第10話 墓参り
母親の後をついていき、訪れた場所はレオナールの見解通り墓場だった。クレテイユ村の集団墓地なのだろうか、母親は迷うことなく一つの墓石の前に向かっていった。
「ごめんなさい、花を持っていただけますか?」
「あ、はい!」
母親の声にハルシフィアが反応を示し、大きな花束を託される。母親は慣れた手つきで墓石周りの掃除を始め、やがてぽつぽつと話し始めた。
「私の夫は、確かに身体の弱い人でした。それが原因で運動もあまりすることができなくて……でも、ダニエルとノンノにとって頼りになる父親になるんだといつも胸を張って、自分のできることをしてくれていました」
「……」
「三年前……夫が病床に伏せたのは、病が原因ではありません。今回とは違う、別の魔族の呪いのせいでした」
言葉を続けている間も掃除の手を止めず、しかし決して母親はレオナール達に振り返らない。レオナール達からは、彼女の表情を伺うことはできなかった。
「身体が弱かったのと、回復の魔法を受けるには遅すぎたために、夫は亡くなりました。私はその時、何もできなかった自分を恨んだし……夫を死に追いやった魔族を憎みました」
「っ……」
彼女の言葉に、ハルシフィアが息を呑む。魔族の犠牲になってこの世を去る人間は少なくない。けれどこうして身近にその事例が存在していると、どうしても同じ魔族であるハルシフィアには心苦しく思えるのだ。
「……まさか同じように私も魔族の呪いにかかるなんて思いませんでした。どこまで……私達人間を苦しめれば気が済むのだろう、って。……けど」
「けど?」
「魔族のあなたは、寂しさで壊れそうなノンノの傍にいてくれた。人間のあなたは、ダニエルにとって大切な夫との約束を守らせてくれた」
──ここで初めて、母親はレオナール達に向き直った。その表情は笑っていながら、泣いているようにも見えた。
「ダニエルとノンノは私に残された最後の宝です。その宝を……魔族と魔族を懇意にしている人間に守られてしまっては、私が憎む理由がなくなってしまう……。夫を奪った、魔族を憎む理由が……」
「なぜ理由がなくなるんですか?」
ハルシフィアの言葉に、母親は初めてその笑顔を崩した。レオナールはいつになく自分の意見を貫く気でいるハルシフィアを横目で見ている。そんな二人の心情を知ってか知らずか、ハルシフィアはそのまま己の考えを口にした。
「えっと……その、ごめんなさい。わたし、言ってることがおかしいかもしれないですけど、あなたはあなたの旦那様を奪った魔族を許さなくても、いいと思うんです」
「……どうして? あなたは魔族なんだから、魔族の味方をするものでしょう?」
「そうしたい……です。けど、人間も魔族も、犯した罪を償わず許されることはあってはいけないと考えてます」
花を抱えたまま、時折視線を外してハルシフィアは自らの意見を述べていた。風がさわさわと通り抜けていく。
「人間と魔族の間で和平を結びたい。それがわたしの願いです。でもだからと言って、罪も失った痛みも帳消しになるだなんて思ってないです」
「……」
「罪には罰を与えられなければいけないと思っています。だから、あなたはあなたの旦那様を奪った魔族に罰が与えられるまで許さなくて、いいと思います……思うん、ですけど……全ての魔族を、憎まないでほしいな、とは……思います」
身勝手なお願いですけど、と最後に付け足したハルシフィアは母親の境遇を嘆いているのか、悲しそうな表情をしていた。それは果たして魔王の娘として魔族を統括できなかった罪悪感なのだろうか。
母親は憑き物が落ちたかのように笑って、掃除道具を傍らに置いてハルシフィアから花束を受け取った。そしてそれを墓石の前に置くと両手を合わせ、しばらくの間黙ってそこに座り込んでいた。手を合わせ終わると、おもむろに立ち上がって微笑んだ。
「ノンノが言っていました。いつかあなたのように誰かの心に寄り添えるような人間になりたいと」
「え」
「ダニエルが言っていました。父との約束を守りながら、いつかあなたのように大事な人達を守れる強い人間になってみせると」
「……」
母親はレオナール達に、ダニエルとノンノが言っていた言葉を繰り返す。彼女にとって一ヶ月ぶりに見た我が子の顔は、どんな日々よりも強く輝いて見えていた。
「許さなくていいだなんて……初めて言われました。村の人達はみんな、早く忘れようって言っていたのに」
「え、えっと……差し出がましかったでしょうか……?」
「いいえ、いいえ……私は夫を殺した魔族を憎んでいていいんですね……」
──忘却は、夫を亡くした妻にとっては猛毒だったのかもしれない。憎しみにすがらなければ、己を立たせることもできなかったのかもしれない。それでもここまで立っていられたのは、幼くして父を失ってしまった子ども達がいたからなのだろう。
「憎しみを糧に、生きていても許されるんですね……」
けれど魔族の立場であるハルシフィア自身が、憎しみの正当性を証明してくれた。抱え込んで吐き出すこともできない苦しみを共有してくれた。傷を負ってもなお、母親として強く在り続けた彼女には、それで十分だった。
