クリステの剣
それなら、とレミは静かに剣を抜いた。抜き身を布に包み、鞘をモルデントへ返した。
「私は、彼らの用心棒を引き受けた。契約を反故にはできない。彼らの旅を見届けたら城へ戻るから、それまで鞘は預かっていてほしいと、兄上にお伝え願いたい」
「了解」
布から柄が覗く。それだけでも、剣は美しかった。
シエロは、先ほどのファラの呟きを思い出した。
「ファラ、宝剣って」
「クリステ初代城主に君臨した勇者の剣と、伝えられているものです。装飾はこれとほぼ同じですが、宝剣の刃は水晶で作られ、祭典でしか見ることができません」
「物知りですね」
モルデントが微笑んだ。鞘を掲げる。
「かつて、この地を訪れた勇者が、人々を困らせる竜を倒した。竜は屈服し、勇者に水晶の刃の剣を与え、自らは山となり、その血流は竜紅玉の鉱脈になった」
竜が、山に。
シエロは北方に連なる竜骨山脈を仰ぎ見た。
血流が、鉱脈に。
「俺たちが、祖父さんから毎晩のように寝物語に聞かされた話です。今では、財政が苦しくて祭典も開けていない。宝剣も、恥ずかしながら、蔵の奥に仕舞われたままです」
モルデントは、自嘲した。だけど、とレミの肩を叩いた。
「困窮している今、クリステの町を大きく変える、いい時期なのかもしれない。少なくとも、俺はそう考えている。レミは、ビューゼント王国の他の町を視察して、クリステの変革に力を貸してくれ」
「視察なら、モルデント兄だって十分にしてきただろう」
困惑の表情のレミに、彼は口を開けて笑った。
「俺のは、単なる放蕩だ。だけど、これからは少し頑張って、苦手な勉強にも励むよ」
素質に欠けるが、努力家の長兄トリル。
素質にある程度望まれるが、努力を嫌う次兄モルデント。
素質があり、努力も怠らないが、性別故に表に立てないレミ。
世の中、上手くいかないものだなと、シエロは嘆息した。だが、気さくなモルデントと、ぎこちないながら信頼を寄せているレミの様子に、クリステの行く先に明るい光があると信じられた。
「レミ様、お気をつけて」
モルデントの後ろに乗り、侍女は目を潤ませた。馬が遠ざかる。何度も振り返る侍女の姿がみえなくなるまで、レミは手を振っていた。
切り立った竜骨山脈の稜線から、朝日が顔を出した。
差し込む朝の光を受け、レミは大きく伸びをした。
「じゃあ、行こうか」
「あ、でもまずは宿に荷物取りに行かなきゃ。それに」
休息も必要だった。夜の間、張り詰め続けたシエロの緊張の糸は急に緩み、立て続けに欠伸が出た。
じゃあ、とレミは屈託なく笑った。
「私が負ぶっていくよ」
「え、そんな」
若い女性に負ぶわれるなど、成人間近の男子として、恥ずかしい。
レミはスッと目を細めると、たちまち一匹の狼に姿を変えた。シエロより頭半分高い長身で四這いになった、そのままの大きさに、尾がゆらりと付いている。
「シエロは軽いからな。乗っていけばいい」
大きく裂けた口から、ややくぐもったレミの声が発せられた。
恐々と、シエロはレミへ跨った。艶やかな毛並みは、思ったよりごわごわしているが、弾力があった。そっとうつ伏せになってみる。
「あ、気持ちいいかも」
「らしいね。町でも評判だった」
レミが動くと、毛並みを通して逞しい筋肉の動きを感じる。
レミは、鼻面をファラへ向けた。
「ファラも、どう? それこそ鳥なら、軽いんじゃないかな」
しかし、ファラは、いつもの表情の乏しい顔を横に振った。
「獣人ごときの世話になりません」
「あら、厳しい」
「あと、シエロ様を呼び捨てにしないでください」
「え。なんか、敬称つける感じじゃないんだよね。そもそも、ファラってどうしてシエロに敬称つけてるの」
「敬称」
こだわるファラに、シエロはうつらうつらしながら苦笑した。
「いいよ、ファラ。だって、僕は」
ただの、楽師だから。
ひとりでは何も出来ない、無力な楽師だから。
僕のほうが、レミに敬称つけなきゃいけないんじゃないかな。だって、もしかしたら、未来のクリステ城主になるかもしれない立派な人だから。
眠すぎて、どこまで言葉にできたか、分からなかった。
その中で、ぼんやりと考える。
そういえば、ファラはどうして、共にいてくれるのだろうか。母から聞いた話では、祖父の代からムジカーノ家に仕えているそうだ。しかし、従者として賃金を払っているわけでもなさそうだった。
無力なだけではなく、無知だ。ただなんとなく楽師をして、なんとなく生きてきた。
すでに、二回もソゥラの珠に命を助けられた。自力で解決できず、頼ってしまった。
ねえ、ソゥラ。
夢の中で、シエロは恩人の赤い双眸に呼びかけた。
ソゥラは、どうして、こんな僕を助けてくれるの?
深紅の瞳が微笑み、何かを言った気がした。だがそれは、深い睡魔によって吸い取られ、シエロに届くことはなかった。
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