工製品。中には、生きた動物を扱っている店や、見るからに如何わしい店もある。

 前方に一箇所、露店が途切れるところがあった。壁の切れ目に、赤塗りの門がそびえている。

「入ってきたのは、青い門だったね」

 雑踏の熱気に浮かんだ額の汗を拭い、シエロは目を細めた。

「あの赤門を潜って外壁までの間が、宿場町になっているんだけど」

 レミは革鎧の包みを抱えなおし、ふと視線を逸らせた。

「悪いけど、先に宿、行っててもらえるかな。看板出てるし、すぐ分かるよ。飲み物を買ってくる」

「え」

 シエロが戸惑っている間に、レミは軽く手を上げて雑踏に紛れていった。

「勝手な人ですね」

 ファラが平淡に呟く。

 知らない町で、下手に動き回るわけにいかない。シエロは仕方なく、赤門へと歩いた。

 赤門まで、王都ならひと区画と言ったところだろうか。ゆっくり歩いても数十秒で通り過ぎることができる。そのわずかな間にも、露店が立ち並んでいた。

「いろんな店があるね」

 王都にも負けない活気と気持ちの良い陽気に、シエロは少し、気持ちが上向いた。せっかくだから楽しもうと、両側の露店を見ながら歩いた。

 色とりどりの野菜が、簡易な庇を支える柱に吊るされていた。ランプを並べて、使い方を教えている若者がいる。安っぽいが華やかな襟巻きを勧める老人。

 店先の一角にテーブルを置いて、汁物を振舞っている店があった。その隣では、羽根をむしっただけの小鳥が丸ごと炭火で焼かれている。芳ばしい匂いが、客の間に漂っていた。

「ファラは、苦手だよね」

「あれは、ただの鳥ですから」

 静かな返答だったが、視線はしっかり逸らされていた。

「へえ。花とか絵も売ってる」

 軒下を花で埋め尽くした店の隣には、風景や花を描いた絵が並ぶ。

 この町だけで、世界中の物が揃ってしまうのではないかと思われる品揃えだ。色彩が溢れ、目が回りそうだが、楽しい。

 色とりどりの野菜と、ランプと、襟巻きと。

 シエロは、目を擦った。

 既視感。通り過ぎたはずの店が、目の前に並んでいる気がした。道は、赤門まで一本だ。迷うはずはない。

 それなのに、さっきも同じ場所を通った気がする。

 赤門を見上げた。距離が縮まった感じがしない。

 訝しく思いながら、さっきよりゆっくりと足を進めた。

 汁物の店、小鳥の丸焼き、花。

 一瞬、軽い眩暈を覚えて、目を瞑った。

 目を開くと、数店先に、色鮮やかな野菜が吊るされていた。

「ファラ」

 振り返る。ファラもまた、数回瞬きをして頷いた。

 何かが、ある。

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