第4話

「では、用件を伝えようじゃないか。君たちにチャンスを与える」


 受話器越しにこちらを見下しているのが分かるほど、ザッハークはぬけぬけとそう答えた。


「チャンスだと?」


「ああ、そうだ。君たちとしてもこの子を人間に戻してやりたいはずだ。違うかね?」


「人間に戻せる方法を貴様らが持っているならな」


 沙希が人間ではない蛇の一族ナーガの一員であり、同時にジャガーノートであることは否定のしようがない事実だ。

 

 それを知るからこそ正臣はあえてザッハークに挑発的な言葉を投げかける。


「なるほど、君らの力でも彼女は人間に戻すことは無理ということかね?」


「勘違いするな。俺は彼女を人間に戻すつもりなどない。そもそも、人間に戻す方法をお前たちにあるならば是非そうしてくれ。そうすれば、彼女はお前たちにとっては全くの無価値になる。そうしてくれれば、こちらとしても万々歳だ。なんの問題もなくなる」


 やや挑発的な言い方ではあったが、ザッハークの出鼻をくじく効果はあったのか、数秒ほどの沈黙の後にザッハークの笑い声が聞こえてきた。


「なるほど、君はなかなか食えないものだね斯波正臣。いや、鋼鉄の王虎ケーニヒス・ティーゲル


「あいにく無駄に長生きをしているお前たちと違い、俺たちは時間を大切にしている。三分もあればメシもできるし、その気になれば、一財産作ることもできる。何が目的だ?」


 正臣はおとなしく、冷静沈着で感情を表に出さない。だが、嫌いな相手に対してはいくらでも口舌の刃ならぬ、口舌のマシンガンを乱射することも辞さないところがある。


「ヴェスペは獅子王ルーヴェを下品と称していたが、君もなかなかひねくれているようだな。まあいい。君たちとしても、蛇姫アムリタを取り戻したいはずだ」


「それで、返せと言ったら返してくれるのか?」


「わざわざ君たちはここまでやってきた。その苦労に何らかの形で褒美を与えようと思ったところだよ」


 スピーカー越しに聞こえるザッハークの声に悠人は「俺たち舐められているな」

と呟いた。


「それで、そちらの要求はなんだ?」


 ザッハークの褒美という言葉の真意を探るつもりで正臣はそう言った。


「要求か。特段そんなものはないが、あるとすれば君たちの命だな」


「まどろっこしい言い方は辞めろ。ようは、再戦を望んでいるということだな?」


 上から目線、というよりも話し方があまりにもまどろっこしいが、要するにリベンジマッチを望んているらしい。


「人間はすぐに答えを求めたがる。会話の楽しみ方を知らないのかね?」


「あいにく無駄に長生きはしていない。それに、お前たちとは会話を楽しむほど親しい関係になったつもりもない。蛇の一族ナーガは、他人との付き合い方や距離感といった感覚が存在しないのか?」


 口ぶりは冷静だが、正臣はある意味悠人よりも痛烈な毒を吐ける。なまじ、口調が穏やかであるだけに、正臣は相手の心を抉るような言葉を平然と吐けるのであった。


「まあいい。我々も君たちとはいい加減に決着をつけたいと思っていた。明日の朝9時に秋山峠で勝負しようじゃないか」


「彼女はちゃんと連れてくるのか?」


「この戦いは彼女が望んだことだ。安心したまえ」


「なるほど、そういうことか」


 ザッハークの思惑はともかく、沙希を救出できるチャンスは生まれた。


「百パー罠じゃねえか。ぜってーあいつら何か仕掛けてるぜ」


 悠人がぼやくが、正臣も同じ意見を持っていた。ザッハークがフェアな提案など出してくるわけがない。必然的に何等かの罠を仕掛け、こちらを叩きのめすつもりだろう。


 だが、正臣はそんな気持ちを一切出すことはなく「感心したよ」と呟いた。


「どういう意味かね?」

 

 受話器越しにザッハークが困惑したかのような口調に、正臣は思わず悪い笑顔になる。


「いや、言えば単刀直入で簡潔に用件を伝えられるんだということだ。お前らのやり口は常に迂遠でややこしい。流石、蛇から人間へと進化しただけのことはある」


 そう呟くと、ザッハークの歯ぎしりする音が聞こえてきた。


「明日の朝9時に秋山峠だな。約束は守れ。じゃあな」


 用件を端的に伝えると、やや乱暴に正臣はガシャリと音を立てて電話を切った。


「流石マー君だ。あいつらが悔しがる姿が目に浮かんでくるぜ」


 腹を抱えながら悠人が笑っていたが、対照的に正臣は相変わらずの鉄面皮のままだった。


「どったの?」


「いや、あまりにも奴ららしくないやり口だと思ってな」


「そうか? あいつら意外に負けず嫌いだからな」


 悠人が半分バカにしながらそう言うが、正臣はそれでもザッハークの真意を探れずにいた。


蛇の一族ナーガの下っ端ならばともかく、奴は仮にも蛇の一族ナーガ達を統べる蛇王だ。慢心することはあっても、油断するような奴じゃない。それに、この提案は俺たちにとっては大きなメリットはあっても、奴らには何のメリットもない」


「確かに、奴らは目的を果たしとるな」


 蓮太郎がぽつりとつぶやくと、悠人も表情を引き締め、神妙な態度を取った。


「言われてみりゃそうだな。沙希ちゃんは手に入れて、後はトンズラかましても別に問題はないはずだ」


 蛇姫アムリタとなった沙希を手に入れている以上、蛇の一族ナーガはすでに目的を果たしている。わざわざリスクを冒してまで戦いを選ぶ必要性はどこにもない。


「蓮司の抹殺だけは果たしていないが、俺たちが来た以上、事実上不可能になった。今更蓮司に手を出そうにも、正面切って俺たちとやり合うだけの意味があるとは思えない」


「とすると、やっぱりコイツは罠ってわけか」


「奴らにフェアな精神や、騎士道や武士道が芽生えていれば話は別だ」

 

 口にはしても、正臣はそんなことは一ミリも思っていない。


「奴らにそんな精神が芽生えていたら、北条さんたちは殺されてねえだろうよ。んでどうする?」


「とりあえずは、奴らの要求通りに動いてみよう。表面上はな」


 *****


 いくつもの巨岩が、触れもせずに砕けていく。


 目には見えぬ力、それも途方もないほどの圧力が岩を砕き、石に変え、そして石はらさらに細かな砂となっていった。


 砂はさらに細かな粒子と化し、水と混ぜられ、粘土となっていく。


 ある種の工場のような手順は、幻想的ではあるが、同時にまがまがしさがあった。

 何故ならば、その力を振るうのは、正真正銘の怪物だ。


「ご機嫌が優れぬようですな」


 魔術とも言うべき力を振るう蛇王ザッハークに、ヴェスペは声をかけた。


「醜態を見せてしまったようだなヴェスペ君」


 多少ひきつった顔ではあったが、ザッハークは平静を取り繕った。


「それは何よりです」


「しかし、やっかいな奴らだ。獅子王ルーヴェはともかく、鋼鉄の王虎ケーニヒス・ティーゲルはモラリストと聞いていたが、なかなかどうして、ひねくれた奴だ」


 ザッハークはそう吐き捨てると、目の前の巨石を一瞬で粉に変える。


 ミュータントでもあるザッハークにとって、この程度のサイコキネシスは手足を動かすのとなんら変わりのない。


 だが、平均的な能力者ですら、かろうじて石を移動させるだけが精いっぱいであり、破壊できたとしてもせいぜい二つに割るのがせいぜいというところだろう。


「これだけの巨石を瞬時に粉砕できるとは、誠に敬服致しました」


 鋼鉄の王虎ケーニヒス・ティーゲル相手にバカにされて八つ当たりをしているとはいえ、ただ石を破壊するのではなく、粉にするのはより精密で繊細な力が要求される。

 

 ザッハークは怒りに任せて石を破壊しても、精密な力のコントロールを容易く実行していることに、ヴェスペはお世辞ではなく本心から敬服していた。


「些か、醜態を晒してしまったようだね」


 ヴェスペの言葉に冷静さを取り戻したのか、ザッハークは余裕ある王者の風格を見せつけるかのように穏やかな口調でそう言った。


「醜態ならば私も同じ目に遭っています。それに獅子王ルーヴェには危うく殺されかけておりますので」


 獅子王ルーヴェとなった悠人と戦った時、ヴェスペはが放った地を穿つ太陽の弾丸をかろうじて回避した。

 だが、その威力を読み間違えたヴェスペはエネルギーの本流に巻き込まれ、半身を失うほどの大ダメージを負った。


「そうだったな」


「あなたに助けてもらわなければ、私は獅子王ルーヴェに倒されていたでしょうな」


「互いに同盟を組んだのだ。礼には及ばない」


 恩着せがましい態度を見せることなく、ザッハークはそう言い切った。

 

