第2話 逃走
お互いの自己紹介を済ませたあと、自らを魔王の娘と名乗ったハルシフィアは、ぽつぽつと自分がここまで逃げた経緯を話し始める。
「父は魔族だけの世界を作りたがっていて……人間は家畜なのだから、立場というものをわからせるのだ、と」
「しかしキミはそんな父親の考えが合わなかったから、逃げ出した?」
「……そう、です。わたしは……血を血で拭わなくても、良い未来が築けると思ってます」
話をしていくうちに、レオナールはハルシフィアという魔族の性格がよくわかるようになってきた。良くも悪くも、彼女は人間が思い描く魔族らしくないのだ。今まで魔族と対峙してきたレオナールから見た魔族というものは、血気盛んで目的のためならば手段を惜しまない者たちばかり。ハルシフィアのように、対話をしようと試みる姿はまるで人間のようだ。
「わ、わたしは……父を止めたい……ん、です。武力で支配して……そんなことをすれば、いずれ綻びが生まれます」
「……キミは人間と和平を結びたいと?」
「はい……歩み寄れば、きっと繁栄は……続いていく、はずです」
ぐっと拳を作り松明の炎を見つめるハルシフィアを見て、レオナールは目を伏せた。ハルシフィアが語り、理想としているものは結局のところただの理想に過ぎない。両者が限りなく平和に分かり合える世界は──生半端な覚悟の上では成り立たない。
「はっきり言おう、キミが語っているのは生ぬるい理想論だ」
「っ……」
「あらゆる血を見る覚悟をしなければ、和平は作られない。殺伐とした両者の意識を変えるのは、自らを傷つける覚悟を持たなければならない。キミ自身が血を流すことになるかもしれない。その覚悟を持てるか?」
レオナールの言葉に、ハルシフィアは言葉を詰まらせて俯いた。ここでそんな覚悟はないと否定すれば、所詮はその程度の夢物語で終わる話だった。結局は世界の行く末を変える一手にはなりやしない。
しかし、ハルシフィアの覚悟は固かった。
「戦う必要のない人たちが……戦わないためにわたしが……戦うしかないってことですよね」
「……平たく言えばそうだ」
「わたしは……怖い、です。戦うのは怖い。でも……わたしがしなければいけないのなら、やります。やってみせます。もう……逃げません」
ハルシフィアの緑色の瞳が、レオナールをまっすぐ射抜く。傷だらけの身体で、痛みを携えてここまで来たはずなのに。かすかに震える身体は、未だに恐怖が滲みついているだろうに。魔族と人間の和平を──夢物語にしないのだと宣言した。
レオナールはそんなハルシフィアの答えを聞き、腰を持ち上げて立ち上がる。びくりと震えてしまうのは反射だろうか、しかし先ほどのような警戒心はとっくにハルシフィアにはない。レオナールは彼女の元へゆっくり歩み寄り、そして右手を差し出した。
「その夢物語を正史にする覚悟があるのなら、私はキミに協力したいと思う」
「え……?」
「人間は疲弊している。私も終わらない戦いをいつまでも続ける気はない。今の人間には打開策がない、だから私はキミの案に乗りたい」
ぽかんと口を開けているハルシフィアは、恐らくレオナールの提案を飲み込めずにいるのだろう。当たり前だ、話をしたと言ってもレオナールは本来であればハルシフィアと敵対関係にある存在だ。レオナールの意図が読めず、ハルシフィアは自身の疑問を述べる。
「あ、あなたの言っていることは……自分の立場を危ぶむこと、ですよ?」
「承知している。こう言ってはなんだが、今の私は失うものはない。キミの捨て身の夢物語に参加したところで、何も損はない」
起伏の少ない表情でそう言いのけるレオナールに、ハルシフィアは驚きを隠せない様子だった。しかしレオナールが言うことも事実で、実際に彼女は巨万の富を持っていたり誰からも慕われるようなこともない。レオナールの生みの親は流行病で亡くなっており、天涯孤独の身であるのだ。
だがレオナールの内情を知らないハルシフィアは、やはり彼女を巻き込む形になることを嫌がっている様子だ。レオナールは眉をひそめて考え込んでいるハルシフィアの手を取り、再び屈んで視線を合わせた。
「人間の意見も必要だろう」
「……わ、わかりました」
根負けしたのはハルシフィアだった。彼女の答えを聞いて満足したのか、レオナールは立ち上がって松明を手に取る。来た道を戻り、一度依頼の報告へ向かわなければならない。
「一度私は都に戻る。キミの装備も買わなければならん、サイズは……私より少し小さめか? 武器は何を使う?」
