魔導師の町マギク

奪われた笛

 昼下がりの路地に、竪琴の余韻が消えた。

 舞い終わったファラがお辞儀をすると、まばらな拍手が起きる。だが、差し出された袋へ見物料を入れる人は、いなかった。

 昨夜、閉門ギリギリに入ったマギクの町は、裕福そうな人々で賑わっていた。魔術が重んじられ、ビューゼント王国で最も格式の高い魔術学校もある。そのため、各地の城主が、城で雇う魔導師を探しに訪れ、町の経済を潤していた。

 生活に余裕があるなら、街角での演奏や舞にも、気軽にお金を落としてくれるのではないかと期待したが、甘かった。

「だめ、かぁ」

 人々が立ち去った後、シエロはがっくりと肩を落とした。労わるように、竪琴の枠を撫でた。

景気の良い笛や太鼓と違い、竪琴ではどんなに頑張っても静かな優しい音楽しか奏でられない。合わせる舞も、穏やかでゆったりとした、変化の乏しいものしかない。

 せめて、と母の笛を手にして、溜息をついた。この笛で一曲奏でられるだけの、健康な気管があれば。

「今夜も、野宿かな」

 寒い時期ではないが、路上で寝るのは身体によくなかった。なんとなくゴロゴロする胸を摩り、シエロは荷物の土を払った。

 崖から落ちたとき、竪琴と笛はしっかり抱きしめた。が、背負っていた荷物は流されてしまった。ファラも、襲い掛かる山賊から逃れるうちに、着替えや金銭を入れた荷物をなくしていた。先の知れない旅を強いられた二人の手元に残ったのは、上着のポケットや懐に入れていたわずかなものと、楽器だけだった。

 どうにかして、食料や宿での休養を手に入れるだけの路銀は稼がなくては、行き倒れてしまう。

 暗澹として、荷物をまとめた。

 伸ばした手が、空を切った。ついさっき、確かにここへ置いたはずの笛が、無い。

 顔をあげるのと、ファラが小さく声を出したのが同時だった。

 キッと高く鳴き、小さな影が跳びあがった。

 灰色の小猿が、笛を抱えて屋根の庇に座っていた。嘲笑うかのように、歯をむき出しにした。

「返して」

 飛び跳ねても、届く高さではない。小猿は長い尾を揺らすと、身軽に隣の屋根へ移った。

「母さんの、笛」

 走って追うが、たちまち見失った。ぜいぜいと荒い息をして膝へ手を突くシエロの肩に、ファラがとまった。変化したファラは頭上で一度旋回すると、屋根を越えた。

「頼んだよ、ファラ」

 涙目で、祈るように見送った。

 情けなさに滲んだ涙を堪え、歯を食いしばった。竪琴やファラの服を出来るだけ手早く回収して、ファラが飛び去った方角へ足を引きずっていった。

 周囲への警戒もなく、小猿にすら持ち物を奪われてしまう。こんな不甲斐ない自分に、課せられた荷は重すぎた。

 他の楽団員たちと一緒に、捕らえられてしまえばよかった。そうすれば、少なくとも、こんな心細い気持ちにならなかった。

 後悔ばかりが、浮かんでは積もっていった。


 ファラが突き止めた猿の居場所は、町外れの小さな小屋だった。ひっそりとしているが、庭の手入れも見苦しくない程度にされている。新しさの残る塀の隙間から覗き見ると、窓辺に座る小猿の姿があった。

 どんな人が住んでいるのかも分からない。諦めて帰りたい気持ちを叱咤して、シエロはそっと門扉を開けた。草花が蕾をつける庭へ、一足踏み入れる。

 と、空気を小さく裂く音がして、身体が締め付けられた。

 シエロの悲鳴とファラの叫びが重なる。

 身体の回りを薄赤い火花が囲んだ。ギリギリと、見えない縄で締め上げられる。腕の骨が軋んだ。背負った竪琴も、壊れてしまうのではないか。

 歯を食いしばるシエロの目前に、髪を逆立てた青年が躍り出た。短い髪は、この辺りでは見かけることの無い、珍しい赤色をしていた。

「今日は、いったい何の用だ! 帰りやがれ!」

 青年が、シエロの腕ほどの太さと、身長ほどの長さの杖を構えた。違うんですと叫びたくとも、上体の痛みで、口から出るのは悲鳴ばかりだ。

 杖が突き出される。

 痛みを覚悟して目を瞑った。

『待て』

 太い声に、拘束が解けた。

 ヘナヘナと座り込んだシエロと青年の間で、小猿が歯茎をむき出していた。

『この者たちは、城の者ではなさそうじゃ』

 太い声は、小猿から聞こえていた。

「寄せ口」

 ファラが呟いた。他の者の口を借りて、己の言葉を発する魔術だ。

 青年の細い目で睨まれ、シエロは慌てて座りなおした。

「突然の訪問、失礼しました。あ、あの。実は、笛を返してもらいたくて」

「笛? ここに笛なんてないぞ」

 凄みのきいた声に震えながら、小猿を指差した。

「この小猿が、持っていってしまって」

 小猿は、青年と目が合う前に、一声鳴いて小屋へ駆け戻った。が、青年が黙って伸ばした掌を向けると、入り口にたどり着く前に、ずるずると引き戻された。

「わぁ」

 的確で便利な魔術の使い方を、シエロは、ただ口を開けて見ていた。

「さて」

 首根っこを掴まれた小猿は、とぼけた顔で青年から顔を逸らせた。

「いい子だよな、トナ。お前の笛を、見せてくれないか」

 チラリと、小猿の大きな目が動いた。が、すぐさま、何のことか分からないといった風情で青年の髪を掻き分け、毛づくろいで機嫌をとろうとする。

「隠し持っていることは、確かだな」

 ニヤリとする青年に、小猿は口を尖らせた。

 小猿を両腕に抱えると、青年はシエロの前に膝をついた。

「事情を聞かず、申し訳なかった。不法侵入者を察知するための魔方陣を敷いたつもりだったんだけど」

「強すぎですね」

 ファラの冷静な突っ込みに、青年は苦笑した。

「俺はまだ修行中で、力加減が難しいんだ。いや、すまない」

「痛かったです」

 涙ぐみ、シエロは背負っていた荷物を下ろした。竪琴を確認する。

「ああ、物質に危害は加わらないはずだ。幻覚みたいなもので」

「みたいですね」

 強く締め付けられたと思ったが、竪琴は無事だった。安堵するシエロに、青年は手を差し伸べた。

「お詫びに、さっき市場で仕入れたお茶を淹れるよ。甘い菓子は好き? クッキーとか」

「く……?」

 聞きとれず、首を傾げると、青年は慌てて小猿を抱えたまま、指をせわしなく動かした。胸の前の空中に、小さな四角を繰り返し描く。

「ほら、平たい、カリッとした」

「ガティールのことですか?」

 ファラの言葉に、そうそう、と嬉しそうに頷く。

 ウシやヤギの乳の油脂を固めたバータルに、粉と卵、砂糖や木の実を混ぜてこね、平たく伸ばした生地を適当に切り分けて芳ばしく焼いたガティールは、大抵の家庭で作られる庶民的な菓子だと、シエロは思っていた。

 が、思えば、ビューゼント王国は広い。近隣の諸国から移住してくる人も多い。青年の髪の色も、顔も、どことなく見慣れた人々と違う。

「あなたは、この国の人ではないのですか」

 シエロの問いに、青年は僅かに表情を曇らせた。

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