第3話 食事
ハルシフィアの怪我の状態を思えばこの森に長く留まることは良くないことだ。しかし、タンプの森は入り組んでいて王都ヴァプールから離れる形となれば半日はかかる可能性がある。森を抜けるよりも、疲弊と体力不足により動けなくなることが目に見えている。
「……? あの、水の音が聞こえます」
「水……ああ、川が近いな。一旦そこで休憩しよう」
ぴくりとある一定の方向を見つめ始めたハルシフィアの言葉を聞き、レオナールはこの近くに川が流れていることを思い出す。一度そこで休息を取り、ハルシフィアの怪我の治療に専念したほうが今後の為になると考えレオナールは彼女を率いて川へ向かった。
進むごとに水の音は大きくなり、視界が開けると目的の川を見つけることができた。しかしどうやら先約がいたらしく、鋭い牙を剥き出しにした獣が水中の魚を食べるべく狩りをしていた。
「……大きいな」
あれだけの巨体の獣ならば、腹を膨らませるには十分だろう。物陰に隠れたレオナールは荷物をハルシフィアに預けると、手に神経を集中させる。数秒後、じりじりと焼けるような熱さを感じたハルシフィアが目にしたものは、レオナールの手の中で形成される炎の弓矢だった。
弓矢を構えて狙いを定め、炎の矢は巨体の獣目掛けて一直線に飛んでいく。狩りに夢中の獣がその矢の音に気づいたのは身体に突き刺さる直前のことで、突き刺さった瞬間に獣は大きな声を上げて地面に倒れ伏す。遠目から見ても、獣が絶命したのは明らかだった。
「あ、あんな大きいのを一撃で……」
「……ふー……」
ハルシフィアが驚愕の声を上げていると、レオナールは重い息を吐く。先ほど目くらましの魔法を使った時のように汗が出ており、眉間に皺を寄せている。
「だ、大丈夫ですか!? ご、ごめんなさい、わたしがなんとかすればよかったのに……っ!」
「……大丈夫、攻撃の魔法は苦手なんだ」
レオナールは汗を拭いながら仕留めた獣の前へ歩み寄り、膝をついて十字を切る。少しばかり目を伏せたあと、ハルシフィアに預けていた荷物から小ぶりのナイフを取り出して解体作業に勤しむ。
「あの、何かお手伝いできることは……」
「そうだな……薪が欲しい。頼めるか?」
「は、はい!」
レオナールに言われ、近くの薪になりそうな木を取りに向かうハルシフィアを見送り、解体作業の続きに入る。どうやらこの巨体の獣は魔族ではなかったようで、レオナールは少しだけ胸をなで下ろした。
ハルシフィアが望む世界は魔族も人間も共に手を取り合うことのできる平和な世界だ。それの実現が難しいとしても、彼女の前で魔族を殺すことは精神的なショックを引き起こす恐れがある。レオナールはそれだけはどうしても避けたかった。
全ては、ハルシフィアが彼女によく似ているから。
「レ……レオナールさん? これでいいでしょうか」
「十分だ。ありがとう」
解体もあらかた終えると、両手いっぱいに木材を抱えたハルシフィアが戻ってきていた。彼女に礼を言い、木材を並べてレオナールは先ほどのように手に神経を集中させて指先に小さな火を灯す。それを木材に移し、焚き火を作って解体した肉を火に当たり過ぎないように置く。
「肉が焼けるまでは……もう少し私たちのことを知ったほうがいいだろう」
「は、はい……」
肉が焼き終わるまではお互いに何もすることがない。それならば、未だ深く知ってはいない能力についての話をするべきだとレオナールは判断した。周囲に感じられる気配も小さなものばかりで、このまま話を続けても構わないだろう。
「ハルシフィア。単刀直入に聞くが、キミはどういった能力が使える? 攻撃、防護、妨害、回復……これの中ならどれに当てはまる?」
「え、っと……わたしは回復が得意です。だ、だから……わたしは魔王の娘らしくないって言われてましたけど」
当時のことを思い出しているのか、苦笑いを浮かべているハルシフィアにレオナールは相槌を返す。
「ありがたい話だ」
「え?」
「私は防護が主だ。攻撃、妨害は先ほどのように少しなら使えるが魔力の負担が大きいから連発はできない。回復はからっきしだったから……今の私にはキミがいてくれると助かるんだ」
肉の焼き加減を見ながら話しているため、レオナールは時折ハルシフィアから視線を外していた。だから再び視線を彼女に戻した時に、はらはらと涙をこぼす彼女に少し目を開いて驚きを示していた。
「……わたしには、兄が三人と姉が二人います。みな強力な人たちで、誰が次代の魔王となってもおかしくない人たちです。人間もただの家畜に……かける情はない、と」
「……」
