第16話 凍てつく空気

 絶命している男達から目を背けることはしないが、ハルシフィアの顔は青ざめたままだった。目の前で死なれたことに対するショックが大きいのか、それともこの男達が発した言葉のせいか。どちらかはレオナールにはわからなかったが、手をこまねくわけにはいかない。

 剣を収めて改めて死に顔のままの男達を一瞥する。まるで魔族の内情を知っているような死に際の言葉に、一体なんの意味が込められていたのだろうか。

「どうすんだ」

「イーリニッジへ戻る。とはいえこれだけ時間を取られている状況だ、悪い方に進んでいる可能性が高いがな……」

 青ざめるハルシフィアの肩をレオナールが叩くと、可哀想なほどに震え上がっていた。キースも異常な様子のハルシフィアに声をかけることはできず、無言のまま頬をかく。なんとも言いにくい空気を払拭するように口を開いたのはレオナールだった。

「ハルシフィア、息を大きく吸って吐いて。ゆっくりだ」

 レオナールの落ち着きのある言葉を聞いて、その言葉を実行する。震えを呑み込むように、大きく息を吸って吐く。それを何度か繰り返していると、次第に身体の震えは収まっていった。青ざめていた顔に少し赤みが戻ったことで、レオナールも安堵の息を漏らす。

「す、すみません……」

「謝らなくていい、歩けるか?」

「はい……」

 今の状態をレオナールは深く追求する理由がない。ここまで強い動揺を示すということはハルシフィアにとっていいものではないことは明白だ。緊急を要する状態であることと、彼女が話してくれるまでは安易に聞いてしまうことは心にストレスを与えることになる。それを考慮して、今はレオナールは彼女に何も問うことはなかった。

「随分仲イイんだな」

「出会ってまだ数日だがな」

「うっそォ。十年来の付き合い~って言ってもおかしくないくらいじゃね」

 キースの間の抜けた言葉に、レオナールの動きが一瞬止まる。しかしその後何もなかったかのようにイーリニッジへの道を歩き始めるものだから、キースは小首を傾げながらも覚えた違和感については何も言わなかった。

 ふよふよと先導するように漂う片目蝙蝠達を気にすることなく、レオナール達は足早にイーリニッジへと向かっていった。



 門へたどり着くやいなや、レオナール達は異様な街の様子に気づいた。門を守る兵士達の姿はおろか、ヴァンパイアの襲撃を警戒して見回りを行っていた冒険者や兵士の姿が見られない。人の気配を感じられないイーリニッジは、ひどく静まり返っていた。

「いくら深夜だからっていなさすぎじゃね。警戒心が薄いだけか?」

「少なくとも私達がキースの城へ向かう前は巡回してる人がいた」

「……レオナールさん、タリダエさんは? こんな状態になるのは、彼女にしかわからないと思います」

 ハルシフィアの疑問に、その通りだと小さく頷く。ヴァンパイアの襲撃に危険性を感じてどこかへ街の人達を避難させているのならそれはそれで安心できる事柄なのだ。どちらにせよ、レオナール達はイーリニッジの現状を正しく知らなければならない。

 念のため先ほどのような襲撃を警戒しながら、レオナール達はタリダエの住む屋敷へと足を運んでいく。道中誰の視線も感じることない事実にレオナールは多少なりとも違和感を覚えていた。

 レオナール達がキースのいる城へ行くことを決行したのはものの数時間前の出来事だ。それまでは巡回している兵士達も確かに存在していたはずなのに、いくら街の人達の安全を図るためとは言え残されたイーリニッジの警備を諦めるものなのだろうか。

 そんなことを考えながらレオナールはタリダエの屋敷を目視したあと、不意に歩みを止めたハルシフィアとキースにどうしたのかと疑問を抱く。キースはおちゃらけた表情が凍るようにびりびりと真剣な表情を顕にし、ハルシフィアは口元を手で覆いながら冷や汗をかいている。

「……ハルシフィア? キース?」

「なァ、これ結構やばいぜ。そうだろ?」

「うっ……は、はい……なんで、こんなものが……」

 魔族が感じ取りやすい魔力でも蔓延しているのだろうかとレオナールは考え、改めてタリダエの屋敷を見る。レオナールは彼らのように魔力を辿ることができないが、それでも異様な雰囲気だけは理解できる。身体の末端から冷えるような──そんな底冷えする薄ら寒さを感じるのだ。

 意を決してレオナール達は屋敷へと足を踏み入れ、扉を開く。重々しい扉を開いた先は明かりはついておらず、外と同じように人の気配は一切感じられない。不気味なほどに静まり返った屋敷に、ここを出る前と何か違いがないかをしっかり確認する。