「引き止めてしまってすみません」
「いいや。……手を合わせても?」
「はい、あの人も喜びます」
レオナールとハルシフィアは母親に許可を取り、屈んで手を合わせる。穏やかな風が墓地を通り抜け、レオナール達の髪をなびかせる。少しの時間のあとに立ち上がって再び墓石をじっくりと見た。手入れが行き届いている墓石は、母親の未だに潰えぬ愛を感じられた。
「墓参りの邪魔をしたな」
「いいえ、こちらがお誘いしたんですからお気になさらず」
「お母さん!」
後ろから声が聞こえ、振り返ると手を振りながら近づいてくるダニエルとノンノがいた。母親は両手を広げて子ども達を迎え入れると、ダニエルとノンノは視線をレオナール達に向けた。
「お姉ちゃん、もう行っちゃうの?」
「長居するわけにはいかなくてな」
「ごめんね、ダニエルくん、ノンノちゃん」
視線を合わせるために腰を落とすハルシフィアに、ノンノは母親から離れて彼女に抱きつく。ぎゅっと抱きしめたノンノは温かく、ハルシフィアも微笑んで彼女を抱きしめた。
「いい子にしてたら、また会える?」
「悪い子でも、また会いに来ますよ。全部終わったら、必ず」
今にも泣き出しそうだったノンノは、ハルシフィアの言葉にぐっと涙をこらえている。まだ深い確執を知らない子どもだからこそ、ここまでハルシフィアと打ち解けることができたのかもしれない。微笑ましい光景を見ながら、今度はダニエルがレオナールに話しかけた。
「お姉ちゃん! 俺、この火の魔法でお姉ちゃんみたいに強くなる!」
「なんのために?」
「お父さんとの約束を守るために!」
にかっと満面の笑みで微笑んだダニエルを見て、この先苦難が待ち受けても彼なら乗り越えていけるだろうとレオナールは確信した。怯えと不安が押し寄せても、心の奥底にある父親との約束を果たすために彼は勇気を振り絞るだろう。
そんなダニエルの頭をぽんぽんと叩きながら、レオナールもまた微笑んでいる。こんなに小さな子どもから学ぶことは色々とあった。レオナール自身も決して曲がることのない信念を掲げねば、と胸に誓う。
ひとしきり別れを惜しんでから、そっとダニエルとノンノはレオナール達から離れていく。母親に手を握られ、村の外へ行こうとする彼女達に手を振り続けていた。
「また来てね! 絶対だよ!」
「ノンノ達、待ってるから!」
そんな二人の様子を見て、ハルシフィアもまた子ども達から見えなくなるところまでずっと手を振り続けていた。とうとう視界の端にも映らなくなった時、どこか寂しげな顔をしてレオナールの方を向き直る。
「魔族と人間の戦いが終わらない限り、あんな優しい人達も苦しい目に遭うんですね……」
「……そうだな」
ハルシフィアの言葉に、レオナールは同意を示す。長く続く戦いに終わりを告げなければ、犠牲者となるのはいつだって弱者だ。必要のない犠牲を生み出すのは──レオナールにとって、二度とあってはならないことだった。
「弱き者の犠牲など、あってはならない……」
「……レオナールさん?」
「なんでもない。……平原は目がつきやすいからな、さっさと進んでしまおう」
ハルシフィアは一瞬、レオナールの表情が歪んだことを見逃さなかった。数日の間しか今は経っていないが、それでもレオナールという人間がどういう性格なのかはなんとなくわかる。少なくとも──苦しそうに表情を歪めることは少ない人だと。
(……レオナールさんの身の回りで、誰かが犠牲になってしまったのかも……)
すぐさま首を振って、邪念を払う。レオナール自身が語らないのであれば、追求するようなことでもない。彼女がどんな事情を抱いていても、ハルシフィアの願いに協力してくれていることには変わりないのだから。
ハルシフィアは前を進み続けるレオナールの後をついていく。どうか人間と魔族の和平が結ばれるその日まで、クレテイユ村に災難が降りかからないことを祈りながら。
◆
「あらら、大失敗! ざ~んねん」
薄暗い部屋の一室、その雰囲気にそぐわない明るい声が場を支配する。声を上げた女は、目の前にある水晶に映った塞がれた鉱山を見て大笑いしている。
「けっ、どうせお前が適当にやったからだろ? 何が大失敗だ」
「え~? でも結構強めに設定したんだけどなあ~……次に王都に攻める予定だったのはあいつなのに」
「いずれにせよ、そこは問題ではないでしょう。問題なのは……あの馬鹿な妹が人間側についていることですよ」
悪態をつきながら話す男、それを返す女、問題提起をする男。三者三様の反応を見せる中、高い位置にある玉座に座る大柄な男が口を開くと各々黙り込み、空気はしんと静まり返った。
「我に楯突く娘など、必要ない」
男の一声に、薄暗い場にいる三人は醜悪な笑みを浮かべてお互いに笑い合っている。彼らの笑い声と重なるように、部屋の外には暗雲が立ち込め雷が落ちている。薄暗い部屋を照らすほどの雷は、彼らが今いる地の恐ろしさを示しているようだった。
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