折れた心
手足の痺れは弱まったが、頭はまだ重い。レミは自室の寝台で、抱えた膝に顔を埋めていた。
縄や鎖による拘束は、獣人の力の前では無力だ。トリルは、魔導師に調剤させた特別な薬でレミの自由を奪った。
もとより、逃亡しようなどと露ほどにも思っていない。歯向かうつもりなど、ない。
だが、トリルも城主も、レミを恐れている。扉は外から頑強に施錠され、外へ通じる唯一の階段に、警備員が配備されているだろう。
発熱により、全身がだるい。吐息の度に顔周りに籠もる湿気を逃そうと顔を上げれば、太い腕輪が目に入った。外壁に反射した月明かりでぼんやり浮かぶ腕輪を、指の腹でなぞる。
表面に掘り込まれた模様は、長い月日の間に薄くなっていた。ビューゼント王国の始祖王を助けたとされる伝説の生き物、竜を象ったものと教わったが、残っているのはポツポツとした鱗模様だけだ。
あの頃は良かったと、レミは腕輪を撫で続けた。この腕輪の持ち主である母方の祖父が城主だった時代には、レミも兄達同様、「城主の子」として扱われた。
祖父が亡くなって、新しく城主となった父は態度を一変させた。人望ある舅と外交に長けた嫁に囲まれ、肩身の狭い思いから不満も積み重なっていたのか。
表舞台から妻を追放し、はっきりと獣人の形をとるようになったレミを外部の目から隠した。窓はあるが、四方を別の塔や建物の外壁に囲まれた、この塔に幽閉した。
だが、外交の場に立った父の取引は、ことごとく失敗した。町の収益は減り、貧しくなった人々は、母を元の地位に戻すよう、要求した。
そのとき、すでに母は心を病んでいた。業務を執行することが出来ず、次の年には、階段から足を滑らせて亡くなった。
事故だった。だが、人々は、信じなかった。父の息がかかった者が、暗殺したのだと言い募った。
人々の怒りを鎮めるため、父はレミの軟禁を解いた。
母の業績を認める民は、レミの出生についても哀れんだ。危険な相手と分かっていながら、取り引きに同席せず、碌な警護も付けなかった夫の非だと言って、彼女を責めることなく受け入れてくれた。小さな善行を積み重ねることで、レミは多くの町民の支持を得るようになった。
それが、父や兄の不評を買っている。
今回も、そうだ。
数日前まで具合が優れなかった長兄を助けたかった。得意先の城主から盗まれた『竜の心臓』が膝元の市場にあるのに奪い返さなければ、責めを受けるのはトリルだ。
長が管理すべき鉱石を、原石であろうと持ち逃げされては父の名が汚される。
ただ、彼らを手伝いたい一心だった。しかし、彼らは、レミを中心にした勢力がいつか、町の秩序を覆すと恐れている。
分かっている。
レミは、再び膝の間へ顔を埋めた。
出すぎたマネをしたと、自覚はあった。
採掘量は、年々減少している。新しく鉄鉱石の採掘も始めているが、加工技術に疎く、原石を他の町に安く買い叩かれてしまう。
このままでは、町は貧しくなる一方だ。
しかし、今日のことで、レミの心が折れた。何をしても、彼らは良く思わない。それならば、呪われた獣の耳と尾を二度と人の目に晒すことなく、この塔の中で一生を送るか、どこか遠くの国で傭兵として働くしかない。
洟をすすった。
流れ込んだきな臭さに、レミは顔を上げた。薬による感覚の変化かと疑った。スンスンと注意深く臭いを探る。
油を含んだ煙の臭いだ。
立ち上がると、眩暈がした。ゆっくり扉に耳を押し当てると、階下で争う人の声がする。
「何、が」
塔の下部は、客人をもてなす大広間と表玄関を繋ぐ廊下だ。自分を始末するつもりなら、塔ごと燃やすことはしないだろう。
だとしたら、考えられるのは大きくふたつ。
城の誰かの不審火で燃えているのか。
外部からの襲撃を受けているのか。
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