「人は……いなさそうだな」

「……でも、何かはあります」

「具体的にはどういうものかは掴めないか?」

 レオナールの言葉に、ハルシフィアは目を伏せて首を横に振る。ただ深刻そうな表情のまま変わらないのは、恐らく彼女の想像を凌駕りょうがしておぞましいものがこの場所に存在するのだろう。屋敷を訪れたことがないキースは、手当たり次第に屋敷を探索している。

「質問を変えよう、これはキミから見てどういう感覚がする?」

「……寒い、です。内側から……冷えて凍りそうな感じ。えっと、でもそれだけじゃなくて……どう言い表せばいいのか……」

「……いいや、十分だ。ありがとう」

 ぞっとするようなおぞましい感覚、言い表しようのない感覚をずっと感じ取っているハルシフィアとキースにはさぞ不快なことだろう。街の人達の行方も気になる状況だ、一刻も早く打開せねばと周囲を探っているとハルシフィアがふと異変に気づいた。

「あれ……?」

「どうした?」

「いえ、ここ……なんでしょう、切れ込みがありませんか?」

 ハルシフィアの視線の先にある床には、確かに妙な切れ込みがある。取っ手か何かあれば開けそうだが、生憎そんなものは見受けられない。これを開ける手立てがあれば、そう思いながら探っているとキースから離れていた片目蝙蝠達がぱたぱたとハルシフィアの前に飛んできた。

「どうしたの?」

 片目蝙蝠が鳴いて飛んだ先は、二階へ向かう階段の端に置いてある石像だった。槍を掲げた甲冑の石像は、当然のことながら動く気配はない。対面にも同じように甲冑の石像があり、片目蝙蝠達はその石像を回るように飛んでいる。

 片目蝙蝠達なりに異変を感じているのか、レオナール達はその石像に何かおかしな点がないかを注視する。数分が経った頃、キースがお、と声を上げてレオナールとハルシフィアを呼んだ。

「おーい。なんかこれ動かせるっぽいぜ」

「本当ですか?」

「おう。回転する感じだな」

 キースが石像に力を込めると、確かに石像は土台とともに回転をする。それなりの重みがあるため、円滑な回転はできないが可動域は広そうだ。しかし動かせる石像は、どうやらキースが動かしているものだけのようだ。

「なんだ、そっちは動かせねェのか」

「そうみたいだな」

 切れ込みの先に何かヒントがあれば、今イーリニッジで起きていることを知ることができるかもしれない。がんがんと適当に石像を叩き始めるキースにもっと丁重に扱えと窘めながらも、レオナールは何か仕掛けがないかを探る。そんな時、ふとハルシフィアが両方の石像を見比べてこう言った。

「これ、なんで向きが違うんでしょう?」

「え?」

「いえ、動かせない方は動かせる方の石像を向いているのに、動かせる方は最初入口の方を向いてましたよね?」

ハルシフィアがそんな風に疑問を投げかけると、何かに気づいたレオナールが動かせる石像に目を向ける。数十秒考えたあと、レオナールはキースに向かって一つの頼みごとをした。

「石像同士を向かい合わせにできるか?」

「あいよ」

 レオナールの指示のもと、キースが重たい石像を動かして向かい合わせにする。するとかちりと何かがハマるような音が聞こえたあと、先ほど目をつけていた切れ込みの床がゆっくりと音を立てて上がって行き、地下へ向かう階段が現れた。

「おーおー、この下めちゃくちゃ寒いな」

「ありがとう、ハルシフィア。よく気づいた」

「え、いえ……そんな、わたしは……」

 レオナールにお礼を言われると、ハルシフィアは滅相もないと首を振りながらも照れは隠せないようだ。顔を隠すように手で覆いながら、次第に咳払いをして階段の先の冷たい空気に触れて、こわばった表情に変わる。

 ハルシフィアとキースが感じていた気持ち悪さは、この階段の下から色濃く感じ取れるようだ。彼女達の表情でそれを察したレオナールは、薄暗い階段を照らすように松明に火をつける。ひんやりとした冷気は、いつの間にかまとわりつくような薄気味悪ささえ感じ取れるようになっていた。

「嫌ならここで待っていていい。私一人で向かおうか」

 屋敷に入る前の様子を見るに、悪寒の中心に行くことは相当の心的負荷をもたらすだろう。それを考慮して提案したが、ハルシフィアもキースも首を横に振って否定した。

「今更だろ、文句の一つ言わなきゃ気が済まねェよ」

「大丈夫です、レオナールさん……一緒に行きます」

 覚悟が決まったような二人の表情に、レオナールはそれ以上何も言わなかった。ゆっくりと地下へ向かう階段に足をかけ、仄暗ほのぐらい先にあるものを目指して靴音を鳴らしていった。

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アナガリスの盾 みはる あきひろ @es_m__

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