第8話 神社と兄弟(後編)
社務所を出ると、神社の隣にある瑠衣の家に向かう。純和風で、小さな池のついた庭まである。瑠衣の部屋は庭に面した一室だ。部屋と庭の間には縁側があって、二人はよくそこで長話をする。陽射しがよく入って気持ちがいいのだ。
部屋に通されると、二人はすぐに学校の課題をし始めた。面倒ごとは早く終わらせて遊ぼうという計画だ。
二時間ほど、参考書をめくる音とシャープペンシルを動かす音だけがしていた。
「二人ともお疲れ。ちょっとは休憩しろよーって、父さんからの差し入れだ」
縁側と部屋を隔てる襖があいて、紬が入ってくる。お盆には湯呑みが三つのっていた。
そんな紬の足元には一匹の三毛猫が控えている。
「じじ、久し振りー。元気だった?」
葉月が声をかけると、三毛猫は尻尾を揺らして答えた。神社に住み着いている猫だ。みんなからは「じじ」と呼ばれている。
瑠衣いわく「飼っているわけではない」とのことだが、もはや兄妹の家族といって過言ではないだろうと葉月は思う。
じじは神社にも、家にも、我が物顔をして入り浸っている。
葉月たちは縁側に出た。風が吹いているため、それなりに涼しい。
「母さんが菓子の準備してくれてるから取ってくる。瑠衣も手伝え」
「はいはい」
ちょっと待っててね、といって瑠衣と紬は台所の方へと向かっていった。縁側に座って、二人の後ろ姿を眺めながら葉月は呟いた。
「私も手伝った方がいいかな」
「よせよせ。客人に手伝わせるほど、あの兄妹も落ちぶれておらんわい。余計な気は使わんでよい」
葉月の隣にじじがきて体を伸ばした。
「そういうものかな」
「そういうものじゃ」
ふん、とじじが鼻を鳴らす。
「そっか、じゃあ私は大人しくじじと遊んで待ってようかな」
「猫扱いするでないわ」
葉月がじじの頭を撫でようと手を伸ばすと、するりと身をかわされた。
「だってじじは猫じゃん」
「猫又じゃい。ただの猫と一緒にするな」
ふん、ともう一度鼻を鳴らした。
そこに和菓子ののった皿をもった瑠衣と紬が戻ってくる。じじは素知らぬ顔で縁側に丸くなった。
「葉月、どうかした?」
「ううん、何も。じじと遊んでただけ。ねー、じじ」
じじは完全に葉月を無視して、何の反応も示さなかった。
じじはただの猫ではない。猫又である。そのことは葉月だけが知っている。瑠衣も紬も、じじのことはただの猫だと思っているのだ。
「明月堂の和菓子だよ。母さん、葉月が遊びにくるからって張り切って用意したみたい」
そう言って、瑠衣はお皿を葉月に渡した。小ぶりのお皿には淡い水色の練り切りがのっている。紫陽花の花を模した練りきりだ。涼しげで可愛らしい。
名月堂はこの辺りで有名な和菓子屋だった。朝から行列ができているのをよく見る。
「あ、こら、じじ。お前は駄目だって。本当に食い意地はった猫だな」
横をみれば、紬の足をよじ登ろうとするかのように猛アピールをするじじがいた。
あ、と紬が叫ぶと、和菓子が落ちた。じじのアピールのせいで、お皿から滑り落ちたのだ。和菓子が転がると、じじはそれを追いかけて、すぐさま食べ始めた。
紬は「あー」と気の抜けた声を発して頭を掻いた。
「じじに菓子あげるなって、また父さんに怒られる――。猫に和菓子って駄目だよな。食い意地はりすぎだろ、馬鹿猫」
じじは鼻を鳴らす。あっという間に和菓子はじじのお腹へと消えていった。早い。
「駄目だよ、じじ。人間の食べ物は猫に毒なものも多いんだからね――、って逃げた」
瑠衣が話している間に、じじはそそくさと走り去っていった。これには瑠衣も頭を掻いた。
「なんかさ、時々じじって妖怪なんじゃないかって思うよね。こっちの会話をちゃんと理解しているっていうか。怒ろうとすると必ず逃げていくし」
「人間の食べ物もガツガツ食うしな。猫っていうより妖怪って言われた方がしっくりくるわ」
兄妹は二人してため息をついた。葉月は内心ドキドキだ。
「いや、別にじじはそういうのじゃないと思うけど――」
「そっかー。まあ、妖怪だろうが猫だろうが、私にはどっちでもいいんだけどね」
「どっちでもいいの?」
「うん」
じじ本人から妖怪であることを秘密にしてくれと頼まれたことはない。けれど秘密にすることが暗黙の了解になっていた。今さらじじが妖怪だなんて伝えてこの家族を混乱させてしまうことは怖かった。
しかし葉月の心配とは裏腹に、兄妹はのほほんとお茶をすする。
「じじはさ、きっとこの家が居心地いいから住み着いているんだよね。妖怪でも猫でも、この家を好きだって思ってくれているなら私は嬉しいよ。それに、私たちもじじのこと好きだからさ。相思相愛。じじが何者でも、変わりはしないよ。ね、兄さん」
「おー、まあそうだな。――というか、じじに俺の和菓子取られたんだけど。瑠衣、半分くれ」
「お断りします」
「愚妹め」
瑠衣は素知らぬ顔で自分の和菓子を口に放り込んだ。紬は舌打ちをして瑠衣の頭を軽くぱしんと叩いた。大して痛がる素振りもなく、瑠衣は意地悪そうに微笑む。
葉月は何だか心配していたのが馬鹿らしくなって、くすりと笑った。
「紬さん、私の半分あげようか」
「いいの葉月。兄さんになんか優しくしなくて良し。ほらほら早く食べちゃって」
「瑠衣、お前あとで覚えとけよ」
結局、紬はしょぼくれてお茶だけ啜ってから自室に帰っていった。
その後ろ姿がいかにも寂しそうで、今度遊びに来るときは、何かお菓子を買ってきてあげようと葉月は笑った。
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