用心棒

 暁が空を染め始めた。クリステ城を遠くに臨む小川のほとりに、シエロたちは座っていた。

 草の上を撫でる風が、竪琴の音色を運び去る。

 一曲が終わった。レミはまだ、俯き加減で座り込んでいた。侍女も無言で、レミの顔や腕に付いた汚れを清める。

 その様子を、シエロは少し後ろの切り株に腰掛けて見ていた。

 さっき、と、掠れた細い声でレミが問いかけた。顔は前を向いたままだが、獣の耳が、シエロの方に動いた。

「私を止めようとしたのって、もしかして、父上を殺すとでも思った?」

 平坦な口調から、彼女の感情は伝わらない。シエロは、ぎこちなく肯定した。

 レミは、自嘲気味に笑った。

「そんなつもりは、全然なかったんだよ。父上の無事を確認したかった。なのに、そんなに、怖かったのかね、私が」

「城主様は、元からあのような方です」

 侍女が憤り、手にしていたエプロンを握った。布が軋む。川の水で濡らしたエプロンから、水滴が絞り出された。彼女はそのまま大股で川へ降り、飛沫を上げて汚れを洗った。

 シエロは、竪琴の弦を手癖で弾き続けた。

 レミと戦っていた、黒子の女性が最期に言ったらしき言葉も、ずっと気にかかっていた。

「あの人たちは、何故城に攻め入ったのかな。そもそも、あの人たちって」

「鉱山の労働者だ」

 答えるレミの声は、悲しげだった。

「労働条件の改善を、訴えていた。というか、私は知らなかったが、今まで何度も、兄を通じて訴えていたらしい」

 しかし、梨のつぶてだった。

 竜紅玉の採掘量は、年々減少している。町の収益は減り、労働者に払われる賃金も少なくなる。それでも、新しい鉱脈を探せと言われ、労働はさらに厳しくなる。最近では鉄鉱石の採掘も求められていた。限られた人員でふたつの鉱脈をあてがわれ、労働者は疲弊していた。

 川から戻った侍女も、途中から話を聞き、溜息をついた。

「労働者こそが、町を支えているっていうのに」

 濡らしたエプロンで首元を拭われ、レミは僅かに首をすくめた。

「レミ様。町の民には、伝統を壊してでも次の城主にレミ様を望んでいる者もいます。考えていただけませんか」

 侍女の真剣な眼差しに、レミは首を横に振った。

「私は、そんなものを望んでない」

 ただ、と、レミは、竜の彫り物を施した腕輪を撫でた。

「認めて、ほしかった」

 娘として。妹として。

 胸の奥が締め付けられ、シエロは弦を弾く指を止めた。立ち上がり、レミの側まで歩み寄ったはいいが、どのように慰めればいいのか、分からなかった。

 だが、振り向いたレミは、黄緑色の目を潤ませながらも、笑っていた。

「一緒に、旅をさせてもらえないか。助けてくれた恩を返したいし、用心棒がいると便利だろ」

「いいけど」

 はにかむシエロの横で、ファラが顎に指を当て考えた。

「賃金を払うには、手持ちが」

「そんなにきっちり雇わなくてもいいよ」

 手を振るレミへ、ファラはきっぱりと首を振った。

「只より高いものはありません」

「まじめだねぇ」

 苦笑し、レミもしばらく逡巡した。

「じゃ、こうしよう」

 暁が届かない西を、レミは指差した。

「竜骨山脈に続く街道の途中に、バザールがある。そこで、具足一式を買い与えてほしい。それが前払い金ということで、どう?」

 なるほど、レミは今、丸腰である。それでも十分心強いが、王都の追手に襲われる可能性を考えると、具足や武器は必要だ。そこそこの金額にもなる。

「じゃあ、お願いします」

 差し出したシエロの細い手を握り、レミは口の端を上げた。

「ところでご主人様、お名前を伺ってもよろしいですか」

「え、まだ言ってなかったっけ」

「聞いていないよ」

 屈託なく笑うレミは、町の市場でもたくさん見かけた、普通の若い女性の顔だった。ただ、その口元で鋭い犬歯が光り、頭の上で毛に覆われた耳がピョコピョコ動いている。

「旅の楽師の、シエロです」

 改めて、自己紹介をした。握り返したレミの手は、シエロより大きかった。

 レミの耳が、ピクリと動いた。シエロも耳をすませる。

 蹄の音が近づいていた。咄嗟に身構える。

 近付く一騎は、シエロたちの姿を認めると速度を緩めた。馬の遮眼帯にあるのは、クリステ城の紋だ。

「モルデント様」

 侍女が、蒼白な顔でレミの陰に隠れた。レミもまた、緊張の面持ちで立ち上がった。

「兄上」

 クリステ家の次男、モルデントだった。

 彼は、離れたところで馬を止めた。下馬すると、その場で恭しく礼をした。

「ちょ。何」

 レミはうろたえた。

 モルデントが歩み寄る。長細い包みを、レミへ捧げた。

「トリル兄の使いとして、これをレミへ渡す。城に戻るにも、出て行くにも、これはレミが使うようにと」

 あの長剣だった。間近で見ると、鞘の細工は美しく、竜紅玉は怪しく光っている。

 ファラが小さく呟いた。

「宝剣の、複製?」

 灰褐色の尾が、だらりと下がった。

「使えないよ。だってこれ、クリステ城の剣だし」

「だから、だ。いいか、トリル兄の言葉をそのまま伝える」

 モルデントは、ひとつ咳払いをした。やや声を低め、淡々と語る。

「我が妹へ。クリステ城の長兄として、力も資質も及ばぬことを詫びる。正直、そなたの剣の腕前、人々の心を掴む力、外交の機微など、何故己に備わらなかったのかと、臍を噛んだ。だが、今更ながら気が付いた。そなたはそれを、懸命に努力した上で手に入れた」

 息をつき、モルデントは真っ直ぐにレミを見た。

「もし城へ帰還を望むなら、いつでも歓迎する。父上を説き伏せるのも、私の仕事の一つだ。衰退しつつあるクリステの町をこの先も支えていく方法を、三人で考えたい」

 言葉を切り、モルデントはニヤリと笑った。ここまでトリルの物真似だったのだろう。声の調子が戻った。

「とまあ、そんなことだ。本人、怪我が深いし、病み上がりで騎乗は避けたいし。何より」

 モルデントは、両手のひらを肩の高さで上に向け、首を傾げた。大袈裟に、口の両端を思い切り下げる。

「合わせる顔がない、てさ。見せたかったよ。真っ赤になって、モジモジ言葉を考えるトリル兄の顔」

 険しい表情のトリルしか見たことのないシエロには、想像がつかない。が、レミの表情は穏やかになっていた。

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