獣人レミ・クリステ
沈み込むシエロを気遣い、工場の門番が検問小屋の窓から身を乗り出した。
「夕方になれば、町に下りる馬車が出るから、乗せてもらうのはどうだい? 製品を下ろす車はダメだけど、灰を下ろす車なら、話を通してあげられると思うよ」
労働者は、敷地内に住まいを与えられているそうだ。案内してくれた女性は、そこに住む親戚へ荷物を届けにきたついでだった。
自分たちの足で下っても、町へ着くのは日没後になるだろう。山間の日没は早い。
「次の町へ行くのも、遅くなっちゃうね」
山道が続いていれば、このまま山を縦断することも考えた。しかし、険しい斜面が続く一帯であるため、下手に道を外れて行けば命取りになる。一度町へ戻り、街道を行くべきだろう。
夕方まで待つと覚悟を決めかけたときだ。蹄の音が道を登ってきた。
「レミ様」
門番の前で、馬は速度を緩めた。
「どうした?」
顔を覆う襟巻きを押し下げ、騎乗の人物が門番とシエロを見下ろした。おや、と呟きが漏れたのと、シエロが「あ」と口を開いたのは同時だった。
馬を軽やかに操っていたのは、市場でシエロを助けてくれた獣人女性だった。昨日と違い、男装だった。跨った鞍の上で、髪と同じ灰褐色の尾がフサリと揺れる。
シエロが、言いそびれていた礼を口にする前に、レミは素早く自分の口の前に人差し指を立てた。慌てて口を抑えるシエロにニヤリと笑いかけると、彼女は門番へ向き直った。
門番から事情を聞くと、逡巡した後に頷いた。
「一刻待っててくれたら、馬に乗せてあげるよ。なに、エメルダは、私の他に軽そうなふたりを乗せるくらい、何てことないよ」
栗毛色の首を撫でられ、馬は鼻を鳴らした。
「ただ、中に入ってもらうわけにはいかないから、ここで待ってもらう」
エメルダと呼ばれた馬を門番に預け、レミは敷地内へ入っていった。
門の外に設けられた厩で、シエロは退屈しのぎに竪琴を爪弾いた。
急な山道を駆け上り、興奮気味だったエメルダの鼻息が、静まっていく。長い睫毛に覆われた黒い目でシエロを見詰め、形の良い耳を立てた。
その様子に、新しい藁を抱えてきた門番が感心して溜息をついた。
「エメルダにも、音楽が分かるんだねぇ」
ブルルと鬣を振り、エメルダはブラシを見せた門番へ大人しく首を差し出した。
指鳴らしのための簡単な旋律を繰り返すシエロに、門番は気さくに喋り始めた。
「レミ様はこの町の城主の娘なんだ。長兄も次兄もちょっと物足りない人でね。彼女は、後を継ぐことは出来ないけど、ああして町の人が困ったことを抱えていないか、話を聞きにきてくれる」
「後を継げないって?」
ファラに袖を引かれた。門番は、眉間に皺を寄せる。軽率な質問だったのかと、シエロは気まずく身を縮めた。
深い息をつき、エメルダの首を撫でて、門番は捲っていた袖を下ろした。
「この町では、どんな小さな集団でも、長を務められるのは男子だけだ。それに、彼女は正妻の子だけど、獣人として産まれた。ああ、ちょっとまだ早い話かな」
理解できていないことが、表情に出ていただろうか。門番は、曖昧な笑みで話を濁した。
何故誤魔化されるのかも理解できず、首を捻った。目でファラに問い掛けるが、それもいつもの無表情で流される。
冷たい風が一筋、加工場の煙を伴って流れ込んだ。鼻腔を擽られ、シエロはクシャミをひとつ、山肌へ響かせた。
門番は気遣って、毛布を持ってきてくれた。
「本当なら、中でお茶を飲みながら待っていてもらいたいところだけどね。警備が厳しくて、部外者は、切符がないと入れられないんだ」
大丈夫、と手を振り、シエロは頷いた。
「町で、皆が教えてくれました。竜紅玉は、この町の宝なのだと」
「そればかりじゃなくてね」
門番は、エメルダ用の水を満たした。
「坑道の作業は危険が伴う。おまけに重労働だ。奥の門より先には、罪人の強制労働所もある」
「え、もしかして、僕」
罪人と間違われ、案内されたのだろうか。青ざめるシエロを、門番はおかしそうに笑った。
「私も昔は方々を旅して歩いたけどね。どの町にも、ひとりで強制労働の場に歩いて行く罪人なんて、聞いたこともないよ」
「そ、そうですよね」
心底安堵するシエロに、門番はしばらく肩を震わせていた。
エメルダが首をもたげた。
加工場から、剣呑な声が上がった。門番が表情を引き締める。
嫌な予感に、シエロは厩の入り口を支える太い柱へ身を隠し、首だけを覗かせた。
奥から作業員と思しき男が走ってきた。が、様子がおかしい。
「待て。止まれ」
門番が両腕を挙げ、進路を塞いだ。更に勢いをつけた男に突き倒された。転がされながらも、男の足首を掴んだ。
地面に倒れた男の懐から、真っ赤な石が零れ落ちた。
「待っていろ」
レミの声が近付いた。男は慌てて起き上がろうとするが、門番が必死にくらいつく。厚い底の靴で蹴られても、手を離さなかった。
追いついたレミが男の手首を掴んだ。背中へ捻り上げる。片手を振ると、巻きつけていた縄が解けた。
「観念しろ。もう逃げられないぞ」
両手を後ろ手に縛られ、さらに猿轡も噛まされて男は恨めしそうにレミを睨んだ。足首も縛られ、芋虫のように転がされる。
「はい、終了」
両手の砂を払い、ニンマリとするレミと目が合った。
「時々居るんだよ。作業員に紛れて、石をくすねていくのが」
「いや、助かりました」
門番が、鼻血を拭いながら頭を下げた。
「じゃあ、私はこの人たちを下ろすから。あとはよろしくね」
にこやかに手を振るレミの耳が、ヒクリと動いた。険しい表情で、山道を透かし見る。
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