第11話 貿易の街イーリニッジ
平原を道行くままに進んでいくと、少し雲行きが悪くなっているのが見えてくる。進んでいる方向から雨雲のようなものが近づいているのが見えるのだ。生憎雨具は所持していないため、雨をしのげる場所を探さなければならなくなった。
「雨が降るかもしれないな……」
「本当ですね、とはいえ平原はまだ続きそうですし……」
どうしましょう、と困った顔をしているハルシフィアは、どうにか雨をしのげる場所がないかを探す。見渡しても平原が続いているような場所だが、近くにあった立て看板を見るにもう少し歩けば少し大きな街にたどり着くことができそうだった。
「……だが街に行っても入れる保証があるかな……」
「? どういうことですか?」
「街によっては外部の者が出入りすることに寛容的じゃないところもあるんだ」
例えば宗教上の理由だったり、今の時世的に警戒したり。様々な理由があるとは考えられるが、冒険者が来たとしても歓迎されないケースもある。実際にレオナールが昔に遠方に派遣された時も、依頼を終えてさっさと出て行って欲しそうに扱われたこともある。
「それに関しては運だな。いいところに当たるといいが……」
「……難しいんですね」
とはいえレオナール達はこのまま先を進まざるを得ない。特に分かれ道が存在するわけでもなく、道なりに進むしかない。雲行きが怪しくなっていることを再度確認すると、レオナールはハルシフィアに振り返る。
「急ごう」
「はい!」
雨に当たる前に街に着ければ幸いだと思いながらレオナール達は駆け足で道を走り抜けていく。しかしそんなレオナール達の願いとは裏腹に、空からはぽつぽつと雨が降り始めてしまっていた。雨に当たりながら、街に向かう道の途中にある林を抜けていると雨宿りできそうな小さな洞穴を見つけることができた。
どうにか滑り込んでいったものの、かなり降られてしまったこともありお互いびしょ濡れになっていた。ため息をつきながら暖を取るために何か燃やせるものがないかと探すが、どれも湿気っていて火が付きそうにない。
「どうしましょう、夜になったら寒くなっちゃいますよね」
「そうだな、もう濡れてるから気にせず街まで走るか……ん?」
服に吸い付いた水を絞りながら話していると、ふとレオナールは視線を感じて足元を見る。薄暗くよく見えないが、足元には小さくうずくまる動物のようなものが見えた。指先に火を灯してよく見ると、それはきいきいとか細い声を上げている
「なんだ……?」
「あれ……片目蝙蝠……? 珍しい、こんなところに……」
片目蝙蝠と呼ばれた小さな蝙蝠は、どうやら羽を怪我しているようだ。元々薄暗いのと雨のせいで気温が下がっているのもあり、かなり衰弱している。すかさずハルシフィアが片目蝙蝠の羽を治すべく、両手をかざして回復魔法をかける。
回復に長けているハルシフィアの魔法のおかげか、片目蝙蝠の羽の怪我は見る見るうちに塞がっていく。しかしそのまま飛んでいく元気はまだないようで、そんな様子を見てハルシフィアはレオナールの指先の火を見てこう言った。
「レオナールさん、この子にその火を移せますか?」
「火が源になっているのか?」
「この子達は魔法属性があって、それぞれの力に見合った光線を生み出して敵を撃退するんです。この子は赤目なので火属性だから、火の魔法を与えれば衰弱も治ると思います」
心配そうに片目蝙蝠の頭を撫でるハルシフィアの隣に屈み、レオナールは片目蝙蝠に火を移す。衰弱し、目を伏せていた片目蝙蝠はレオナールの火が注がれると徐々にその目を開いていく。やがて片目蝙蝠はぱたぱたと浮遊するように羽を動かし、レオナール達を見てすりすりと身体をこすりつけてきた。
「くすぐったい……」
「こうして見ると可愛いんですけど……普段は群れで行動するはずなんですけどはぐれちゃったんですかね」
こんなやりとりをしている内に外を見ると、どうやら先ほどの雨は通り雨だったようで落ち着きを取り戻していた。雨雲も去った後ならばゆっくり街まで行けるだろうと考えたが、その前にこの懐いてきた片目蝙蝠をどうするかである。
しかしそんなレオナール達の心配をよそに、片目蝙蝠はぱたぱたと洞穴を出て飛び去っていった。時折レオナール達の方を見ては視界から消えていってしまったため、きっと群れを求めて行ったのだろうと結論づける。
「まあ街には入れられないからな……仕方あるまい」
「そうですね、群れに帰れればいいんですけど……」
片目蝙蝠の安否も気になるが、レオナール達も街へ向かわなければならない。今日に着くことが難しければ少なくともこの洞穴よりは大きい場所を選んで野宿をしなければならない。もう少し移動の利便性が上がれば解決される悩みだが、今はどうこうできる問題ではなかった。
洞穴を出てしばらく歩いていると、林は開け街を一望できる場所へとたどり着いた。下っていけばたどり着くことができそうだったため、なだらかに下れる道に沿って街の門の下にまで行くことができた。