「わたしだけです。回復が得意で。人間と和平を結びたがる出来損ないは。わたし、だけ、だったんです……」
──ハルシフィアは随分と煙たがられて生きてきたようだ。これは人間も同じ話だ、異種族である魔族と友好関係を築こうとする者がいたとしたら、国家反逆罪にまでなるほど禁忌とされていることなのだ。結局のところ、人間も魔族もなんら変わりはない。
「魔族がキミを出来損ないと判断するのは構わないが、今の私にとってはキミの力がありがたい。それだけは念頭に置いてくれ」
「……はい、ごめん、なさい」
「それからキミは謝り癖があるようだな。悲観的、ネガティブ……どちらにせよ、キミは和平を望むのならば堂々たる態度でいたほうがいい」
未だにぽろぽろ涙をこぼしているハルシフィアにタオルを手渡すと同時に、ちょうど肉もいい具合に焼き上がったようだ。ぱちぱちと鳴る火の音を聞きながら、レオナールは肉に食らいつく。ようやく涙も収まってきたが、目を赤くしたハルシフィアからはきゅう、と腹の虫が鳴っている。
「……ご、ごめん、なさい……」
先ほどとは打って変わり、真っ赤になった顔をタオルで隠しているハルシフィアに、レオナールは少し笑いながら焼き上がった肉を彼女に手渡す。慌ただしくそれを受け取って頬張ると、空いていた腹を埋めるように嚥下した。
「食べ終わったら少し休んでから出よう。開けたところは目に付きやすい」
「んむむ……ふぁい」
特に味付けも何もされていない、そのままの味の肉だったがよほど腹を空かせていたのだろう。かなりの量があったはずの肉は次々と平らげられ、綺麗に骨だけが焚き火の周りに散乱した。
「……はっ! ご、ごめんなさい! つ、つい、その、お腹空いてて……!」
「……安心しろ、元より小食だ」
川から水を汲んで焚き火を消し、レオナールは周囲を見回して気配を確認する。少し汚れてしまった口元を貰ったタオルで拭きながら、ハルシフィアは川でタオルを洗ってからレオナールに向き直る。
「レ、レオナールさん。あの、何か、荷物とか持つものはありますか?」
「大丈夫だ。……それより、回復が得意なら自分の傷は治せないか?」
「あ、それなんですけど……」
レオナールの問いに、ハルシフィアは包帯の巻かれた腕に手を置くとその包帯を外し始めた。数時間ほど前に見た、痛々しい傷は塞がりかけの状態でレオナールの前に姿を現していた。しかしあくまで塞がりかけであり、完全には治っていない。
「先ほどは魔力が足りなくて……間に合わなかったんです、回復が。今は落ち着いて食事もできたので、あと少しすれば治ると思います……」
「そうか。魔力が枯渇する恐れもあるから、いずれにせよ止血剤と包帯は必要か……」
レオナールは今後揃えるべき装備を頭の中で整理しながら、十分な休憩を終えたハルシフィアと共に川を下る形で足を進めていく。川の近くにいるため砂利が多く、所々尖った石もあって裸足のハルシフィアにはやや危険な場所だった。
「ハルシフィア、ここら辺は足を切りやすい。抱えさせてくれるか?」
「えっ!? え、あ、さ、さっきみたいにですか!?」
ハルシフィアは遺跡から駆け抜けるために横抱きにされた時のことを思い出し、驚きと恥ずかしさのあまりわたわたと焦りながら返答する。装備も整っていない彼女に歩かせるよりは、と提案したレオナールだったがこの慌て様に流石にそのままするわけには行かないと結論づけた。
「嫌なら背負う形でいいんだが……足を切って回復に魔力を回すよりはマシかと」
「え、あ……は、はい、それじゃあ、その……背負ってくれますか……」
ハルシフィアの返答を貰い、レオナールは彼女の前に膝をついて背負える姿勢を取る。遠慮がちに背に近づいて振り落とされないように手を回すと、レオナールもそれを確認して彼女を担いだ。
日はやや傾き、これから夕暮れになっていくだろう。完全に暗くなる前に、村の一つを見つけられたら幸いだが最悪の場合は野宿を強いられる。魔族を連れて歩くだけでリスクを伴っていることには変わりないことだが、逆に人の住む場所を見つけなくても同じことを繰り返すだけだ。
「少し走る、しっかり掴まっていてくれ」
「は、はい!」
ハルシフィアからの了承を得ると、レオナールは足に神経を集中させて身体強化を図る。魔力が両足を覆うような感覚を確認したあと、脚力強化の魔法がかかった足は一歩踏み出すと焚き火をしていた場所から一気に前へと進んでいった。
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