第5話 モンブリー鉱山

 少しだけ錆びた蝶番の音が響き渡る中、レオナール達は老人に引き連れられてノンノとダニエルの住む家に入った。奥まったところにあるベッドには病床に伏せる母親が、苦しげな呼吸をしながらも眠っている。

「お母さん……!」

「ママぁ……!」

 ノンノとダニエルは一向に症状の改善されない母親の元へ駆け寄り、しくしくと涙をこぼしている。想像以上に深刻な母親の病状を目の当たりにして、ハルシフィアは絶句しているようにも見えた。

「あの子達の母親は一か月前に急に倒れてな。そこから一度も目を覚ましていないんじゃ」

「植物状態ということか……」

「手足も異様なまでに冷たくなって、まるで石のようでな。それに……この子達の母親を皮切りに、この症状が出る者が増え続けているんじゃよ。村の長として、解決できないことが心苦しい……」

 老人──村長は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、心底悔しそうに杖を握る手に力を込めている。ハルシフィアはそんな村長と子ども達の様子を見て、装具のつけられた手で母親の身体に触れる。

「何かわかるか?」

「……これは……コカトリスの呪いです」

「コカトリス……?」

 村長がハルシフィアの言うコカトリスという魔族の名前を繰り返す。ハルシフィアは神妙な面持ちで首を縦に振り、魔族に関して知識が薄い者にもわかるように説明を始めた。

「鶏の頭を持つ怪鳥を、コカトリスと言います。コカトリスは吐息に猛毒を持っていて、その吐息は耐性がない人が浴びてしまえば見る見るうちに石化してしまうものです」

「なんじゃと!? そんな恐ろしいものが……!」

「だが、この子達の母親は突然倒れたんだぞ? そん時魔族がいりゃ流石に俺達だってわかるさ」

 ハルシフィアの言うように、コカトリスの吐息によって呪いをかけられたというのならばそれを村人である男は否定することができた。母親が倒れた時には大勢の人がいたのだと言う。

「それに関しては……多分、呪いという違う形だから症例が変わっているんだと思います。でもこの魔力の流れは、間違いなくコカトリスのものです」

 魔族であるハルシフィアの断定に、村人達も不安げな言葉が飛び交っている。現在進行形でコカトリスの呪いが進行している話も聞く限り、性急に討伐をした方が良いようだ。レオナールは次にハルシフィアにこう問う。

「コカトリスはどこにいるか検討はつけられるか?」

「今辿ってみます」

 すぅ、と息を吸って目を伏せながら何かを模索するように空気がぴりぴりと張り詰める。ハルシフィアの脳裏にはどこかの情景が浮かんでおり、ゆっくりと魔力の流れを辿っていくとどこかの洞窟が見えてきた。

「この村から少し離れた……洞窟の、奥でしょうか。そこにコカトリスはいるみたいです」

「洞窟……モンブリー鉱山か!」

「あそこは地盤が緩んでいてしばらく出入り禁止になってたが……魔族の巣窟になっておったとは……」

ざわざわと騒ぎ始める村人達をよそに、情報を聞き終えたレオナールは荷物を揃え始める。コカトリスがハルシフィアの言うように石化魔法を使うのであるならば、それに対抗できる装備を整えれば十分だろう。

「石化に耐性のある装具はあるか?」

「そ、それは流石に……」

「ないならないでいい、そうすると魔力回復の薬と……ハルシフィア、コカトリスの弱点は?」

「コカトリスは火が苦手なので、できれば爆発できるようなものがあれば……」

 自身の荷物の整理も兼ねて、コカトリス討伐に必要なものを村人にも持ってこさせ揃え終わると、レオナールはすぐに村人にモンブリー鉱山への道を尋ねる。ハルシフィアのように魔力を視るなんてことはレオナールにはできないが、どう見てもこのままもたもたしていたら手遅れになることは明らかだった。

「あ、あんた一人で行くのか?」

「この村に魔族の討伐に長けた人はいるのか? 見たところ冒険者もいないようだが」

「コカトリスは普通の魔族よりも強い個体です。大人数で押して倒せる相手でもありません……」

 レオナールとハルシフィアの言葉に、村人達は言葉を詰まらせる。この村にいる力自慢の男達は、いずれも魔族としては弱い部類にあるスライムなどを倒せる程度のものだ。クレテイユ村は今まで運良く強い魔族の襲来に遭わなかったのだろう。

 村長はモンブリー鉱山への道筋を教え、レオナールはその道筋を覚え性急に家を後にして鉱山へと向かう。大多数が見守る中、未だに母親にすがりついて泣くノンノの頭を撫でながらハルシフィアはレオナールの無事をただただ祈っていた。

「……あれ? ダニエルはどこいった?」

「え?」

 村人の言葉に、家にいた全員が周囲を見回す。だがどこを見回しても、ダニエルの姿が見当たらない。一体どこへ、そんな空気が流れる中村長がもしやと口にする。

「あの馬鹿もん、まさかあの冒険者についていった……!?」

 さっと顔を青ざめる村人達に、ハルシフィアもまた同じような反応を示した。戦闘訓練をされていない大人ですら太刀打ちできないコカトリス相手に、少々の魔法が使えたとしても子どもが行ってしまえば──。

