第9話 結界

 レオナールは部屋から出たあと、これから先の計画について考えていた。まず第一に戦力の強化であることには変わりないが、具体的にどのように人間の中に魔族の良さを植え付けるか、そして魔族の中に人間の良さを植え付けるかが問題になってくる。

 クレテイユ村の件は良い方向へと転がっていってくれたとレオナールは考えている。魔物に対して懐疑的だった村人は、レオナールの討伐の功績とハルシフィアの人柄に態度を改めた。しかしそれがいつも同じようになるとは限らない。

 今回はたまたま柔軟な考えを持っている人間が多かったというだけの話だ。本来ならば決して有り得ないことであり、その有り得ないことを転覆させるほどの求心力が今のレオナール達には足りていない。

「人間にしろ魔族にしろ、共感を得やすい人物がいなければ厳しいか……」

 人間にとって、魔族にとって位が上の存在。例えるならば、王国直属の騎士団に属する者のように、魔族を束ねる存在であるように。運良くそんな相手が味方になってくれれば幸いだが、運任せでいる気は毛頭ない。

「あのう、レオナールさん……」

 静かに扉が開く音が聞こえ、影からもぞもぞとハルシフィアが顔を出している。何かあったのかと視線を向けると、恥ずかしそうに顔を赤く染めた彼女が服の裾を掴みながら俯いたりレオナールと視線を合わせたりと忙しない様子だった。

「これ、似合ってますか……?」

 おずおずと部屋から出てきたハルシフィアは、自分に不自然なところがないかを逐一確認している。昨日までのボロボロの衣服は痛々しさすら感じたが、今日のハルシフィアにはそんなものは一切感じられなかった。

 ゆったりとしたフリルのついた袖口の服、露出も激しすぎずに色気目当ての変な男も寄ってくることはなさそうだ。外見は守ってあげたい小動物のようなものだとレオナールは考えていたため、ハルシフィアにあまり華美な服装はさせたくなかった。

 個人的感情を差し引いても、他人の目を引きすぎるということは避けなければならない。その行為を行うようになるのは、人心掌握をある程度果たしてからのことだ。

「いいんじゃないか、フードで頭も隠しやすい」

「えっと、これ、レオナールさんがデザインされたんですか?」

「まさか。縫製のできる女性のデザインだ」

 ハルシフィアが起きてくるよりも前に縫製を終えていた女性は、徹夜の興奮かどうか定かではないが自身の傑作に大層な喜びを示していた。もちろんレオナールも金に糸目をつける気はなく、素材代や手間賃を惜しみなく女性に手渡していた。

 村を救った英雄からそんなに貰えない、と断りを入れられそうになったがレオナールがコカトリスを討伐した事実と縫製をしてくれた手間は全くの別問題だ。しばらくの押し問答を繰り広げたあと、女性側がとうとう折れてしまったという経過があるがハルシフィアには話す気はなかった。

「この村で少し消耗品を整えてから出よう」

「は、はい!」

 日はすでに高く登っているため、少なくなっている消耗品をチェックしつつ買い物に向かうために宿を出る。女将に礼を言いながら出ると、村中でいたるところから声をかけられる状態となっていた。

「あっ、冒険者様! こんにちは!」

「ぼうけんしゃさまー!」

 老若男女問わずわらわらと集ってくる村人達に若干の身動きが取れない状況に陥るが、レオナールもハルシフィアも怪訝そうな表情は一切見せない。英雄の如く持て囃される状況に慣れていないハルシフィアは、おろおろしながらレオナールの服の裾を掴んでいた。

「これ、冒険者殿が困っておるじゃろう」

 鶴の一声ならぬ村長の一声で、集っていた村人達はレオナール達からさっと離れた。そんな様子を微笑ましげに見ていた村長は、杖をつきながら彼女達の前へと踏み出した。

「昨日はよく眠れたかな」

「心地の良い宿だった、感謝する。しかし長居をするわけにも行かないから、いくつか買い物をしてから出るつもりだ」

「そうかそうか、残念じゃ」

「ああ、それから……」

 レオナールは村長に対して言いたいことがいくつかあったが、ハルシフィアがいる前で話すことでもない。いくらか雑談をしていると、ハルシフィアが何かを察してレオナールに服の裾を掴んで振り向かせる。

「あの、レオナールさん、わたしお買い物行ってきましょうか?」

「え? いや、私も行くつもりだが」

「村長さんと大事なお話とかあったら、お邪魔でしょうから……」

「……わかった、金は自由に使ってくれ。必要なもののメモもある」

 荷物から財布とメモを取り出し、彼女に手渡すとにっこり微笑んでぱたぱたと道具屋の方へと向かっていった。初めてお使いを子に託す親のような気分になったが、いくらなんでも心配しすぎかと振り切ってレオナールは真面目な顔で村長と向かい合う。

「この村には傭兵がいないのか? タンプの森と近い場所ならば、魔族もある程度は出会うはずだが」

「前までは雇っていたんじゃが……ここ最近は魔族の動きが活発化しておるじゃろう。雇うにしても、以前よりも倍の額を請求されたりしてな……」

 勇者と呼べる存在が現れない、一進一退の攻防を繰り広げている現状。傭兵や冒険者を雇うにしても、王都ヴァプールに攻め込む魔族を討伐するための人員を割きたくないのだろう王国側が以前の金額での派遣を拒否しているとレオナールは踏んだ。