「一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」


「なんだね?」


「あなた方にとって蛇姫アムリタはどういう立ち位置になるのでしょうか?」

 

 その一言に、ザッハークはたまらずほくそ笑んだ。


「決まっているじゃないかヴェスペ君。彼女は文字通り、我らが蛇の一族ナーガ蛇姫アムリタだよ。それ以上も、それ以下でもない」


「つまりは同胞ということで?」


 ヴェスペの問いに、ザッハークは愉快そうに笑っていた。


「その通りさ。でなければ、わざわざこんな片田舎まで押しかけてくることはなかった。彼女は大切な同胞だよ」


 蛇の一族ナーガらしい残忍な笑顔を見せつけるザッハークに、ヴェスペは久しく自分が恐れを抱いていることを自覚する。


「だが、彼女にはまだ人間としての悪い習性がついている。まだまだ、彼女には蛇姫アムリタとしての自覚が足りない」


「つい先日まで彼女はただの人間でしたからね」


 人間として、北条夫妻と接触していたことから、ヴェスペは蛇姫アムリタとなる前の北条沙希という少女のことを知っている。

 

 負けん気が強いが、どこか脆さを感じる彼女にどこまで蛇の一族ナーガらしさが芽生えるのか、ヴェスペはそれが気がかりだった。


「朱に染まれば赤くなるとはよく言ったものだ。人間のようにつまらぬ感情を抱いてしまう。だからこそ、彼女には真の意味で目覚めてもらわなければならないのだよ」


「マインドコントロールを行うのですか?」


「そんな無粋なことはしない。彼女には選んでもらうだけさ」


 残忍な笑顔のままにザッハークは、サイコキネシスで黒く染まった一本の剣を引き寄せた。


「彼女はまだ、蛇の一族ナーガではない。だからこそ、真の意味で蛇の一族ナーガ蛇姫アムリタとなってもらわなくてはな。そのために、この剣を彼女に与える」


 何とも言えない禍々しさと、妖気ともいうべき負の力を剣として打ったのではないかと思うほど、この剣には魔力がこもっていた。


「そのためにはまず、鳥王ガルーダとなった彼にはもう少し、頑張ってもらわなくてはならんがね」


 そう言い放つと、ザッハークは高らかに笑い始めた。


 斯波正臣にやり込められた悔しさも、これから自分が考えた策の前では無意味になる。


 それが成功した時、自分は蛇王の一角どころか頂点に立つことも夢ではない。


 野心と歓喜が相乗効果を発揮し、ザッハークはさらに笑い続けていた。


*******


「俺にしかできないことか」


 暗闇の中で蓮司は正臣に言われた言葉を復唱してしまった。


「俺に何ができるっていうんだ?」


 ザッハークに騙され、力を暴走させて危うく沙希を殺しかけた。


 自分の中にあるもう一人の自分、金色の鳥王。


 そいつを御しきれない自分が戦ったところで足を引っ張るだけだ。


 そんなことは分かっている。だが、それでも自分にはもう、沙希を助けることしかできることがない。


 蛇姫となった沙希の目は憎しみに染まっていた。家族を失い、その原因を作った自分に怒りを向けていた。


 あの時沙希が呟いた言葉は今もなお、蓮司の心を抉っている。


 自分が死んでも悲しむのは祖父の蓮太郎だけだ。


 今蓮司の心には、二つの自分がいた。


 自分がそのまま死んでいた方がよかったのではないかと思う自分と、そんなことはないと否定する自分。


 師を望む自分が黙って殺されていればすべてが丸く収まっていたのではないかと言えば、生きることを望む自分がそれを否定する。


 だが、生きた所で自分に何ができるというのかと死を望む自分が問いかける。


 沙希を助けるどころか殺しかけた自分が今更何ができるというのか。


 ザッハークに騙されたとはいえ、沙希を追い込んだのは間違いなく自分だ。この力をもっと制御できていればこんなことにはならなかったはずだ。


 だからこそ、自分が沙希を助けなくてはならない。


 自分が沙希を追い込んだのであれば、それを救うのは自分の役割ではないのかと生きることを望んでいる自分が問いかける。


 そんな生と死を司る自分とのせめぎ合いの中で、蓮司のスマホが鳴った。


