第12話 家と猫(後編)
瑠衣がいなくなると、じじが大きく口を開けてあくびをする。
「最近、洋館の旦那について調べておるようじゃの」
じじが眠そうな声で聞いてきた。ただの猫のように振る舞っているが、じじは妖怪だ。そのことは葉月だけが知っている。
「そうなの。じじ、旦那様について何か知らない?」
「ふうむ」
じじは毛繕いをした。
「洋館の奥方は美人じゃのう」
「それは知ってる」
そういうことじゃなくて、と葉月は頬を膨らませた。じじは素知らぬ顔で毛繕いを続けていた。
「旦那がいなくなってから、暫く街中が騒がしかったのは覚えておるが――、ああ、捜索は山の方でしておったな」
「山?」
「うむ、詳しいことは知らんがな。たしか山の方に人が大勢通っていたはずじゃ。わしは昔から人の家に紛れて暮らしておったから、人の動きはよう知っておる。ぞろぞろと人が連なって山の方に歩いていった」
「じゃあ、山で何かあったのかな。でも雨が酷い日だったんだよね。そんな日に山に何しに行ったんだろう」
「あの山を越えると首都に繋がる。今は列車が発達して山を越える必要もなくなったが、昔はあの山を越えねばならんかった。あの時代、山を越えること自体はさほど珍しいことでもなかったぞ」
「じゃあ、旦那様は何かの理由で山越えをしようとして、それで――」
事故か。
多分、当時の移動手段は馬車だろう。山も今でこそ舗装されて歩きやすくなっているが、当時はもっとでこぼことした山道だったはずだ。それに加えて、旦那様がいなくなった日は大雨だ。伏流水の川に水が流れるほどの。
無事に山を越える方が難しかったのではないか。それでは事故の可能性が一番強い気がする。
「山か――、うん、次は山の方に行って聞き込みしてみようかな」
山の妖怪なら、何か知っているかもしれない。
「ありがとう、じじ。何だか話が進展しそう」
「例には及ばぬ。葉月が家に来ると豪華な菓子が出る。今日は明月堂の羊羹じゃぞ。絶品じゃ。いやはや嬉しいことよ。あの羊羹が食べられるなら、これくらいの助力は安いものじゃ」
「お菓子が目的なの? 現金な猫だなー」
葉月はじじに感謝していたのに、急にその念がしぼんでしまった。むうっとうなって、葉月はじじを乱暴に撫でた。
ふんっ、とじじは鼻を鳴らして葉月の手から逃れる。
「明月堂の羊羹はまさに頬が落ちる銘菓じゃ。こう暑い日だと麦茶が欲しいのう。冷えた麦茶に絶品の菓子、極上じゃわい」
「じじって本当に人間くさい」
「もともと人間だからな」
じじはぐーっと体をのばす。
葉月はじじの言葉の意味を図りかねて、数秒沈黙してから「ん?」と首を傾げた。
「わしはもともと人間じゃぞ。ふらふらと野良猫のように旅をするのが趣味であった」
いやはや、旅は実に楽しい、とじじは笑う。
葉月は「え」と声を上げた。
「ちょっと待って。ちょっと待ってよ。だってじじは猫又なんでしょ。猫又って猫が化けたものだよね」
「わしは正確には猫又もどきじゃ。この世には、そういう『もどき』が大勢おる。葉月はまだまだ世を知らんのう」
ふぉっふぉっふぉ、とじじは笑った。葉月は額に手をあてて唸る。だいぶ混乱している。だって今まで、じじはずっと猫なんだろうと思っていた。
「待ってよ、どういうことなの? そんなことある?」
「この世には不思議なことがたくさんあるのじゃ。生き物は死ぬと体を失う。魂はそのまま天に昇るか、この世に留まるかのどちらか。この世に留まった魂は器をもたぬ。不安定で、自由な存在じゃ。であれば、姿形が変わるのも考えられぬことではなかろう」
じじは窓から空を見上げる。
真っ青な空には白い雲がふわふわ形を変えながら浮いている。
「わしは昔からふらふらと旅をしておった。そんなわしを、ある人が猫のようだと言って笑った。だからかのう、死んだら猫に化けていた」
この世とは不思議なものよ。じじはそう言うと、部屋の真ん中で丸くなった。
軽やかな足音がする。襖をあけて、瑠衣が部屋に入ってきた。
「お待たせ――って、どうしたの葉月。すごい顔」
「瑠衣」
頭がパンクしそうな葉月は、助けを求めるべく瑠衣に抱き着いた。
お盆にお茶と羊羹をのせていた瑠衣は慌ててバランスをとりつつ、葉月を抱える。
「どうしたの、何かあった?」
「何もない。何もないけど、ちょっと頭が混乱してる」
「どういうことよ」
「分かんない」
ええ、と瑠衣は困った声をあげた。
じじはそんな葉月を見ながら、愉快そうに尻尾を揺らしていた。
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