勇気を出して

 日没からだいぶ時間が経っていたが、頃合の宿がとれた。だいぶ野宿に慣れてきたから外でも良かったのだが、ファラが首を縦に振らなかった。

「夜気が冷たくなっています。お身体に障ります」

 そんなことはないと反論しようとした矢先に、吸い込んだ冷たい空気にむせて咳き込んでしまっては、身も蓋もなかった。

 階下の食堂で遅い食事をとっていると、酔客の話が耳に入った。

「トリル様が、ついにレミ様を塔に閉じ込めたって?」

「ああ、俺も聞いた。ついに、やっちまったね」

「獣人とまともにやりあっちゃ、勝てないからなぁ」

 立ち上がろうとして、ファラに制された。くすぶる苛立ちをぶつけられた塩茹で芋が、皿の中で哀れなペーストになった。

「しかし、閉じ込めてどうするつもりだろうね。后と同じ運命を辿らせるとしたら、ちょっと酷じゃないかな」

「そいつは困るな。何せ、警備隊は動きが遅くて、事件があっても片付けしかしない連中だから」

 声を顰め、クククと笑っている。

 食事を続けるのを諦め、シエロは店員に残りを油紙に包んでもらった。変わり果てた塩茹で芋も一緒に、野菜の隅に押し込まれた。

 部屋へ上がる階段を通り過ぎるシエロに、ファラも無言でついてきた。

 月が明るかった。

 照らし出された青白い道を、シエロは城を目指して歩いた。

「どうなさるつもりですか」

 ファラの声に、咎めはなかった。疑問が満ちていた。

「大丈夫かな、て。助け出すなんて、無茶は言わないけど。あと」

 市場で助けてもらった礼も、人質にされてしまった詫びも伝えないまま次の町へ行くのは、心残りだった。

「そのためだけに、危険を冒すのですか」

「危ない、よね。やっぱり」

「夜に城へ近付く者は、疑われても仕方ありませんよ」

 正論だ。しかし、シエロは足を止めなかった。

 しばらく無言でついてきたファラが、最後の曲がり角で呟いた。

「少し、変わられましたね」

「え」

「咄嗟のときでもないのに、シエロ様が自分より強い相手に向かっていかれるなんて」

 微妙に、嫌味を言われている気もした。物心ついたときから知っているファラは、意図して蔑みを言わない。が、発言に遠慮がない。

 嫌味に感じるのは、気にしすぎているからだろうかと、シエロは苦笑した。どうやら自分は、追い詰められたり咄嗟の軽はずみで、見境なく飛び出してしまう性格らしい。旅を始めて数日の間で、十分に思い知らされた。困難や、自分より強いと感じた相手を前にすると、すぐに諦めてしまう性格だということも。

 つくづく、自分のことが嫌になる。

「う、ん。まあ、本当は、凄く怖い」

 だけど、とシエロはモジモジと付け足した。

「なんかね、シドを見て、相手がどうであれ、自分の意思を真っ直ぐ持ってて、あんな風になれたらいいな、て」

 竜を探す旅も、そうだ。

 王の掌中には、母と技芸団の仲間の命が握られている。逃げ続け自分の命が助かったとしても、彼らを見捨てた後悔は、死ぬまでシエロに付きまとうだろう。

 その王が求める竜は、さらに強い。王が求めているから来てくださいと頼んで、はい分かりましたと応じてくれるとは考えにくい。

 自分より強い者にも、果敢に立ち向かう勇気。

 シドには、それがあった。

 もし敵わず命を落としても、心は救われる。

 竪琴を弾くしか能がない非力な自分でも、なけなしの勇気を振り絞れば、立ち向かうことだけならできるかもしれないと、考えられるようになった。

「シド、元気になったかな」

 元気を取り戻し、この月を見ているだろうか。

 藍色の夜空を背景に、城は、町の最も高い丘に黒々とそびえていた。ずっと上り坂だったため、シエロの呼吸は乱れていた。咳き込んで守衛に見つからないよう、襟巻きを口元に巻いて、しばらく息を整えた。

 その間に、城を観察した。

 塔は、いくつかあった。

 トリルはレミを完全に罪人扱いしていた。罪人を閉じ込めるなら、どの塔にするか。城の中心から離れた、最も高い塔か。それとも、監視の行き届く近くの塔か。それともそれとも。

「さっぱり、分かんない」

 頭を抱えてしまった。支配者の考えることなど、技芸団の下っ端には想像がつかない。

 侵入できても、全ての窓を確認する間に守衛に見つかってしまうだろう。

「いくつか目標をしぼるしかないんだけどな」

 こんなとき、翼があれば、と、無意識にシエロはファラを見詰めた。鳥人だったら、怪しまれることなく塀を越え、窓を見て回れる。

 はあぁぁ、と長いファラの溜息に、シエロは我に返った。

「分かりました。行ってきます」

「ちが。ファラを危険な目に遭わすわけには」

「シエロ様の無謀な行動に巻き込まれるより、安全です」

 短く息を吐き、変化の際の光が城から見えない場所を探すファラに、シエロは項垂れた。

「ごめんなさい」

「シエロ様を守ると決めたのは私です」

 斜面が大きく抉れて崖になっている場所を見つけると、ファラは黒目がちな目で念をおした。

「シエロ様は、さっきの街道脇の茂みでお待ちください。切羽詰ったことが無い限り、動かないでください」

 頷き、シエロは自分の上着でファラを包んだ。変化の光を少しでも弱めるためだ。

 白い鳥になったファラは、夜にも関わらず真っ直ぐ城へ飛んだ。猛禽類も、相手が鳥人と察すると襲うことはないと聞くが、心配だ。暗がりに浮かぶ白い点が見えなくなるまで、その場で見送った。

「いけない。茂みで待たなきゃ」

 城から光が確認されていたら、守衛がこの場所に来るだろう。そうなる前に、移動しなければならない。

 ファラの残した服を畳み、外套を羽織る。身を屈めて街道へ戻った。

 身を隠す茂みを決めかねていると、足音が聞こえた。その場で、音をたてないよう草の中にしゃがんだ。

 城の守衛ではない。ひたひたと、足音は坂道を登ってくる。

 暗がりから現れたのは、人相の悪い集団だった。十名は軽く超えている。近付くにつれ、金属が触れ合う音や、重く液体が波打つ音も聞こえた。

 どう見ても、不穏な集団だ。

 心臓の音が相手に聞こえてしまうのではないかと、不安になった。喉が狭まり、息苦しくなる。必死に口を押さえ、咳を我慢した。

 幸い、誰一人シエロに気がつくことなく、足早に街道を通り過ぎ、城壁の影へ滑り込んでいった。

 頭上で羽音がした。

「ファラ」

 服を広げると、舞い降りた白い鳥へ優しく被せる。モゾモゾと移動した布の膨らみが、ゆっくりと大きくなっていく。

 変化しながら器用に服を着たファラは、まず、シエロの無事を確認した。

「レミの場所が分かりました。東から二番目の塔です」

 酷いことをされた感じはしないとの報告に、ひとまずシエロは胸を撫で下ろした。同時に、不穏な集団が気になった。

「戻ってくるとき、ファラにも見えたかな。さっき」

 言い終わらないうちに、城から火の手が上がった。

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