 しかし慌てて後を追おうとしても、もし鉱山の入口にコカトリスがいたとしたらレオナールにとって邪魔になるだけではないだろうか。そして最悪の場合──死んでしまうのではないだろうか。その考えが村人達の頭をよぎり、誰一人その場から足を動かすことはできなかった。ハルシフィアは、どうか何も起こらないことを祈ることしかできなかった。



 モンブリー鉱山までの道のりは簡単だった。元々この鉱山から取れる鉱石を生活の基盤にしていたのだろう、道は整備されて明かりも程よく灯っていた。だが日は傾き始めている、このまま夜を迎えることになればより魔族にとって有利な環境が作られてしまうだろう。

 しかし子ども達の母親と呪いにかかった者たちの進行を抑えるために、この件を次の日に持ち越すわけには行かなかった。呪いとはいえ一か月、彼女達はよく耐えてきたとレオナールは考えていた。

「あれが鉱山か……」

「そ、そうだよ。立ち入り禁止の看板は外しちゃって大丈夫だから」

「そうか……おい、どういうつもりだ」

 あまりにも自然に入り込んできた会話に思わず相槌を打ったが、冷静に考えればここにレオナールの言葉を返す人間などいるわけがない。それにこの声には聞き覚えがあり、レオナールはすぐさま足元を見ると先ほどよりも装備を整えたダニエルが口をへの字にして彼女の隣に立っていた。

「お前はハルシフィアの話を聞いていなかったか? コカトリスは普通の魔族よりも強い個体だと、大人数で押して倒せる相手ではないと言っただろう」

「聞いてたよ、でも……そいつ、火が苦手なんだろ? 俺、火の魔法が得意なんだ!」

「だからと言ってお前のようなガキが来るところじゃない、さっさと帰れ」

 しっしっと手でダニエルを払う素振りを見せるも、ダニエルは一切引く気もないようでレオナールの目力に怯えずに立ち向かった。ダニエルが火の魔法を使えることは、レオナールもデストレントと対峙した時にわかっていることだった。しかしそれでも戦闘もろくにできないであろう子どもと行動を共にする気はなかった。

「いい加減にしろ、お前は命の責任を私に押し付ける気か? 今のお前は足でまといだ!」

「足でまといになんかならない! あんたの言うことに従う! 危険だとわかったらすぐ逃げるから、だから俺を連れてってよ! お母さんを助けたいんだ!」

「…………はぁ……」

 頑なにレオナールの言葉を拒むダニエルに、何を言っても聞かないだろうと諦めがついてしまった。子どもにとって、母親とは唯一無二の存在だ。その母親が危機に瀕し、苦しげな様子をしているというのなら──助けたいと思うのが当たり前のことなのだろう。レオナールは諦めて荷物の中からいくつか消耗品を取り出し、ダニエルに向かって乱雑に放り投げる。

「いいか、必ず私の命令に従え。勝手な行動を一つでもした瞬間に、私はお前に転移魔法をかけて村へ引き戻させる。だがそれは私の魔力の枯渇を意味し、より私を危険な状況に陥れることだと理解しろ」

「……わかった!」

 ダニエルの無垢でまっすぐな瞳は、とっくに覚悟を決めているようだった。そんなダニエルの様子に息を漏らし、レオナールは改めて用意してもらった剣を引き抜いて鉱山の入口へ向かう。

「私の後ろについていろ、基本は援護射撃を行う形でいい」

「えんご……しゃ?」

「……後ろから火の魔法を魔族に放て、という意味だ」

 レオナールは子どもの相手が苦手だ。元々冒険者からも無機質で冷たい表情だと揶揄されていた彼女にとって、ほとんど縁がないような存在なのだ。子ども達が寄り付く人間というものは、ハルシフィアのように穏やかな微笑みを浮かべる者であり、レオナールのように冷めた表情を向ける者ではないのだから。

「お前達には父親はいないのか」

「お父さんは……三年前に死んじゃったよ。元々身体が弱くて、病気になっちゃって」

 整備された坑道には明かりが灯っており、わざわざ松明を付ける必要はなかった。魔族の気配を感知できるように神経を張り詰めらせながら、レオナールとダニエルは多少の会話を続けていた。

 レオナールにはダニエルが頑なにコカトリスの討伐に足を運んだ理由がわかった気がした。病弱な父親を亡くし、今は母親が呪いによって病床に伏せている。父親の死は、鮮明にダニエルの記憶に刻み込まれているのだろう。

「お父さんが、言ってたんだ。俺は長男だから、お母さんとノンノを守ってやれって。守れるくらい強くなれって」

「……」

「だから……俺は、お母さんを助けたいんだ。お父さんとの約束を守るために」

 ダニエルの覚悟は、レオナールが思う以上だった。亡き父との約束、それを健気に守ろうとする絆の強さ。レオナールがかつて欲しかった全てを──ダニエルは持っている。

「そうか」

 そう呟き、レオナールは坑道をダニエルの歩幅に合わせて先導していく。その声はダニエルが聞いても、怒号を連ねた人間の呟きとは程遠く感じるほど空虚だった。

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