鳥王の剣

第1話

「待っててね! すぐできるからね!」


 やたらハイテンションな凛子がエプロン姿になり、鼻歌を交えながら料理をし始めた。


「果たして、食えるものが出てくるのかね?」

 

 蓮司が知っている凛子はお世辞にも料理ができる女性ではなかった。五歳の頃、カレーを作って悠人や蓮司の両親、そして正臣もひっくり返り、悶絶して七転八倒するほどの代物を作ったことを蓮司は思い出す。


 あの時は冷静沈着な正臣が食べた瞬間悶絶し、父である蓮也は二の句が継げず、悠人に至っては「俺たちを殺すつもりか!」と叫び、そして母である京香は怒りのあまり凛子の両頬を思いっきりつねっていた。


「凛姉、流石に今は成長しているよね」


 あの時自分は両親が食べて大丈夫だったら食べる予定であったために、あの地獄絵図に巻き込まれずに済んだ。


 もし食べていたらカレーという食べ物にトラウマを抱いていたかもしれない。


 そこからすでに十年経過しているのだ。流石の凛子も料理の腕は上がっているだろう。


 蓮司は心を落ち着かせながら、爆弾のような料理が出ないことを祈り始めるが、それを遮るかのように「はーいできました!」と凛子の明るい声が聞こえてきた。


 ニコニコしながら鍋焼きうどん用の土鍋を持ってくる凛子の姿は、屈託がなく無邪気であった。


「何作ったの?」


 やや警戒しながら蓮司は身構えるが、凛子は蓮司が身構えていることなど気にせずに「美味しいもの作ったの」と答える。


 何を作ったのかが確認したかったが、匂いはとりあえず不味くはなさそうなため、とりあえず蓮司は土鍋の蓋を開けた。


「これって……」


「うふふ、お師匠様、蓮司君のお母さんから教わった鳥雑炊でーす!」


 一条家の鳥雑炊は、醤油で味付けした鶏ガラのスープをベースに、ささがきにしたゴボウ、そして鶏もも肉と長ネギを具にしてよく洗った冷や飯と一緒に煮こむ。


 鶏ガラスープにゴボウの風味と出汁が合わさり、あっさりしながらも食べ応えがある料理なので、小さい頃はよく蓮司は作ってもらったことがある。


「料理は出来立てが一番美味しいから早く食べて!」


 邪気が全くない笑顔で凛子は蓮司に食べることを進めたが、蓮司はゆっくりと蓮華を動かしながら、おかしなところがないかを確認していた。


 見た目は問題ない。匂いも鶏ガラスープとネギ、そしてゴボウが合わさったいい匂いがする。


 見た目と匂いに問題がないことを確認したことから、覚悟を決めて蓮司は雑炊を口にした。


「どうかな?」


「旨いね。よくできてる」


 味にも問題がないことを確認した蓮司は空腹から、むさぼるように雑炊をかきこんだ。


「嬉しいな、毎日料理している蓮司君に褒められちゃった」


 凛子の言葉に、蓮司は少し心が解れていくような気がした。


「なんか色々ごめん」


「大丈夫だよ。別に気にしていないから」


 優しく語りかける凛子に、蓮司は今までの自分を振り返るだけの余裕が生まれてきた。


「俺、いろいろと迷惑かけたよね」


「仕方ないよ、蛇の一族ナーガ魔獣軍団ベスティ・ヴァッフェも、鬼畜な連中だもん」


「凛姉も戦ったことあるの?」


「正臣のお手伝いでね。私、戦いは嫌いだけど、ああいう輩みたいのに普通の人たちが巻き添えになって苦しんだりするのはもっと嫌なの」


 能天気と正臣LOVEだけしかないように見えるが、見たことがないほどに真面目なことを言う凛子に蓮司は蓮華を持つ手を止めた。


「それに、北条さんたちも色々あったけど、私たちがもっと力になれたら、こんなことにはならなかったと思うの」


「別に凛姉たちのせいじゃ……」


「それなら、どうして蓮司君はあいつらと戦ったの?」


 苦い記憶が蘇り、蓮司は思わず凛子から顔を反らした。


「北条さんたちが殺されたのも、沙希ちゃんがあいつらに攫われたのも、沙希ちゃんが蛇の一族ナーガで蓮司君と戦うことになったのも、それって蓮司君のせいなの?」


「だけどそれで俺は沙希を殺したかけた」


「それは沙希ちゃんを殺したいから? 違うよね。蓮司君は北条さんたちの敵討ちをしたかった。そして、沙希ちゃんを助けたかった。だから、それを利用されて、蛇姫になった沙希ちゃんと戦うことになったんでしょ」


 その通りではあるが、それでも蓮司には自分がもっとしっかりしていれば、こんなことにはならなかったはずだ。


「騙された蓮司君に責任があるのは分かるよ。だけど、一番悪いのはだまそうとした側なんだよ」


 自分を慰めようとしてくれているのか、凛子の言葉は優しく、それだけに自分の未熟さを蓮司は感じた。


「それに、私聞いちゃったんだ。ザッハークが蓮司君に電話してきたのを」


「どうしてそれを?」


 思わず尋ねたが、蓮司はそれが愚問であったことを思い出した。


「私もジャガーノートだからね」


 凛子は驚異的な聴覚の持ち主であり、陶磁器や貴金属を軽く叩いて本物かどうかを判断できる。


 その耳をもってすれば、蓮司とザッハークの会話を把握するなど造作もないことだろう。


「そうか、凛姉に聞かれてたのか」


 こうして夜食を作ってくれたのは、ただの優しさだけではなかったらしい。


「それで、蓮司君はどうしたいの?」


 凛子からの問いかけに、蓮司は返す言葉が無かった。


「それじゃ質問を変えるね。ザッハークを倒したい?」


「出来ることならね」


「沙希ちゃんを助けることよりも優先するべきこと?」


「それは……」


 口ごもる蓮司に、凛子は軽くため息をついた。


「蓮司君、なんで正臣は蓮司君に戦わないように言ったと思う?」


「それは俺が未熟だからだろ」


 微笑みながら凛子は首を左右に振ってそれを否定する。


「それは方便。本当は、蓮司君が迷っているからだよ」

 

