第8話 夢

 浴場はレオナールが想像しているよりも広く、露天風呂もついていた。どことなく和な雰囲気を感じる風呂に、少しだけ昔のことを思い出して感傷に浸っていたが身体についた血を洗い流すべく湯をかける。

 時間が経過しているせいか、コカトリスの血は固形化しており全てを洗い流すのに時間がかかってしまった。とはいえ一日の汚れをようやく全て落とすことができて、レオナールはやっと休息を得ることができていた。

「レオナールさん!」

 後方からの声に振り向くと、すでに湯船に浸かっているハルシフィアが満面の笑みを浮かべて手招きしていた。特に彼女の招きを断る理由もないため、髪を束ねて湯船に胸まで浸かる。乳白色の湯はどこかで見たことがあるような色だった。

「今日は……お疲れ様でした。わたし、何もできないで」

「……? キミはずっとダニエルの妹……ノンノだったか、あの子の傍にいたんだろう」

「ええ、でも傍にいるだけで……他には何も」

 眉を下げながら笑うハルシフィアは、レオナールが残した功績に比べたら自身がしたことなどほとんどないと謙遜している。しかしレオナールからすれば、彼女が村に残りしてくれたことは感謝すべきことなのだ。

「小さな子どもにとって母親が危険な状態な上に兄までいないとなれば、心情は穏やかじゃない。不安がないように落ち着かせただけで十分な功績だ」

「そう、でしょうか」

「キミはキミにできることをした。それだけだ」

 立ち上る湯気に、一瞬ハルシフィアの表情は見えなくなる。しかし自身にやるべきことができたと言われると、役目は果たせたのだと嬉しそうに微笑んでいた。そんなハルシフィアを横目に、レオナールはあることを考え始める。

「ハルシフィア、コカトリスは吐息で敵を石にするんだよな?」

「はい、普段はそうです。このような形で複数人同時に進行形の呪いをかけてくるのは見たことがありません」

「……つまりあのコカトリスは、通常の個体とは異なるものということか」

 ハルシフィアの言うことが正しければ、レオナールとダニエルが対峙したコカトリスは今までの魔族と異なる動向の個体ということだ。それは経験による魔族討伐を繰り返している冒険者ギルドや王国直属の騎士団が苦戦を強いられることになる。

 いつもならばそういった報告は行わなければならないが──今のレオナールは、恐らくヴァプールに居場所がないだろう。依頼完了の報告を行わず逃亡し、魔族と一緒にいることがわかれば冒険者ギルドは王国へ報告して指名手配を行うはずだ。

「もしかしたら、強力な魔族がコカトリスに何か能力を与えた、とか……」

「その可能性も否めないだろうな。そうなると……今の私では、厳しいか……」

 誰かに能力を授かったとしても、コカトリスの討伐はいつもよりも苦戦した。それはレオナールの戦闘スタイルが守ることに長けているというのもあるが、このままハルシフィアとともに夢を実現させようと奔走するのならば──。

「攻撃が得意な者を引き入れなければ……」

「……そうですね、わたしは回復しかできませんから……」

 戦力の補充、まずは第一にそれを考えなければならない。少なくとも今回のコカトリス討伐は、偶然コカトリスの弱点である火を扱えるダニエルがいたからどうにかなったようなものなのだ。今後もそういった偶然が続くと考えにくいからこそ、真剣にならなければいけなかった。

「……わたしにも、戦える力があれば……」

「適材適所という言葉がある、キミはそのままで……」

 落ち込んでしまっているのか、声が小さいハルシフィアを慰めようと彼女の方向を見る。しかし彼女の顔は赤く染まり、縁にタオルを敷いて頭を預けていた。時折ちょっとしたうめき声も聞こえる。

「……のぼせたな!?」

「く、くらくらしますぅ~……」

 レオナールが慌てて立ち上がると、勢いで湯船がばしゃりと大きな音を立てる。本日三度目だがのぼせたハルシフィアを抱え、急いで浴場から立ち去った。



 ハルシフィアに水を与えて寝かしつけたあと、レオナールは縫製を行ってくれる女性の家へと足を運んでいた。テーブルの上には設計図が広げられており、レオナールは彼女としばらく服のデザインについて対談を行っていた。

「私もそうだが、ハルシフィアは特に頭の角と目が見えにくいデザインにしてほしい。今後行動するにあたって、彼女が魔族であると悟られると危険だ」

「しかしフードの形だとふとした時に外れたら大変ですよね……不可視の魔法はかけられないんですか?」

「それに関しては不明だ。だが回復しか使えないと言っていたから恐らくそういった妨害魔法は使えないだろう」

 様々な提案をしているうちに、結局はフードで彼女の頭と目をできる限り隠す方針を取ることにした。レオナールもそれに似た形を取ろうと思ったが、ふと女性からこんな疑問を投げかけられる。

