彼女の意志で

 シエロは、ソゥラの珠の力に包まれ、レミと共にゆっくり下降した。

 地面に足をつくと、安堵で力が抜けた。膝から崩れ落ちた。

「大丈夫?」

 助けたレミに心配され、シエロは苦笑した。

「うん。よかった。念のため、取り出しやすいところに移してて」

 嫌な予感が的中しやすいと自覚するのも、役に立つものだ。ファラに縄を伝って外壁を上り下りするよう言われた時から、用意していた。そのときがあれば迷わず使うと決めていた。始終用心していた。そのため、縄の張りが急に弱くなったとき、すぐに気がつけた。

 落ちるレミを追って縄を手放し、外壁を蹴ったときは無我夢中だったが。改めて、恐怖がジワジワと湧き出した。膝に力が入らない。

 羽音がして、ファラが舞い降りた。抗議するように、横の髪を啄ばまれる。

「ごめん、ごめん。でも、ありがとう、ファラ。見張り台の縄を見つけたのも、助ける方法を考えてくれたのも、ファラなんだよ」

 呆然と座り込む獣人の前で、ファラは壁際に隠しておいた服へ潜り込んだ。

 人型に変わるファラに、レミは溜息をついた。

「鳥人なんて、居たんだ」 

「獣人から見ても、珍しいの?」

「そりゃもう。竜と同じようなものかと思っていた」

 レミが掲げた腕輪に描かれていたのは、竜だった。存在するか、しないか、判然としない竜と同じ。言われても、生まれた時からファラと生活していたシエロには、ピンとこなかった。

 それより、とレミは立ち上がった。窓から出てくるとき、ふらついたり、目の焦点が合わなかったりしたが、今は大丈夫そうだ。珠のお陰かもしれないと、シエロは、心の中でソゥラへ感謝を述べた。

 レミが、しきりと空気の臭いを嗅ぎ、辺りへ鋭く視線を回す。不安そうな様子に、シエロはレミの袖を引いた。

「さっきも言ったように、警備の人は皆、応戦している。今のうちに逃げよう」

 だが、レミは怒ったような目で、首を横に振った。

「ここは、私の家でもあるの。家族や城の者の安全を確認せず、逃げることはできない」

「向こうは、そう思っていないのでしょ」

 小首をかしげたのは、ファラだった。レミの目に、さらなる怒りが点る。獲物に跳びかかる前の獣の目に、シエロは思わず外壁へ張り付いた。

 小刻みに震えるレミの拳が、ハラリと解かれた。見上げると、彼女の吊り上った目が潤んでいた。

「そう、だね」

 呟くと、レミは踵を返した。体の動きに合わせ、灰褐色の尾が揺れた。

 三人は、黙々と正門まで歩いた。見咎める者はいなかった。

 正門前の広場に出た。

 シエロが忍び込んだときは、一面火の海だった。

 侵入者たちは、用意していた油を撒き、火を放った。消火に駆けつけた警備兵を次々に叩き伏せ、城内に突進した。

 今、真っ黒に煤けた広場では、所々で鎮まりきらない火がくすぶり、白い煙をたなびかせていた。

 レミの耳先が、ピクリと動いた。

「父上」

 シエロが止める隙もなかった。

 レミは身を翻すと、城へ走った。

「待って」

 すぐさま後を追うが、彼女はシエロより身長が高く、足も速い。たちまち引き離された。城内に入って右へ曲がった横顔は確認できたが、焼け落ちた扉を潜ったとき、煙の立ち込める廊下に、レミの姿はもうなかった。

 城内は、まだ燃え続けていた。塔へ続く階段から、火の粉が噴き出す。あのままレミが閉じ込められていたらと、シエロは背筋を冷やした。

 時折、どこかから風が入り、油煙をかき混ぜる。喉が苦しくなり、数回咳こんだ。襟巻きを引き上げ、口元を覆うが、一度入った油煙は気管を刺激した。

「外へ出ましょう」

 ファラは門へ足を進めた。慌てて、シエロは首を振った。

「レミが」

「彼女は、彼女の意志で戻ったのです。これ以上、シエロ様が関わるべきではありません」

 ファラは、いつも正しい。

 しかし、その正しさが、今はもどかしかった。

 迷う間に、横の廊下から足音が近付いた。身を隠すところを探す間に、まだ年若い侍女が駆けてきた。焦りと激情に強張った表情が恐ろしい。立ち尽くしたシエロを一瞥すると、そのまま脇を走りすぎる。

 塔に上る階段へ駆け込むつもりだ。シエロは、慌てて彼女を追いかけ、腕を掴んだ。

「危ないよ。まだ燃えてるじゃないか」

 腕の細さからは予想もしなかった力に引かれ、シエロはつんのめった。ジャラリと金属の音がする。

「だから、です。邪魔しないでください。やっと、鍵番を鍵を手に入れたんですからっ」

 塔、鍵。シエロは、彼女の目的に気付いた。

「もしかして、レミを?」

 侍女は、大きな目で睨みつけてきた。

「敬称!」

「え、はいっ」

「お嬢様を呼び捨てにするなんて、新人であろうと許しませんよっ」

 どうやら彼女は、シエロを新人掃除夫かなにかと思っているようだった。鍵束で殴られそうになる。

 身を縮め、シエロは廊下の右手を指差した。

「レミ様なら、あちらへ行かれました」

「なんですって」

「あの、僕達が、その、彼女を先に部屋から出して」

「でかしたっ」

 グイと、胸倉を引き上げられた。そのまま、ひきずられる。

「あなたも、城の一員ならついてきなさいっ」

 剣幕に、弁明の隙も無い。シエロは大人しく、侍女に従った。

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