 まるで心を除かれているかのような言葉に、蓮司は思わず蓮華を落とした。


 迷っているという言葉は、今の蓮司の心境をまさに正鵠を射るがごとく言い当てていたからだ。


「私たちだって、蓮司君と同じ歳ぐらいからいろいろと派手に戦ってきたし、そのつらさも分かるよ。その分蓮司君のお母さんであるお師匠様や、一条先生にもいっぱい怒られたから」


 懐かしがるが、どこか悲しげに凛子はそう言ったが、それはすでに蓮也も京香もこの世にはいないことを確かめるかのようにも思えた。


「怒られた意味もね、今になってやっと分かってきたんだ。私以上に正臣はそれが分かるし、本当に正臣は蓮司君のことを心配しているの」


 凛子が諭すようにそう言うと、あえて正臣はわざと蓮司を突き放すつもりでハッキリと戦うなと釘を刺したのかもしれないと思った。


 少し冷静になれたからこそ分かる。正臣は決して理由もなく一方的に何かを強制することはしない。


 必ず、相手の心境を理解した上で対話を行おうとする。例えそれが、幼児であったとしてもだ。


「それに、苦しいのは沙希ちゃんも同じだと思う」


「どういうこと?」


「蓮司君は暴走した。だったら、それはそのままジャガーノートとして目覚めた沙希ちゃんにも同じことが言えるんじゃないかな?」


「そういえば、マサ兄もそんなことを言っていた」


 ジャガーノートになった後に、蓮司は自分の内にいる鳥王に乗っ取られた。自分よりも遥かに狂暴で残忍で、戦いを楽しむ鳥王に。


「沙希ちゃんはお父さんとお母さんを殺されたのよ。普通の精神状態であるわけがない。そんな状態になったら、マトモなわけがないじゃない」


 若干涙目になりながら沙希のことを凛子は憐れんだ。


「しかも、自分が人間じゃない上に、本当の娘じゃないなんて、心を引き裂くようなものよ」


 しまいには凛子は泣き始めたが、その姿を見ながら蓮司は自分は沙希に比べたら遥かに恵まれていることを理解した。


 両親は失ったが、祖父と一緒に暮らし、気づけば自分を支えてくれる兄貴分や姉貴分までいる。


 それに比べて沙希は孤独だ。両親を失い、同胞と呼べる存在はいても、奴らは悪逆非道の怪物に過ぎない。


 本気で沙希を大切にしているつもりならば、今になって沙希を取り戻すのも、結果的に奪ったことになるが実の親よりも深い愛情を持っていた北条夫妻を殺すようなこともなかったはずだ。


 その悲しみは今の蓮司とは比較にならないほどに重く、同時に計り知れないほどに深い代物のはずだ。


 それに、自分はまだ彼女に謝ることもできていないのだ。


「凛姉、俺決めたよ」


 自分がするべきことがはっきり見えたかのような気がした。


 我ながら、らしくない小難しいことを考えていた。いや、考えすぎていたのかもしれない。


「俺がやることはあいつらと戦うことなんかじゃない。沙希をあいつらから助け出す」


 答えは初めから目の前にあった。そんなことに気づけもしないほどに、蓮司は自分の力に現実を曇らせてしまっていたのかもしれない。


「やっぱり、蓮司君は一条先生とお師匠様の息子だね。それじゃ、お姉さんも手助けしてあげる。任せなさい!」


 自信満々に自分の巨乳を揺らしながら凛子は胸を張りながらそう言ったのであった。


******


「面白いことになってるじゃねえか」


 にやにやしながら、蓮司と凛子の二人のやり取りを眺めながら、別室で冷酒を飲みながら悠人は鉄面皮の親友にそう言った。


「やっと、気づくべきことに気づいただけだ」


 冷静に正臣は愉快そうに笑う悠人とは対照的に酒を飲む。


「よう言うわい。焚きつけた張本人の癖によ」


「俺は焚きつけたんじゃない。フォローアップさせただけだ」


 しれっとした表情のまま、正臣はつまみのキュウリの糠漬けを齧っていた。

 

 切らずに一本丸々の糠漬けをそのまま齧って食べるのが正臣の好みである。


「それ蓮司が漬けたんだってよ。つけ具合といい、ぬか床の手入れといい、なかなか頑張ってるよな」


「それがあいつの本質だからだろうな」


 齧った糠漬けはつけ具合もぬかの具合も言うことないが、それ以上に正臣が関心したのは発酵が進みやすい夏場であっても、ちょうどいい具合にしっかりと漬け込んでいるところにあった。


「手を抜けるのならば、いくらでも抜けばいいはずが、誰に言われなくてもきっちりと決めたことはやる。あいつには何かを壊したり、戦うことよりも、何かを作り、守ることが似合っている」


「同感だな。憎しみ混じりで暴れまくるなんて、あいつには全くと言ってもいいほど似合わねえよ」


 料理のプロであるからこそ、悠人は作った料理から料理人の本質を読み取ることができる。


「苦労を辞さず、努力ができるまっすぐな性格だからこそ、時には暴走する危険性はあるがな」


「だから俺たちがいる。俺たち自身がそうだったからな」


 かつての自分を思いだしながら、正臣と悠人もまた、蓮司が選んだ決断を尊重することを決めたのであった。





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