第3話 洋館と奥様(前編)

 木々に囲まれて、洋館は建っている。

 家の外門から玄関まで舗装された道が続く。大人が二人ほど並んで歩けるくらいの道幅がある。道の両脇には庭。芝が青々としていた。館の一階にも二階にもお洒落なテラスが備えられている。


 街の人はこの館を洋館と呼ぶ。

 洋館は、正確には貴族の別邸なのだそうだ。そこまで大きいわけではなく、こじんまりして可愛らしい。白い壁に囲まれたこの洋館はお人形の家のようだった。

 とはいえ小さいながらも細部にまで作りが凝っている。テラスの手すりや、窓の枠などにも細かい装飾があって可愛らしい。


 洋館にくると、葉月もどこかのお嬢様になったような気分がして少し浮足立つ。

 葉月は正面の白くて大きな扉を開けた。


「奥様、遊びにきましたよ」


 玄関ホールに葉月の声が響く。中は心なしかひんやりとしていた。

 そこに、衣擦れのような音がする。どこからともなく、一人の女性がすっと姿を現した。


「葉月さん、いらっしゃいませ。お待ちしておりました」

 ふわりと微笑む女性。深い朱色のクラシックなドレスが揺れた。

 この洋館の奥様だ。


「頼まれていた本、持ってきました」

「まあ、ありがとう。とても楽しみにしていましたの」


 どうぞ、と奥の間に案内される。

 奥様の後ろについて歩く。黒髪を結い上げて、すっと背筋を伸ばし、ドレスを揺らしながら歩く奥様はいつ見ても綺麗だ。

 葉月がドレスを着たとしても、不格好で不釣り合いになるだけだと思うが、奥様は自然と着こなしている。


 奥様と呼ぶに相応しい人を、葉月はこの人以外に知らない。葉月には一生かかっても奥様のような上品さや優雅さを身につけることは不可能だと思う。奥様はきっと、髪の毛の一本一本、血の一滴にいたるまで気高い存在だ。

 洋館にこつこつと葉月のローファーが音を鳴らす。洋館に響くのは一人分の足音。奥様は足音を立てない。


「さあどうぞ、お座りになって」

「ありがとうございます」


 葉月は部屋の中央にあるソファに座る。ふかふかだ。体が沈んだ。


「少し暑いかしら。窓を開けましょうか」

「あ、私が開けます」

「いいの。葉月さんはお客様なのだから、座っていらして」


 葉月の額には汗が浮かんでいた。対して奥様は涼しい顔をして笑っている。

 奥様は窓辺にすーっと近づいていく。ドレスが擦れる音だけが聞こえた。

 奥様が窓を開けると、夏の風が部屋に舞い込んだ。白いカーテンが膨らむ。

 窓の外から蝉の声が聞こえる。


「夏ですね、もう最近ずっと暑くて」

「そうなのね。わたくしはあまり暑さとか寒さを感じないようなの。だからよくは分からないのだけれど――、きっととても暑いのね、葉月さん汗が凄いわ。ごめんなさいね、この館にはえあこん――というのだったかしら、そういったものはなくて」

「いいんですよ、お気になさらず」


 この洋館は明治に建てられている。明治の頃から館は何も変わらない。だから、エアコンもないのだ。エアコンは館が造られた当時まだ普及していなかった。

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