「えっと……わたしは、武器は使わないので、いらないです……」
「……そうか、私と似てるな」
少しばかりの雑談をしながら、レオナールとハルシフィアは遺跡の入口へと向かっていく。巣の調査の依頼が来ているということは、いずれこの場所は他の冒険者か王国直属の騎士団が向かうところとなっている。傷ついた状態でハルシフィアを残せば、喜々として人間は彼女を殺すだろう。
レオナールの警戒は間違っていなかった。入口に差し掛かる通路を歩いていると、ぴたりとその歩みを止める。勢い余ってレオナールの背中にぶつかってしまったハルシフィアは、間抜けな声を出してぶつけた顔を撫でていた。
「……あ、の」
「静かに」
屈んで、とレオナールが指示するとハルシフィアはすぐにそれに従った。音を立てないように息をひそめ、神経を集中させるとかちゃかちゃと金属の擦れる足音が聞こえてきた。ハルシフィアがちらりとレオナールの表情を窺うが、彼女の表情は変わっていなかった。
話し声が聞こえるが、何を話しているのかまでは聞き取ることができない。しかし一つしかない遺跡の出入り口を塞がれている状況で、このまま彼らが立ち去るのを待つわけにもいかない。
だがハルシフィアは、人間とは明らかに違う容姿をしている。彼女の姿を隠す服もない状態では、動くに動けない状況だ。日が落ちれば流石に退散するのでは、と考えるもレオナールが調査に入ったのは朝方だった。そこまで時間をかければ、不審に思ったギルド側が別の冒険者を派遣してくるかもしれない。
「……失礼」
「? ……っ!?」
考えあぐねている様子を見せていたレオナールは、不意にハルシフィアを横抱きにしていく。なんとか声は抑えられたものの驚きを隠せないハルシフィアは、レオナールの行動の理由がわからないままだった。
「目を閉じて」
言われるがままにするしかない状況のハルシフィアは、素直にレオナールの言葉に従う。ぎゅっと目を瞑り、落ちないように彼女の服を強く掴む。途端に強い揺れと、何かが破裂するような音が聞こえてきたが、ハルシフィアはレオナールの言いつけを破ることなく目を瞑ったままでいた。
「うわっ、なんだ!?」
「げほっ、げほ! め、目が……っ!」
男たちの叫び声が聞こえてくる中、レオナールはハルシフィアを抱えたままその間を素早くすり抜けていく。振動に振り落とされないようにハルシフィアはさらに強くレオナールの衣服にしがみつき、レオナールもそんなハルシフィアを振り落とさないように丁寧に抱え直す。
時折激しい浮遊感もあり、振り落とされる恐怖を抱いているとゆっくりとそれは落ち着いていく。先ほどの男たちの声はもう聞こえず、しんと静まり返った空気がハルシフィアの頬を撫でた。
「目を開けていいよ」
レオナールの声を聞き、ハルシフィアは目を開いた。依然森の中にいるようで、しかし先ほどの遺跡とは大きく離れた場所に落ち着いたようだ。ようやく横抱き状態を解消してくれ、地面に下ろされるとよれよれの服を伸ばして周囲に意識を送る。
「さ、さっきは、何を?」
「目くらましの魔法だ、一応こういう妨害系は使える。ただ多用はできない」
息をつくレオナールの額は汗がにじみ出ている。そんなレオナールの様子に罪悪感を抱いたハルシフィアは、さっと顔を青くさせたが汗を拭うレオナールは気にしないようにと口にした。
「私は魔道士ではないから、使える魔法と使えない魔法が限られているんだ。それを使う判断をしたのは私なんだから、キミが気に病む必要はない」
「わ、わたし……」
「キミの夢物語を正史にする協力をすると決めたのも私だ。全て私の自己責任なのだから、そう心を痛めるな」
そうは言ったものの、やはりどこか気にしている様子のハルシフィアにこればかりは性格だろうとレオナールは結論づける。森の中で道を探すべく鬱蒼と生い茂る草をかき分けていると、わずかながら足跡を発見することができた。
「まずは森を抜けよう。ヴァプール……王都とは逆の方向に進むことになるが……歩けるか?」
「は、はい……」
裸足の状態のハルシフィアが足を切らないように先を行って足元を整地する。森の終わりは見えず、周囲を警戒し神経を張り詰めなければならない状況下。ハルシフィアの不安は拭えず、しかしレオナールの表情は変わらないままだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます