第2話 カフェと幼なじみ(後編)

 川沿いの道に、カフェがある。

 白く塗装された壁。扉や窓枠は落ち着いた焦げ茶色。

 扉の横に植木鉢が置いてあり、植物の緑と建物の白色がお洒落な雰囲気を醸し出している。扉の上にはこじゃれたランプがあり、夕方からは橙色の温かい光が灯る。ドアにはOPENと札がかかっていた。

 瑠衣はドアを開けると、こんにちはと声をかける。コーヒーの匂いが鼻先をくすぐった。


「いらっしゃいませ、瑠衣ちゃん。おや、今日は葉月ちゃんも一緒なんだね」

「お邪魔します」

「どうぞ。空いてる席は――、葉月ちゃんがいるなら分かるかな。お好きな席へどうぞ」


 にこやかに微笑むのは、このカフェの店員である緑(みどり)さんだ。線が細くて繊細な男性。文学男子といった風情だ。カフェで読書なんかをしていそうな雰囲気がある。

 葉月は瑠衣を引っ張って、カウンター席の奥から三番目に座った。

 席に座ると、瑠衣が顔を近づけてきて葉月の耳元で囁いた。


「今日はお客さん多いの?」

「うん、結構いるよ」

「そっか。私には三人しかお客さん見えないんだけど」


 二人はちらりと店内を見渡す。葉月の目にはほとんどの席が埋まってみえた。


「やっぱりこのお店にくると、妖怪がみえるっていいなと思うよ」

「そうかなあ」

 

 緑さんが水の入ったコップを差し出してくれる。コップの中で氷がからんと揺れた。ご注文は、と微笑まれて葉月も瑠衣もアイスカフェオレを注文した。


 この店は人も妖怪も、客として等しく扱う。この街の中でも少し珍しい店だった。妖怪は街に馴染んでいるけれど、こういう商業施設なんかには来ない。なにせ、店員が妖怪を見ることができない場合が多いから、接客のしようがないのだ。

 しかし、このカフェではそれができる。


 店員の採用条件として、「妖怪を見ることができる」というものがあるからだ。ここで働く店員はみんな妖怪が見える。緑さんも、葉月と同じく妖怪を見ることができる。


 今日も店には妖怪のお客さんがいる。やたらと前髪が長くて顔全体を覆っている着物の妖怪や――前が見えているのだろうか――、牛の角が生えている妖怪、着ぐるみみたいに大きな犬のような妖怪、赤い鬼の面をつけた妖怪。そんなに広くない店内は、妖怪と人間のお客さんでほとんどの席が埋まっていた。


 妖怪を客として扱ってくれるお店は少ないから、面白がってこの店にくる妖怪は多いのだ。そして人間にも、コーヒーの美味しさが口コミで広がって人気が出ている。人にも妖怪にも、人気のあるお店だ。


「私、ここのカフェオレ好きだし、雰囲気も好きだからよく来るけど。やっぱり見えないお客さんがいるって不思議な感じがするんだよね」

「見えないお客さんか――、そうだよね。見えなかったらちょっと変な感じはするかも」


 空いていると思った席に、実は妖怪が座っている。見えない人からしたら、少しびっくりするかもしれない。

 そんな話をしていると、カフェオレの入ったぷっくりと丸いグラスが目の前に置かれた。その隣には小さな豆皿。クッキーが二枚のっている。このお店ではドリンクを頼むと手作りのクッキーがついてくる。クッキーの味は日替わりだ。今日はチョコクッキーだった。


「今日のクッキー作りは俺が担当したんだ。上手に焼けたと思うから、どうぞ召し上がれ」

「緑さんのクッキーはいつでも美味しいけどね」

「ありがとう瑠衣ちゃん」


 ふふっと笑う二人を見て、葉月は息を吐いた。美形っていいなと思う。きらきらしている。

 葉月はクッキーを一枚口に運んだ。さくっと半分食べる。大きめのチョコが生地にまざっていて、甘さが口に広がる。美味しい。

 緑さんはコップを洗いながらため息をついた。


「瑠衣ちゃんはよくお店に来てくれるし、葉月ちゃんも時々来てくれるけど、紬(つむぎ)は全然来てくれないんだよね。二人からも、たまにはお店に顔出してって、あいつに声かけてよ。とびっきり美味しいコーヒー淹れてやるからって」

「うーん、声かけるのはいいですけど、兄さんはお洒落なカフェって雰囲気苦手だから、来ないと思いますよ」


 瑠衣は申し訳なさそうにそう言った。

 瑠衣には紬という兄がいる。緑さんと紬は元同級生で親友だ。

 しかし、紬はきっとここには来ないだろうと葉月も思う。紬がこんなこじゃれたカフェにいる想像ができない。多分、紬はこういう場所で静かにじっとしているのが苦手だ。


「まあ、とりあえず言うだけ言っておきますね」

「うん、お願い」


 その後、葉月と瑠衣は暫くカフェで時間を潰した。店内は不思議と時間の流れがゆっくりと感じられた。

 カフェオレを飲み切った頃、葉月は時計をみて立ち上がった。


「ごめん、そろそろ時間だ。洋館行ってくる。というか瑠衣も一緒に行く?」

「私はいいよ。あの洋館、綺麗だけど、なんかうす暗い雰囲気が苦手なんだ。それに、私が行っても邪魔になるだけだろうし」


 瑠衣はひらひらと手を振った。緑さんはお皿を洗う手を止める。


「そっか。葉月ちゃん、洋館に行くんだ。奥様は相変わらずかな――、俺も行きたいんだけど店も忙しくてさ。奥様によろしく言っておいてよ」

「了解です」

 

 日が暮れる前には帰りなさいね、とお母さんのようなことをいう瑠衣に手を振って、葉月は店を出た。また来てねと笑う緑さんには頭を下げた。

 カフェを出て、近くにある橋を渡った。

 橋の下の川には水が流れていない。水の代わりに石が敷き詰められている。


 水の流れない川。

 よその人からしたら珍しいのかもしれないけど、葉月には見慣れた光景だった。

 この川のずっと上流や下流には普通の川と同じように水が流れている。しかし、今葉月がいる場所をはじめ、周辺には水が流れていない。とはいえ目に見えていないだけで、水はある。このような場所では、地下に水が流れているのだ。伏流水というらしい。


 地下に水が流れているこの場所は、大雨が降った場合にだけ時々地上にも水が溢れ出すという。

 ただ葉月はこの川に水が流れているのを見たことがなかった。相当な雨量でないと、水が地上を流れることはないのだ。そんな大雨に、葉月はまだ出くわしたことがない。


 伏流水の川を越え、左に曲がって真っ直ぐ進む。

 目指すは洋館。奥様の住む館。

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