みんなを

 赤い稲妻の多くは、幾度も折れ曲がりながら魔導師長たちの集団へ襲い掛かった。すばやく防御魔法を巡らせたようだが、いくつかは力による障壁を突き破り、外套を引き裂いた。

「転移を」

 魔導師長の命令で転移魔法が発動するが、完了までの間に数名が身体のどこかから血を流していた。

 吠え続けるシドから発せられる稲妻は、室内にも飛び交った。

「やめて。シド、やめてーっ」

「無駄です。彼には、何も聞こえません」

 稲妻が迫る。シエロたちへ到達する前に、何かに遮られ薄い膜上に広がって消えていく。その度に、トナが小さく呻く。

 カーポだ。トナに憑依したカーポが、シエロたちを守ってくれていた。だが、その力も見るからに弱まっていく。

「止められないの?」

「少なくとも、私には無理です」

「このままだと、どうなっちゃうの?」

「持てる力を放出し続け、やがて力尽きるでしょう。それまでカーポ殿の力が続けば、生き延びれます」

 自分だけ生き延びるのは嫌だった。誰にも犠牲になってほしくない。

 しかし、シエロには何の力もなかった。ただの、楽師だ。竪琴を爪弾き、心を癒す手伝いは辛うじて出来るようだが、この場において役立つものではない。

 握り締めた懐に、硬いものがあった。

 ソゥラがくれた珠だ。自分の力ではどうにもならないことがあれば使うようにと渡された、魔道具だ。

 夢中で、ひとつを取り出した。

 握り締め、下唇を噛む。

 どう願えばいいのだろう。シドを止めるだけでは、大火傷を負ったトナやカーポを救えないのではないか。カーポを回復させてシドを止めてもらうことも考えたが、確実ではない。

 迷う間にも、トナの息は細く、カーポの力は弱くなっていく。力を放出させ続けるシドも、本人の体力は限界のようで、うずくまる力も果て、横たわっていた。

 みんなに助かってもらいたい。

 襲撃された技芸団の光景が脳裏に蘇った。

 あのときも、シエロは、ただ怯え、天幕の隅にうずくまっていることしかできなかった。団長や仲間のように、明らかに勝ち目の無い騎士団へ立ち向かう勇気もなく、物陰に隠れていた。母が捕らえられたときに、堪えきれず声をあげ、騎士に突き倒された。

 今も、同じ愚を犯してしまった。

 同じ結果にしたくない。

 あの時も、シエロは心の奥で願っていた。誰か、どうか、みんなを助けてください、と。

 珠を握る拳に、力が入った。

 シドに、トナに、カーポに、そしてファラに無事でいて欲しい。

 拳の内側が熱くなった。

 指の隙間から、白い光の粒が舞った。ほわりと夜光虫のように浮き上がり、ふわふわと上下しながら移動する。

「シエロ様?」

 振り返ったファラの鼻先にとまった光が、雪のように解けた。表情が乏しいながら数回瞬きを繰り返し、首を傾げていた。

 光の粒は、荒れ狂う稲妻の間を優雅に漂う。いくらかは奥の部屋へ流れ、いくらかはトナの身体に舞い降りた。そして残りは、横たわるシドと魔法の杖を覆っていった。

 光る雪が降り積もる光景に、シエロはぼんやりと口を開いて座り込んでいた。いつの間にか開いた掌に、珠はもうなかった。


 竪琴の音は、薬草の束の間を静かに流れた。

「よい音だった」

 弾き終わると、カーポは閉じていた目を開けた。先刻まで息も絶え絶えだったとは思えぬ、静かな姿だった。

 ソゥラの珠は、トナと小猿に憑依していたカーポの命を救い、シドの魔術の暴走を止めた。が、杖に体力を奪われたシドは深い眠りに落ち、いくら声をかけても反応がない。命に別状はないとのカーポの見立てに安堵したものの、落ち着かないシエロは許しを得て、竪琴を爪弾かせてもらった。

 寝台に横たわったまま、カーポは顔を窓へ向けた。薬草の束がカーテンとなり、外の風景はほとんど見えない。彼の目は、風景よりも遠くを見ているようだった。

「わしが召還するよう命じられたのは、竜だった」

「マギクの城でも、竜を必要としていたんですね」

 言われたとおりに煎じた薬湯を手に、シエロは俯いた。

 力を与えると言われる竜。誰もその姿を見たことがないのに、どこかに居ると信じられている生き物。

 本当に召還できるものなら、王もシエロなどに探してくるよう命じず、魔導師に召還させるだろう。

 カーポの苦い表情にも、命令への反感が窺えた。

「わしを、魔導師長の座から蹴落とそうとするあやつらの仕業だと、すぐに分かった。が、城主の前でやれるだけはやらねばならぬ。それが、当時のわしの地位だった」

 薬湯を口に含み、老魔導師は太い息を吐いた。

「間違った魔方陣を可能な限り正しながら召還魔法を使用した結果、異世界から民を呼び寄せてしまった」

「それが、シド」

 シエロが隠れていた机の下の奥のほうに、くすんだ青っぽい鞄のようなものがあった。四角張っていて、ひとつの面にギザギザの線が入っているが、開口部がどこなのか分からないものだった。太く平たい紐の付け根にある銀色の金具は、鉄ではなさそうだった。シエロばかりか、ファラも知らない金属だった。

 重く頷き、カーポは長い髭を撫で下ろした。

「引退を迫られ、わしはあの子を引き取って、この町外れに隠居した。だが、あやつらは、わしの杖を狙っておった。愚かなことよ。我々は、魔道具を選べない。魔道具が、魔導師を選ぶというのに」

 キッと短く鳴いて、トナがカーポの膝に跳び載った。灰色の毛並みは艶やかに、窓からの淡い光をはらんで輝いていた。

「怪我をしたトナを拾ってきたのも、あの子じゃ。世話をして、すっかり手懐けた。寄せ口も憑依も、ある程度心を交わした動物としかできん。足腰が弱って外出もままならぬわしが町の様子を見れるようになったのは、トナを慣らしてくれたお陰じゃ」

 頭を撫でられ、トナは嬉しそうに目を瞑った。

「しかし、まだ若いシエロ殿が、あのような魔法を使えるとは、のう」

 穏やかな、しかし奥底で探るような目で見詰められ、シエロはしどろもどろに懐を押さえた。

「前に、助けてくださった方から、いただいたのです」

「シエロ殿が、けして悪用しないと信頼してのことであろう。あの珠は、使う者が使えば、世界を滅ぼすことすらできる」

「そんなに強いものなのですか」

 驚くシエロに、ファラも小さく頷いた。途端に、懐が重く感じた。使い方には気をつけなければならないし、盗まれたりしては大変だ。責任の重大さを噛み締めると同時に、何故、ソゥラが集落に流されただけのシエロをそこまで信用し、助けてくれるのかと不思議だった。

「シドも、目を覚まさぬが、もう大丈夫じゃろう。たいした礼も出来んが、この家にあるもので欲しいものがあれば、要るだけ持って行きなさい」

 カーポの申し出はありがたかった。しかし、シエロの軽率な行動で事態をややこしくしてしまった部分もある。

 シエロは丁寧に礼を言うと、おずおずとトナへ手を伸ばした。大きな目で油断なくシエロを観察しながらも、トナは動かなかった。

 柔らかな毛に覆われた小さな頭を、そっと撫でる。

「じゃあ、トナ。後はお願いしていい?」

 トナは、小さく歯を見せ、短く鳴いた。

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