広間の戦い
激しい剣戟の様子が、廊下にも漏れ聞こえていた。刃のぶつかり合う音、鈍い呻き。近付くにつれ濃くなっていく、血の臭い。
廊下の突き当たりの豪奢な扉は、見る影も失っていた。斧や鉈で鍵を壊された跡が痛々しい。開け放たれた扉だったものの陰から、侍女とシエロはそっと中を覗いた。
広間には地獄絵が広がっていた。毛足の長い絨毯は血に染まっている。踏むと、ぬかるみと同じ音がした。あちらこちらに、瞬きを奪われた目が剥きだしになり、骸が転がる。まだ呻いている者も多い。
それらの奥で、レミは剣を振るっていた。残っている松明の光が、レミの手元で赤く反射した。
彼女が握っている剣は、昼間、トリルがシエロへ突きつけた、あの長剣だった。
トリルは、と視線をめぐらせると、レミから十数歩離れた壁にもたれかかっている。肩から血を流し、ぐったりしていた。命はありそうだ。
助けに行きたい。が、それまでにいくつもの死骸や怪我人を越えなければならないと思うと、足がすくんだ。
「レミ様」
侍女が扉の端を握り締める。
背後に、ゾワリとした息遣いを感じた。震えながら振り返り、シエロは悲鳴をあげた。
数歩後ろに、血にまみれた男が立ちはだかっていた。廊下の暗がりの中で、目は殺気立ち、音が聞こえてくるまでに歯を食いしばっている。
「よくも、よくも、あの、獣人め」
ズル、と太い紐状のものを引きずっている。それは、大きく開いた腹の傷からぶら下がっていた。反射的に、目を背けた。
侍女もまた、彼に気が付き、身を固くした。
男は一声吠えると、手にしていた斧を振り上げた。最後の気力を振り絞って襲い掛かった。
「ひいぃ」
座り込むシエロの脇を、風が過ぎった。ジャラリと、男の目元へ鍵束が投げつけられた。
不意をつかれた男が仰け反る。
悲鳴をあげながら、侍女は男の頭部へ、何かを突き立てた。
埃を払うハタキの柄である。
こめかみを強打され、男はどうと倒れた。
しばらく立ち尽くした侍女は、血で汚れたハタキを投げ捨てた。返り血が散った手をエプロンで擦りながら、戻ってくる。全身が小さく震えていた。
「レミ様のためだもの。やらなきゃ、死にたくないし」
手の皮膚が、擦られすぎて真っ赤になる。
痛々しさに、シエロは彼女の手に手を重ねた。たいして大きくない手で包み、静かに竪琴の曲を口ずさむ。
その間にも、レミの戦いは続いていた。
刃同士がぶつかり合い、火花が散る。
相手は二人がかりだった。そのうちの一人の顔が、松明に照らされる。眉の近くにあるのは、黒子だろうか。
「あの人」
シエロはハッとした。
朝、市場で会い、シエロを新人坑夫と間違えて、山へ案内した女性だった。
そのときの優しさは、微塵もない。無慈悲な顔で、獣人相手に、湾曲した鍔のない刀を自在に操る。
「もしかして、僕達」
騙され、利用されたのか。そういえば、侵入者はいずれも、鉱山での労働者を思わせる格好だ。
血の気が下がる。しかし、ファラは小首を傾げた。
「そうとも言いきれません。が、門番の注意を引きつけるには、手頃だったでしょう」
女は、レミが振り下ろした長剣を受けた。わずかに手首を返す。それだけで、湾曲した刃は蛇のように動き、レミの喉元に迫る。
レミは跳び退いた。そこを狙い、もうひとりが同じく湾曲した刃を突きつける。手首を回しながら突き出されるので、刃先がどこなのか分からない。
スッと、レミの目が細くなった。
冷ややかな獣の目だ。シエロは、自分が睨まれたわけでもないのに硬直した。
レミの心臓を狙って突き出された刃が、目標を失った。
目にも留まらぬ速さでしゃがみこんだレミが、最短の軌道で長剣を薙ぐ。ぱっくり開いた鉱夫の脇腹から、血が迸る。
血飛沫を掻い潜るように、レミは四足で駆けた。一瞬、灰褐色の毛並みが見えた気がして、シエロは目を擦った。
女も、手を止めた。その隙だった。レミはしなやかに立ち上がりざま、女の手元を蹴り上げた。
湾曲した刃は宙で回転する。
「ひ」
レミの背後で初老の男が悲鳴をあげた。刃は回転を保ったまま、男よりだいぶ離れた床を滑った。
自分のところへ落ちてくると思ったのか。男は動きを止めた刃を見やり、ヘナヘナと横たわった。
「城主様ったら」
侍女が呟く。あれが、このクリステ城の主のようだ。
武器を奪われ、女は一瞬、柔らかな笑みを浮かべた。
「やっぱり、無理だったかね」
シエロの耳には、そう聞こえた。だが、確かめる術はなかった。彼女が言い終わるときすでに、レミの刃は彼女の体を貫いていた。
さすがのレミも、肩で大きく息をしていた。
動かなくなった女の体に靴底をあて、長剣を引き抜く。刃に残った血糊を、引き裂いた自分の上着で拭った。
清めた刃を手に、レミは振り返った。
城主が青ざめる。襲撃の際、腰を抜かし、まだ力が入らないのだろう。アワアワと口を戦慄かせ、あお向けのままレミから遠ざかろうと、床の上でのた打ち回る。
「な、何を、塔から出て、何を」
口から泡を飛ばす城主を、レミは見下ろした。細かい表情は、距離と暗さのため分からない。柄を握る手が、震えている。
「レミ、だめ」
シエロの声が響いた。だが、それも、レミの耳の先の毛を一本、靡かせる影響力すら持っていなかった。
「こ、殺すなら、殺せばいいっ」
「レミ」
咎めるような声は、トリルだった。
壁で体を支え、トリルは立ち上がった。鞘を杖に、足を引きずり、レミへ近付く。
灰褐色の髪が靡いた。
音もなくトリルへ歩み寄ったレミの手元で、小さく金属が擦れる。
シエロは息を飲んだ。
トリルの脇を通り過ぎ、レミは何事もなかったように歩いてくる。その手には、何も握っていなかった。長剣は、トリルが握っていた鞘に、納まっていた。
「レミッ」
トリルの叫びは、どこか悲痛だった。
松明の灯りが作る逆光の中で、レミは唇をきつく引き結んでいた。
「待たせた。行こう」
低く促す目が悲しく潤んでいるのを、シエロは見た。
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