 こんな時に一体誰がと思いながら、スマホを手に取ると、そこには沙希の番号からのコールがあった。


「もしもし?」


「ごきげんよう。元気かね金色の鳥王君」


 自分を陥れた憎たらしい声に、蓮司は自分の耳を舐められるような気分になった。


「お前の声を聞くまではな」


「それは残念だ。ところで、君にチャンスを与えようと思ってね」


 蛇王の嫌みがかった口調に蓮司は眉を顰める。


「また俺をだますつもりか?」


「そんなつもりは毛頭ない。ただ、君とはきちんとした決着をつけたい。君もそれを望んでいるんじゃないか?]


 自分を見下し、嬲り、そして殺そうとしたザッハークの顔を思い出すと、途端に蓮司はスマホを握りつぶしたくなった。


「……それで場所は?」


「話が早くて助かるよ。明日の午前10時に定義谷だ。私に勝ったら、君に蛇姫を返してやろうじゃないか」


「吐いた唾は飲むなよ」


「威勢がいいな。では、明日また会おうじゃないか」


 鼻につくような口調に、通話が切れたスマホを蓮司はベットに投げつけた。


 おそらく罠だろう。


 散々自分を騙し、しまいには蛇姫となった沙希と戦わせるような奴だ。


 ザッハークの言葉に真実など存在しない。それは嫌というほど体験した。


 だが、ザッハークの言葉に出てきた定義谷という言葉に妙な違和感を覚えた。


「あいつ、なんで定義谷なんて口にしたんだ?」


 定義谷はこの土地に引っ越してきてから、蓮司と沙希の遊び場だった。山菜やタケノコ、キノコなどを採って遊んでいた思い出の場所でもある。


 それ以外は、特に際立った特徴がない場所だが、ザッハークの手元に沙希がいるならば、それは自分と決着をつけるにはある意味最もふさわしい場所ではないだろうか?


 そう考えると、罠の可能性よりも注意すべきは沙希との対決の方が問題になる。


 自分が、家族を殺したと沙希がザッハークに洗脳されているのであればなおさらだ。


 そう思った瞬間に、蓮司は跳ね起きてドアを開くと、何か柔らかいものにぶつかり、弾き飛ばされてしまった。


「何だ?」


 顔を押さえながら立ち上がると、そこにはデニムのホットパンツとタンクトップを身にまとった藤堂凛子の姿があった。


「あ、蓮司君どうしたの?」


 吹っ飛ばされている蓮司とは対照的に、凛子はあっけらかんとしていた。


「またこのパターンか……」


 先刻、凛子と出会ってからろくな目にあっていないことを思い出すと、蓮司はその場を去ろうとした。


「ちょっと待って!」


 自分から遠ざかろうとする蓮司に、凛子は無理やり蓮司の腕を掴んだ。


「何?」


 正直、凛子に構っている暇はないために、蓮司は少々イラついていた。


「蓮司くん、お腹空いていない?」


「別にいいよ、自分で作って食べるから」


 そのまま台所に向かおうとするが、凛子は慌てて蓮司のジーンズの裾を掴んだ。


「お姉さんが作るご飯が食べられないの?」


 若干嘘が入っているとしか思えない泣き顔で凛子が迫ってくると、蓮司は毒気が抜けていくような気がしてくる。


「私、一生懸命作ったのに。蓮司君に負けないぐらい美味しいの作ったのに……蓮司くんは食べてくれないんだ」


 うつむきながらも目を潤ませあからさまにがっかりしている凛子の姿には、すさまじいまでの悲壮感が漂っている。


 自分と同じ背丈の美女が悲壮感が漂ってくると、何とも言えない奇妙というか、奇怪な感じがした。

 

 半分芝居がかっているが、それでも半分は素のお人よしで若干粗忽な所があるからか、むげにするのも次第に蓮司は気の毒になってきた。


「分かったよ! 食べる、食べるからそういう顔するのやめてくれ!」


「わーい! 蓮司くんの機嫌が直った!」


 泣き真似をしていたのかと思いたくなるほど、一転して躁になっている姿に蓮司は真面目に付き合うことに若干馬鹿馬鹿しさを感じた。


 だが、正臣の言い方に頭にきて夕食を食べず、腹が減っているのも事実だ。


 とりあえずは説得されたことにして夜食を取ることに決めた。

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