確執

 耳をすませたシエロも、轟く蹄の音を聞いた。

「なんで」

 苦い呟きがレミの口から漏れた。

 瞬く間に姿を現した警備隊員たちは、半円状にレミを囲んだ。下り道は塞がれた。

 竜紅玉の額飾りを着けた男性が、馬を進めた。黒髪に茶色の瞳と、レミとは違う色だったが、鼻筋から顎にかけてレミによく似ていた。

 だが、レミを見下ろす目には、怒りの他に、憎しみと蔑みがありありと浮かんでいた。まるで、汚物を見るかのような眼差しに、シエロはゾッとした。

「またお前か」

 吐き捨てるように言うと、男性は鐙から離した足を振り上げた。

 反射的に避けたレミだが、表情に浮かぶのは苦痛だった。

「トリル様、あの」

 恐る恐る近付いた門番は、男性に睨まれ、締められた鳥のような悲鳴をあげ、平伏した。

 警備隊のふたりが、地面に転がされた男を抱え、馬の背に縛り付けた。続けて、レミへ近付く。その手には、罪人を縛るための縄があった。

「ねぇ、待ってよ」

 シエロは、勇気を振り絞ってレミの前へ出た。いや、出ようとした。足が言うことを聞かず、つんのめるように数歩進んだだけだった。

「レミは、悪いことしてないよ。泥棒を捕まえたんだよ?」

「何者だ」

 低く誰何され、シエロは唾を飲み込んだ。恐怖と緊張で喉が苦しくなったが、堪えた。グッと顎を上げ、男性の額で揺れる竜紅玉を見上げた。

「旅の楽師です」

 旅に出た数日間で、身分を名乗るには最適なのが旅の楽師であることを心得た。場合によっては、名乗る必要もなく、相手は納得してくれる。

 だが、トリルの前では逆効果だった。彼は更に声を低くした。

「旅人が、何故このようなところへ足を踏み入れる。お前も、窃盗団のひとりか」

 細められた目の冷たさに、シエロは青ざめた。

「その人は関係ない。新人作業員に間違われただけだ」

 トリルとの間にレミが割り入った。振り返り、口の動きだけで「黙れ」と伝えてくる。

 その態度も、トリルの気に障ったようだ。馬を進め、シエロを見下ろした。抱えた竪琴に目を留める。

「先日、市場に居た楽師か」

 苦々しい表情は、偶然を疑っていた。

 繊細な彫刻を施した鞘から長剣が抜かれた。幅広の鍛えられた刃に、ギラリと光が滑る。刃と柄の継ぎ目には、血を吸い込んだかのような濃い色の竜紅玉が嵌められていた。

 切っ先が、シエロの眉間を狙う。

 その状態で、部下へ顎をしゃくった。

 ふたりの警備兵がレミへ縄をかけた。グル、と不機嫌そうに喉を鳴らしはしたが、抵抗はしなかった。

 馬が巻き上げた土煙を、冷たい風が道の脇から続く崖へ流し込んでいく。見上げた山の頂上には、まだ雪が残っていた。

「どうして、あんなこと」

 地面に座り込むシエロに、門番が項垂れた。

「ならず者を懲らしめるのは、トリル様率いる警備隊の仕事なんだ。レミ様が手伝ってくださることで、私達は助かるけど、トリル様からしたら、手柄を横取りされたように思うんだろうね」

 実際、と門番は警備隊が去った山道を見詰めた。

「秋の公式試合で、大衆の目前で、レミ様はトリル様を打ち負かしてしまわれた。実力は、誰の目から見てもレミ様の方が上なんだ。だけど、男性が治めると決められたこの町では、次の城主に決まっているトリル様が一番でなければならない」

 王都では、女性が取り仕切る店や組織がたくさんある。男性でも女性でもない人もいる。その中で、実力のある人が他の人を導く。

 だが、クリステの町ではそうではない。

「そんなの、効率悪いし、レミの実力がもったいないよ」

 憤ると、ファラに窘められた。

「外部者である我々が口出しできることではありません。それに」

 ファラが示したのは、掘り出した鉱石を荷車に積み込む男達だった。

「鉱山の仕事は、力仕事がほとんどです。町を豊かにする元を作るのが男性なら、この町は男性が統治したほうが都合がいいのでしょう」

 しかし、レミは獣人だ。並みの男性より力がある。

 尚も反論しようとしたシエロは、ハッとして口をつぐんだ。

 先程門番は言葉を濁したが、シエロも成人間近の男子だ。血の繋がりや、子供を授かるまでの経緯を知識の上でなら知っている。

 この世界では、獣人の血を半分以上持って生まれた子が、獣人として産まれる。それ以外は、家系に獣人がいても人の姿となる。同じ父と母から産まれたのであれば、兄のトリルが人なのにレミが獣人となるはずがない。

「ここに居ても仕方ありません。下山しましょう」

 ファラに促され、険しい山道を下る間も、シエロは心の重さに押しつぶされそうだった。

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