しかし長い槍を持った門番がレオナール達を一瞥したあと、その切っ先を二人へと向ける。突然のことにハルシフィアは目を丸くして驚き、レオナールはやはりかと言わんばかりに息をついた。
「そこの二人、なんの用だ」
「今この街は規制がかかっている、相応の身分を証明してからでないとお前たちを通すわけには行かない」
「規制……?」
門のところに掲げられた街の名前はイーリニッジと書かれている。レオナールの記憶が正しければ、この街は商人が多く貿易に長けている場所だ。だがそんな街に入るための規制がかかっているとなると、また厄介事かと眉をひそめる。
「私は冒険者だ、隣の子は私の妹だ」
さらっと嘘をつくレオナールにまたも目を丸くしているハルシフィアを横目で見て、レオナールが冒険者である証を荷物の中から取り出して提示する。門番はお互いに顔を見合わせてその証をレオナールへ返却した。
「……随分似ていない姉妹だな」
「私が父親似でこの子が母親似でね」
「そ、そうなんです! よく似てないって言われちゃって……」
仲の良い姉妹のやり方を知らないハルシフィアは、これみよがしにレオナールの腕に抱きついて仲の良さをアピールする。果たしてこれが合っているかどうかはわからないが、少なくとも門番達を納得させるだけのものはあったようだ。
「あ、あの、門番さん。どうして規制がかかっているんですか?」
「それは……」
「それは、私がご説明しますね」
門番達が振り返ると同時に、視線の先にいた人物に敬礼をする。一歩ずつ歩み寄り、腰にまである茶色の長い髪をゆるく三つ編みに束ねた女性はレオナール達に向かって微笑みかけた。
「タリダエ様! わざわざ御足労頂かなくとも……!」
「いいえ、私はアレギの代理として責務を果たさなくてはいけませんから。冒険者様、どうぞこちらへ……」
タリダエと呼ばれた女性は、どうやら門番達から見ても位の高い人間らしい。槍の切っ先を収め、レオナール達を通すとタリダエは後ろについてきていることを確認しながら話を続けた。
「お名前はなんとお呼びすれば?」
「私はレオナール。この子はハルシフィアだ」
「そうですか、レオナール様、ハルシフィア様……門番が失礼なことをしませんでしたか?」
「いいや、特には」
他愛ない雑談を繰り返していると、街の中でも一番大きな建物が目に入る。道中で気づいたことだが、タリダエは街の人から随分と信頼を置かれている。アレギと呼ばれる人物の代理と言っていたが、恐らくその人物は街の中でも権力者なのだろう。
すれ違う人達が皆タリダエに挨拶を交わし、微笑みを返している。代理の人物にしてはタリダエ自身がここまで街の人達に好かれる努力をしてきたということだろう。建物の中に入ると、使用人と思わしき人達が一斉に彼女に向かって頭を下げている。
「お帰りなさいませ、タリダエ様」
「ただいま。応接間へお茶とお菓子を」
「かしこまりました」
執事やメイドが忙しなく動いている中、タリダエの先導についていきながらレオナール達は建物の様子を見ていた。見た目だけでもわかるほどの高価な調度品が数多く並び、芸術品を集める趣向があるらしい。レオナールにはその価値は一切わからないが。
大きな扉を開いた先は応接間が広がっており、先にレオナール達に座るように促してからタリダエも対面するようにソファに腰掛けた。
「まずはこの街に御足労頂いて、本当にありがとうございます」
「それで、規制と言うのは?」
「……この窓の奥に見える山の頂点のお城が見えますか?」
タリダエの視線の先にあるのは、少し離れた場所にある西洋の城。遠目から見てもかなり立派な佇まいをしているその城は、この街の近くにあるにはどうにも違和感を覚えるほどだった。視線を戻せばタリダエは悲しげに俯いて、言葉を続ける。
「ここ最近、イーリニッジではまるで魂を抜かれたように昏睡する人が増えています。この街において最高権力を持っている私の夫……アレギもその一人です」
「それはこの街だけなのか?」
「今のところは。そして原因は、あの城にいるヴァンパイアではないかと私達は推測しています」
ヴァンパイア──人間の生き血を糧とし、永い時を生きる魔族。人間の間でも名が知れ、恐れられている魔族があの城に存在しているのだとタリダエは言う。
「傷が……あったんですか?」
「ええ、倒れている人達の首筋に噛まれたような傷跡が残されていて……」
顔を青くしているタリダエは、恐ろしい状況下にいる中で権力を持つ者の妻としてできることをしているのかもしれない。自らが
「討伐依頼と言うことで見ていいか?」
「……はい、こんなこと、すぐに訪れたあなた達に頼むようなことではないんですけれど……どうかお願いします……」
タリダエが深く頭を下げると、ハルシフィアはそんな彼女に頭を上げてくれと頼む。しかしレオナールの頭にはある考えがよぎっている。だがそれについての言及はここではするべきではないと判断し、彼女は執事達が持ってきた茶と菓子に一切口をつけずに詳細を聞いて部屋を後にした。
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