杖の持ち主


 カーポは、乾いた咳をした。続く咳の辛さを知るシエロは、小さなテーブルにあった茶を老人へ差し出すと、背中を摩った。

「すまんな。わしに、あやつらを撃退する力が残っておれば、苦労させずすんだものだが」

 骨に皮が張り付いたような細い指が、壁の一角を指差した。シエロがその場へ行くと、さらに細かい指示が出た。

 壁に並べて立てかけられた杖へ順に手をふれ、ようやくカーポが「それを」と言った一本を引き寄せた。

「お、重」

 見た目は、シドが持っている杖と変わらない。太いほうの先に、赤子の拳大の赤い珠があることが相違点だ。だが、床を擦らないよう担いだ肩に食い込む重さだった。

「すまんが、それを、シドへ」

「カーポ殿。それは」

 首を傾げるファラへ、カーポは皺だらけの顔を歪ませた。

「真の持ち主が誰か、あやつらに思い知らせるのよ。さあ」

『わしがトナを通じて助けるから、シドへ、杖を』

 トナが頭へ乗った途端、杖の重みが減った。竪琴より重いものを持ったことのないシエロでも軽々と抱え、走れる。

「分かりました」

 頷いたものの、足は震えていた。

 相手は、城に仕える魔導師たちだ。マギクの城の魔導師長なら、王都を除けばビューゼント王国で最も力のある魔導師だ。

 本当に、勝ち目があるのか。シドのところへ到達する前に、殺されてしまうかもしれない。

『さあ』

 小猿を通して促され、シエロは目を瞑り、頭を大きく数回振るった。

 そして、走り出した。

 山賊から逃げるのとは違う怖さがあった。迫る危険から遠ざかるために走るのではない。危険へ向かって進まなければならないのだ。

 それでも、シドがやられてしまえば、自分もどうなるか分からない。他人事では済まされないと、理解はできていた。

 シドは既に、戸口の前で膝をついていた。両肩を大きく上下させ、開け放した口で荒い呼吸を繰り返す。

 それでも、闘志は薄らいでいなかった。

「シド」

 シエロが差し出す杖にいち早く反応したのは、魔導師長だった。

「ようやく、返す気になったか」

 高らかな哄笑を遮ったのは、小猿の口から発せられるカーポの声だった。

『たわけ。お主の汚れた手に触れさせるくらいなら、竜に食わせるわ』

 心得たように、シドは杖を握った。石突を床へ突き立て、すがりながらも立ち上がった。その肩へ、トナが跳び移る。

 大きく息を吸ったシドは、すでに力強く立っていた。すっきりと背筋を伸ばし、臆することなく魔導師長をねめつける。

「下がっていろ」

 言われたとおり、ファラの助言もあってシエロは最初に吹き飛ばされた窓の側に置かれた机の下へ潜り込んだ。

 シドの耳元で、トナが口をもごもご動かす。合わせるように、シドが低く詠唱を始めた。今まで聞いていた彼の声より低く、太かった。大地の底から何かを呼び出すような凄みがあるかと思えば、すぅっと上がり、腹の底を揺さぶる波を起こす。

「良い声です」

 囁くファラへ、シエロは頷いた。

 シドの声に合わせ、杖の先で珠が点滅した。

 対する魔導師長も、詠唱を唱えている。距離を考えても、圧倒的にシドの方が力強かった。

 だが、詠唱の力が魔術の強さに直結するわけではない。

 詠唱を終えたのは、魔導師長が先だった。青白い稲妻が襲い掛かる。

「避けて」

 思わず叫んだが、シドは動じなかった。稲妻を全身に受けながらも最後まで詠唱を唱える。

 光の眩さに、シエロは目を閉じた。それでも瞼を透かせる明るさに、顔を腕へ埋めた。

 地面が揺らいだ。

 呻いたのは、シドだった。身体を二つ折りにし、再び膝をつく。口の端からは、血が流れていた。それでも、杖は掲げたままだった。

 カーポに助けを求めるため机の下から飛び出そうとして、ファラに止められた。

「様子が変です」

 驚き、シドを見遣ったシエロは、思わず身を乗り出した。

 シドの身体を、薄い光が覆っていた。

 魔導師長たちがざわめく。

「まさか」

 杖の先で、珠が更なる光を放った。珠だけでなく、見た目は木製と思われる杖全体が発光する。間をおかず、杖を握るシドの手に、腕に、全身に光は広がった。

『そうよ。この杖は、我が弟子を選んだ。正当な持ち主は、彼だ』

「ええーっ」

 咄嗟に飛び出した自分の叫びが途方もなく間抜けに響き、シエロは慌てて口元を覆った。

 険しい魔導師長の目と視線がかち合った。

「ほう、客人が」

 嫌な笑みを浮かべ、魔導師長は側の男へ顎をしゃくった。男が頷き、杖を掲げる。

「シエロ様」

「手出しすんじゃねぇっ」

 ファラとシドの叫びが重なった。

 刹那、黒い稲妻がシエロへ向かい、打ち消すように薄赤い光が満ちた。

 が、シドの光の隙間を縫うように、黒い稲妻は彼の脇をすり抜け、室内へ伸びた。山賊の刃より断然速い。避けることなど、できない。

 目の前が真っ暗になった。

 肉の焦げる臭いが鼻をついた。ポトリと床に落ちたものを見下ろし、シエロは呆然とした。

「トナ」

 全身の毛を黒く縮れさせ、小猿は小さく痙攣した。身体を震わせながらも、開いた目でシエロを見上げる。眼差しが、カーポの目に重なった。

 シエロが小猿を呼ぶ悲痛な声に、シドも小猿が受けた悲劇に気が付いた。

「許さん」

 怒りに呼応して、彼が纏う光が炎の色となった。

『いかん、シド』

 小猿の口から、弱々しくカーポが呼びかける。が、シドの怒りは止まらなかった。

 杖を地面と並行に掲げ、両手で握る。シドを中心に、魔法による風が起こった。光が幾筋も螺旋を描き、シドの周囲を飛び交う。

「まずい」

 魔導師長たちに動揺が走った。

「シエロ様、奥の部屋へ」

 ファラも、立ち上がった。

 無神経に声をあげたシエロを庇い、息も絶え絶えなトナを置いていくわけにいかない。だが、少しでも動かすと苦痛の声を上げるのを、抱え上げるわけにもいかなかった。

 二の足を踏んでいる間に、シドを取り巻く光は強く、渦巻いた。

「力が暴走する」

 場にそぐわない平淡なファラの声に続き、獣のように吠えたシドから、無数の稲妻が迸った。

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