「冒険者様はお顔を隠す必要があるんですか?」

「……ゆくゆくは私が指名手配を食らう懸念があるからな」

「指名手配……」

 その言葉を聞いて、女性ははっとした顔で静かに謝罪をする。村を救ってくれた英雄である者達だからこそ忘れていた。ハルシフィアが魔族であるということは変わりなく、そして王国にとって敵対関係にある魔族と交友を持つことが禁じられていることを。

「縫製は何日で終わる?」

「……明日の昼には終わらせます」

「二人分、行けるのか?」

「魔法でぱぱっとやりますよ!」

 魔法が根付いているこの世界では、ありとあらゆる場所で魔法が使われる。冒険者という職業柄、戦いで使う場面を多く見るが私生活の中にも魔法というのは組み込まれている。そういうことならばとレオナールは女性に感謝し、対談を終えて宿に戻ろうとした。

「あ、冒険者様。お二人のイメージに合うように服を作っていいですか?」

「? 構わないが……私のものは動きやすい方がありがたいが」

「わかりました、任せてください!」

 胸を張るように言い切る彼女に改めて礼を述べ、レオナールは女性の家を立ち去る。「やるぞー!」なんて気合の入った掛け声が聞こえてきたため、もしかしたら女性に徹夜をさせてしまうのではないかという申し訳なさを覚える。

 しかし縫製に関してはレオナールは学がない、このまま黙って彼女に任せる他ない。手間賃を弾まなければ、と思いながらレオナールは宿へ帰っていった。



 ハルシフィアは不思議な夢を見ていた。薄暗い、壁のないような空間で一人の少女が膝を抱えてすすり泣いている。どうしたのだろうと声をかけようにも、ハルシフィアの口からは一向に声が出てこない。

 仕方なく彼女に気づいてもらうために歩み寄ると、足音が一切立たないがハルシフィアの存在に気づいたようだ。しくしくと泣きながら彼女の方を見る少女の顔はよく見えず、しかしハルシフィアが生きている世界の人間には思えなかった。

 少女はハルシフィアが今まで見たこともない服を身にまとっている。不思議な襟をしたトップスに、その襟を飾る赤い布。そして足元を露出したスカートは、魔族の中でも見たことがないものだった。

「──」

 どうして泣いているんですか、と声をかけたくても声が出ない。少女は少しの間ハルシフィアを見ていたが、また先ほどのように膝を抱えてすすり泣いてしまった。なぜだろうか、ハルシフィアはこの少女に泣いてほしくなかった。

 理由はわからない、ただこの少女が泣いていると胸がざわざわと落ち着かないのだ。この少女のことなど、ハルシフィアは一つも知らないというのに。それなのに──どうか泣き止んでほしくて、なぜ泣いているのかが知りたくて。

 手を伸ばしたところで、すぅっと少女は陽炎のように消えていってしまった。薄暗い空間にただ一人残されたハルシフィアは、少女がいた場所を眺めることしかできなかった。



「んん……」

 薄らと目を開けると、見覚えのない天井が目に入る。ハルシフィアはゆっくり自分が今置かれている状況を思い出し──そして浴場で頭がくらくらして意識を手放したことを思い出した。

「おはよう」

 身体を起こすと、昨日とは違う服装のレオナールが立っている。昨日よりも隠密性の高いシックな色合いと、動きやすそうな格好。クールな表情が多いレオナールだから似合うのだろうファッションにハルシフィアは釘付けになっていた。

「お、おはよう、ございます……?」

「これ、ハルシフィアの分」

 そう言ってレオナールが指差した先にあった服に視線を向け、そしてまた目を奪われた。

「着替えが見られたくないなら席を外すが?」

「え、あ、お願いします……」

「わかった」

 レオナールは素直に寝室を後にし、そこにはハルシフィアとハルシフィアのために繕われた服だけが残されていた。ハルシフィアは改めてかけられている服に目を通し、そしてまじまじと見る。

 その服は今までハルシフィアが着ていたどの服とも異なって、可愛らしい女の子のデザインをしていた。肌触りも柔らかで、上等な布を使っていることがよくわかる。こんなに良いものを、自分が着てしまっていいのだろうか。

「……」

 もしもレオナールなら、権利があるといって着ることを勧めてくれるだろう。目の前の可愛らしい服を手に取り、しばらくそれを見つめて袖を通した。

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