第11話 家と猫(前編)
古くもなく、新しくもない校舎がある。
つまり、いたって普通の校舎だ。
汚くはないけれど、お世辞にも綺麗とは言えない。壁の所々に何かをぶつけた跡だとか、誰かが書いた落書きだとかがある。
葉月と瑠衣が通う校舎。かつては瑠衣の兄である紬や、その友人の緑さんも通っていた。
放課後、葉月と瑠衣は二人で校門をくぐった。
夏の陽射しを浴びて、二人は「あっつ」と同時に声を漏らす。
「熱中症のニュースばっかりだよね、最近。そりゃ倒れるよ、こんな暑さ」
「もう、学校休みにしてほしいくらいだよ。登下校で死にそう」
うだうだと言いながら、二人は帰り路を進んだ。
今日は瑠衣の家に寄り道をして帰る予定だった。二人連れ立って、水が流れていない川の隣りを歩く。この街名物の伏流水の川。ここに水が流れていれば、少しは涼しげな風景になるだろうか。葉月は石ばかりが転がる川を見た。
「洋館の旦那様のこと、誰も詳しくは知らないんだよね」
「妖怪に聞いても駄目だったの?」
うん、と葉月は頷いた。
古木に住む仙さんと話をしてから、葉月は洋館の旦那様について聞き込みを始めていた。
まずは人から。両親や、先生、近所のお話好きなおばちゃん。それとなく聞いてはみたのだが、誰も旦那様のことはよく知らなかった。
旦那様が生きていたのは百年以上前の明治の時代だ。身の回りの人に聞いて何か答えが返ってくるなんて、最初からあまり期待はしていなかった。みんなが生まれる前の話なのだから、知らなくても当然といえば当然だ。
だから次は妖怪に話を聞いた。
妖怪には数百年、さらには千年以上生きる者もいるらしい。きっと旦那様を知っている者もいるだろう。
しかし、なかなか葉月が欲しい答えは得られなかった。
「みんな旦那様がどういう人だったとか、こういう暮らしをしていたとか、そういうことは知っているんだけど、旦那様がどうして帰ってこなかったのかは知らないみたいなの」
「まあたしかに、旦那様がいなくなった日の動向なんてピンポイントなこと、知っている妖怪も少ないか」
そうなの、と葉月はため息をつく。
旦那様は紳士で優しかった、あそこの夫婦はよく洋館の周辺を散歩していた、洋館の奥様は美人だ。妖怪たちはそんなことを葉月に教えてくれた。
しかし、旦那様がいなくなった日のこととなると、途端に曖昧になる。旦那様はいつの間にかいなくなっていたらしいとか、悪い妖怪に連れ去られたのだと聞いただとか、自分から家出したのだろうとか。みんな言っていることがバラバラだ。
「ああ、でも。旦那様がいなくなった日、ひどい大雨だったってことは教えてくれた妖怪がいたよ」
緑さんのカフェに通う常連から聞いた話だ。
真っ赤な鬼のお面を被った、人の姿をした妖怪。お面は怖いが、話してみると優し気な女性の声がした。その妖怪は緑さんが差し出したコーヒーカップを両手で包み込むように持ちながら、葉月に話を聞かせてくれた。
「あの日はとても酷い雨でしたの。普段石ばかりの川に水が流れる程でしたわ。妖怪たちも、みな自分の住処で雨が降り止むのを待っておりました。そんな折に、洋館の旦那様がいなくなったといって街が騒がしくなりましたわ。わたくし、耳がいいのです。人間たちが騒いでいる声がよく聞こえました。けれど、雨が酷いものだから、ろくに捜索もできなかったようね」
悲しいことだわ、と鬼の面の妖怪は息をはいた。
瑠衣は葉月の話を聞くと難しそうな顔をした。
「あの川に水が流れるって相当だね。そんな日に、旦那様は何をしていたのかな」
「さあ、そこまでは分からないや」
ミンミンと蝉が鳴く。瑠衣はハンカチを扇子代わりにして風を扇いだ。
「それに、妖怪たちも住処に引きこもっていたんだよね。それじゃあ旦那様がどうしていなくなったのか分かる妖怪もいないんじゃないかな。住処の外で起きた出来事なんて知ったことじゃないでしょう」
「あ、そっか」
たしかに、瑠衣の言う通りだ。旦那様の動向を知る者が少ない理由はそれが原因なのだろう。そこまで葉月は頭が回らなかった。
「もー、困ったな。打つ手なしじゃん」
「まあまあ、一旦休むことも大事だよ。今日は母さんが美味しいお菓子用意しておくって言ってたからさ。甘いもの食べて一旦休憩しよう」
いつの間にか瑠衣の家に着いていた。
さあさあ上がってと瑠衣にせかされて、部屋に通される。
おばさんが先に冷房をつけていてくれたようで、部屋の中は涼しかった。部屋の真ん中で猫のじじが丸くなっている。声をかけると尻尾を一振りした。
「じゃあ、お茶淹れてくるね。ちょっと待っていて」
瑠衣は鞄を置くなり部屋を出て台所へと向かっていった。
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