 しかしまたコカトリスクラスの力を持つ魔族がこの村に攻め入った場合、村人達では太刀打ちできないだろう。ガタイのいい大人や飲み込みの早い若者ならともかく、見たところクレテイユ村は老人や子どもが多い。

「……村長、村の中心に案内してくれるか?」

「ん? ああ……こっちじゃ、ついてきなさい」

 レオナール達がこの村へたどり着いたのも、偶然の一つだ。ほぼ確実に村にとって危機が訪れないようにしなければ、不安で夜も眠ることは難しいはずだ。一ヶ月もの間恐怖に震えていたダニエルやノンノ、そして村人達の心情を察してレオナールはあることを試みた。

 村の中心には井戸が設置されており、村人達は水が足りない際はここから汲んで過ごしているようだ。レオナールは中心となる井戸からゆっくりと周囲を見回し、そして村長に一つ頼みごとをした。

「何か純度の高い鉱石は残っていないか? 石英……いや、それならば水晶の方がいいか」

「……ふむ、水晶ならば……少し待っていなさい」

 村長はそう言うと、すぐ近くにあった自宅へ足を運んでいった。数分後に再び戻ってきた頃には、煌々と虹色に輝く水晶を両手で大事そうに持っていた。

「これでどうじゃ?」

「レインボークォーツ……十分すぎる、ありがとう」

 虹色の水晶、レインボークォーツを手渡されたレオナールは村長に感謝の意を示した。それを井戸の中心に掲げるように持つと、次第にそのレインボークォーツは宙へ浮き始める。宙に浮いたレインボークォーツは、きらきらと光をまとい始めた。レインボークォーツがまとった光は村全体を包み込むような膜を張り始めたのだ。

「冒険者殿、これは……?」

「……そうだな、魔族避けと言った方がいいか。レインボークォーツに魔法を施したから、魔力を注げば半永久的に魔族から守るための盾を作り出せる」

 疲労感が押し寄せているのか、レオナールは井戸に手をついて深い息を吐いている。

「そのような高度な魔法を……!?」

「純度の高い媒体がなければ、これは作れないがな。……あとは私が防護に関する魔法が得意だからだが」

「ううむ……しかしこの村全体を覆えるほどの防護など、王国騎士団にスカウトされてもおかしくないのでは?」

 至極真っ当な疑問に、レオナールは汗を拭いながら自嘲するように眉をしかめて笑っている。そんな様子に、聞いてはいけないことだったかと口を噤む村長だったがぽつりとレオナールが言葉をこぼした。

「王国騎士団では、“護れない”んだよ……」

「……すまない、深く聞くつもりはないんじゃ」

 頭を下げた村長に、首を振ってやめてくれという意思を示す。レオナールはゆっくり立ち上がり、水晶がきちんと作動していることを確認しながら続けてこう言った。

「これが濁ってきたら魔力の注ぎ時だ、定期的に見てくれ。それから……これを施したのが私であること、いや、私達がここを訪れたことは秘匿してほしい」

「……指名手配、か」

「一日とはいえ、魔族を匿ったと難癖を付けられる可能性も否定できない。私達はその時、きっと遠くへ離れていてあなた達を護れない。どうかわかってほしい。英雄は、名も姿もわからぬ者だったと言ってくれ」

 世界が変わらない限り、王国の処罰は絶対だ。魔族とは決して相容れない存在であり、討伐の対象である。そうして作り上げられた世界のルールを変えられない限りは──レオナール達が関わったものは許されない。

 村長もそんな王国の方針がわかっていたからこそ、村人全員に周知させることを選んだ。命が惜しいのもあるし、何より自分達を救ってくれたレオナール達がそれを望まないから。

「……無理を言ってすまない、ありがとう」

「それはこちらのセリフじゃ。クレテイユ村の村長としても、一人の人間としても言わせておくれ……この村を救ってくれて、本当にありがとう」

 お互いに頭を深く下げ、顔を上げた際に握手を交わす。数秒の時間だったが、感謝の気持ちを伝え合える有意義な時間となった。手が離れると同時に買い物を終えたハルシフィアが、両手いっぱいに荷物を抱えてやってきた。

「レオナールさん! 消耗品、これで大丈夫でしょうか?」

「ああ、ありがとう」

 ハルシフィアが買ってきた消耗品をざっと確認したあと、荷物に詰め込んで村の出口へと足を運ぼうとする。しかし前方にいる女性の姿を見て、レオナールは自然と彼女に声をかけていた。

「あなたは……ダニエルとノンノの母親か」

「こんにちは、冒険者様。もう……行かれるのですか?」

「そのつもりだったが……あなたは、墓参りか?」

 母親の手には花束と掃除道具が握られており、よほどのことがなければ誰かの墓参りにでも行くのだろうと見解を示す。母親は微笑んで頷き、そして少しだけ首を傾げて言った。

「お時間が許されるのでしたら……少し、お話してもいいですか?」

 母親の言葉にレオナールとハルシフィアはお互いを見合わせ、そして沈黙の中彼女の後ろをついていった。

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