第10話 古木と物知り(後編)
「この地は昔、何もない荒野であった。人が住めぬ地だといわれ、動物と妖怪が好きに暮らしておった。それがある時を境に人間が土地の開拓をはじめた。貴族がやってきて、この土地を開き、農場がつくられた。あの二人も、そうしてこの地にやってきたのだ」
とても微笑ましい夫婦であったよと、仙さんは能面の下で微笑んだ。
「しかし、主人がいなくなってから、奥方は体調を崩し、屋敷から一歩も出られなくなり、そのまま命を散らしてしまった。もともと体が弱い方だったからな。人とはなんと儚いものよ」
仙さんは幹にもたれかかって遠くを見つめた。
葉月は奥様の寂しそうな顔を思いだす。
「仙さんは、旦那様がどうして帰ってこなくなったのか、知っているんですか? ずっとここから街を見てきたんだから、知っていますよね」
「知ってはいるが、私から言うことはない」
「どうしてですか」
「私は傍観者ゆえ」
知っているのに教えてくれない。それは酷い。葉月は眉を寄せた。
奥様はずっと旦那様を待っている。旦那様に何があったのか分からないまま待ち続けるのは寂しく、不安なことだと思う。葉月だったら、何も状況が分からぬまま待つなんて耐えられない。
仙さんが知っていることを教えてくれたら、奥様にももう辛い日々を送らせなくて済むのに。そう期待したのだが、仙さんは何も教えてくれない。
「すまぬ葉月。私はこの地を見守るのが役目。干渉することは出来ぬ。私ができるのはただ傍観するのみ。そういうものなのだ、分かっておくれ」
「見ているだけ、なんですか」
「そう。それが私の存在する意味だ」
仙さんが決して意地悪で言っているのではないことは分かる。関わらずに見ていること。それが仙さんの役目なのだろう。きっと仕方のないことなのだ。
それでも葉月はやるせない。理解できることと、納得することは同じではない。
仙さんのために納得してあげたい自分と、奥様のために真相を突き止めたい自分がいる。
「葉月」
頭上から、仙さんの優しい声がした。
「葉月は、奥方のために何かしてあげたいのだな」
「うん、奥様のこと大好きなの。奥様のこと助けてあげたい。――でも、私みたいな子どもにできること、何もないから」
それは違うぞ、と仙さんは言う。
「葉月には葉月にしか出来ぬことがある。そなたは、私や奥方とは違う。私はこの木からそうそう離れられぬし、他者に干渉もできぬ。奥方はあの館から外に出ることができぬ。しかし葉月は違う。葉月はどこへでも行ける。それに、人間とも、妖とも交流がもてる。きっと奥方が望んでも叶わなかったことを、葉月は出来てしまうのだ」
「奥様が出来ないこと」
それは、自分の足で旦那様を探しにいくこと。
ああ、そうかと葉月は思う。
奥様があの洋館を出ることができたのなら、自分で旦那様を探しに行っただろう。屋敷を出て、方々を歩き回って、道行く人に話を聞いて、旦那様を探したはずだ。でも、それができないから、百年以上も一人で待ち続けているのだ。待つことしかできないから。
色々な場所に行けて、色々な人や妖怪に話を聞くことができる。そんなことができる葉月は、もしかしたら奥様にとって、とても羨ましい存在だったのかもしれない。
そう思うと、突然申し訳なさがこみ上げてきた。
今まで葉月は何もしてこなかった。自分にできることなんてないと思っていた。だって旦那様がいなくなったのはもう百年以上前のことなのだ。当時に何があったのか、自分には分かりっこないと思っていた。
それに、百年経っても旦那様から音沙汰はない。もしかしたら、もうこの世界に存在しないのかもしれない。どうしようもないことなのだと思っていた。
でもそうして何もしないことは、きっと奥様に対する一番の裏切りだ。
「私、今からでも奥様に何かしてあげられるかな」
奥様はずっと旦那様が帰ってくることを信じている。ならば葉月だって、信じて探してあげたい。
葉月はなんだか目の前が開けるような感覚がした。
「よし。私、旦那様のこと調べてみる。もう奥様に寂しい思いはさせたくない」
奥様がしたかったことを、自分が代わりにしよう。
「百年前のことだから何も出来ないなんてことないんだよね。だって私の周りには百年以上生きている妖怪がたくさんいるんだから」
そう、言われてみればそうなのだ。
妖怪は長生きだ。数百年生きる者も多い。ならば旦那様に何があったのか知る妖怪だっているだろう。現に、ここに真実を知る仙さんがいる――仙さんには聞けないのだけれど。
百年前のことだって、妖怪に聞けば案外簡単に分かるのかもしれない。
「ありがとう仙さん。私、頑張ってみるね」
「ああ。葉月ならきっとできる」
「うん――、それじゃあ早速、明日から始めるね。明日のために、今日はもう帰って休むよ」
善は急げだ。本当は今からでも、と言いたいところだがもう日が暮れる。帰らなければ、親も心配するだろう。葉月は地面に置いてあった鞄を掴んだ。
「あ、それからね」
葉月は頭上を見上げた。帰る前に、もう一つ言っておかなければならないことがある。
「傍観者だろうと何だろうと、私は仙さんといっぱい一緒にいたいし、お喋りしたいし、遊びたいよ。だからまたここにきてもいい?」
だって葉月は仙さんのことも大好きなのだ。
仙さんは少しの間、何も話さなかった。きっとびっくりしていたのだ。
でも暫くして、ふふっと笑い声がした。
「ああ、もちろん。いつでも来ておくれ」
ふわりと音もなく枝から舞い降りると、仙さんは白い手で葉月の頭を撫でた。
あたたかい、仙さんの匂いがした。
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