第3話

『なんでお前は逃げているんだ?』

 

 悠人に逃げるように促された時、蓮司の心にまた「囁き」が聞こえてきた。


『お前の力があれば、あんな奴ら返り討ちにできたじゃないか』


 馬鹿を言うなと言いたくなるが、蓮司は一息つきながら足を止めた。


『所詮は蛇だ。お前の力があれば、あんな下等生物なんて、簡単に殺せる。そんな奴らから逃げるとか、お前は臆病すぎる』


「そんな力があるなら、もっと早く寄越せよ」


 息を切らしながら蓮司は思わずそう言った。もしそんな力があるならば、もっと早く手にしたかった。


 あの怪物たちを容易く倒せるだけの力が自分にあるというなら、北条夫妻は死なずに済んだはずだ。


 そして、沙希もあんな奴らに連れ去られることもなかったはずだった。


 自分にそんな力があるならば、あの怪物を倒せる力があるなら、あの時に欲しかった。

 

 悔やんでも、今更過去に戻れるような代物ではないが、そんなくだらないことを蓮司は頭の中で何度も考え続けていたが、その思考は唐突に遮られた。


「ぐぁ!」


 強烈な力に押しつけられ、気づけば蓮司はコンクリートの壁にめり込んでいた。


「何がどうなっているんだ?」


 コンクリートの破片と、破片の一部が粉塵になり、せき込みながら蓮司は困惑する。


 昨晩から、理不尽な目に散々遭ってきたが、あまりにも意味が分からない上に、正体不明の力に弾かれたことが理解できなかった。


「流石に、この程度の一撃では命までは奪えないようだね」


 どこか湿った印象がある声が聞こえてくると、この真夏に黒ずくめの服を纏った中年男性がいた。


「逃げたつもりかね、一条蓮司くん。いや、金色の鳥王ゴールデン・ガルーダ


 この男は自分の正体を知っている。悠人が言っていた魔獣軍団ベスティ・ヴァッフェ、あるいは蛇の一族ナーガか、いずれにしても、蓮司はこの男に底知れない不気味さを感じた。


「貴様は何者なんだという顔をしているね。あいにく私は魔獣軍団ベスティ・ヴァッフェではないよ」


 男はアジィやダハーカと同じ、蛇のような虹彩を強調させた。


「勿体ぶる必要もないか。私の名はザッハーク、蛇の一族ナーガ達を束ねる蛇王ナーガラージャの一体だ」


 ザッハークは落ち着いた雰囲気を出しながら自己紹介を行った。


 蓮司はその礼儀正しい佇まいに、アジィやダハーカ達とは違う気品と、不思議な威圧感を感じた。


「なんでおじさんとおばさんを殺したんだ!」


「アジィやダハーカは君に説明をしなかったのかね?」


「聞いたよ。そして、おじさんとおばさんにもな。お前らが捨てたはずの沙希を育てたのはあの二人だ」


 臨終の際に、北条悟が自分に語ったことを蓮司は思い出しながらそう言った。


 生き物とは呼べないほどおぞましい姿をした失敗作の中で、唯一人間らしい姿をしていたのが沙希だった。


 あの二人はそんな沙希を見捨てることなく、自分の娘として大切に育てていた。


「それを今更お前たちが奪っていく権利なんてない!」


 蓮司が怒りを乗せながらそう言い切ると、ザッハークはバカにしたように笑った。


「ずいぶん君はお人よしなんだな。人間ではないくせに」


「どういう意味だよ?」


 自分が人間ではない、金属生命体であることを当てこするかのようにザッハークは語り始める。


「君が昨晩殺されかけたのは、あの夫婦が魔獣軍団ベスティ・ヴァッフェと裏取引を行ったからだ。

 あの夫婦は、娘と自分たち可愛さに、君を奴らに売り飛ばした。自己保身を図った連中の為に怒りを覚えるとは、君は救いようのないバカだな」


 北条夫妻が死に際に、魔獣軍団ベスティ・ヴァッフェが自分を殺そうとしていることを知りながら黙認したことは蓮司も知っている。

 最初は自分をかわいがり、そして慕っていた親代わりの恩人たちに裏切られたことにショックを受けていた。


「バカで十分だ。それだって、沙希を守るための取引だろ。それにおじさんとおばさんは謝ってくれたよ」


 確かに沙希を守るために自分が形として売られたのは事実だ。


 だが自分は今も生きている。あの時、殺されかけても悠人に助けられて自分はなんとか無事だった。


 あの二人にはそんな脅迫を押しのける力はなかった。死に際に謝罪されたことと、利用されるだけ利用されて殺されたことに蓮司は同情していた。

 

「くだらん月並みな人間のようなことを言うのだな。謝罪など口ではどうとでも言える」


「なんとでも言えよ、俺はお前らを許さない。おじさんとおばさんを殺したお前らを絶対に許さない!」


 蓮司は激しい怒りを言葉にしてぶつけた。せめて怒りだけでもぶつけなければ、北条夫妻があまりにも哀れだと思った。


 しかし、そんな蓮司の怒りもまるで気に留めないザッハークは見下し続けていた。


「失望したよ、金色の鳥王ゴールデン・ガルーダ。ほかの蛇王ナーガラージャ達や魔獣軍団ベスティ・ヴァッフェは君のことを買いかぶっているようだ。人間になり下がったジャガーノートなど、たかが知れている。だが……」


 ザッハークの指が蓮司に向けられた瞬間、再び蓮司は弾き飛ばされる。


「ぐぁ!」


 派手にコンクリートに叩きつけられ、鉄っぽい血の味が口いっぱいに広がる。


「多少は楽しむことはできるか」


 侮蔑から嘲笑えと変わったザッハークは愉悦を隠さなかった。コンクリートに貼り付けらえた蓮司を見えない力で引き寄せ、そのまま宙に浮かばせた。


「なんだ……これ……」


「私は他の蛇の一族ナーガとは違っていてね。少々変わった力を持っているのだよ」


「お前もしかして超能力者ミュータントか?」


 かろうじて超能力を使える超能力者ミュータントの存在を蓮司は思い出した。

 今こうして自分を浮かばせているのも、念動力を使っているからだろう。


「君たちの定義で私を図るのであればね」


 ザッハークはそっけなく答えると、空中で磔になった蓮司の首が絞められる。


「ああああああああ!」


 このままいけば、間違いなく窒息死してしまう。たまらず蓮司は苦痛を我慢できずに叫んでしまった。


「私は蛇の一族ナーガでは処刑人も引き受けている。私ならばロープを使わなくても相手を絞首刑にできるからな。そして……」


「うああああ!!!」


 見えない力で首を絞められたと思いきや、今度は両手足がそれぞれ反対方向に

引っ張られていった。


「私の力を使えば刃物を使わなくても、五体をバラバラにすることができるからだよ」


 まるで見えないワイヤーが手と足に絡みついているようだ。そしてザッハークは少しずついたぶるように力を強くしていった。


 間違いなくこの状況を楽しんでいるのは、アジィ達と同じ種族であるからだろうが、今の自分がこの状況を逆転させるだけの力がないと確信しているからだ。

 

 あのヴェスペも殺人を楽しむような狂気があったが、まだはっきりとした死を与えようとするだけマシに思えてきた。


「趣味が……悪すぎるだろ……」


 ゆっくりと、だが確実に自分は死へと近づいている。ヴェスペに胸を貫かれ、死にかけた時よりも重傷ではないが、手も足も出ない状況で痛みだけが増していく先にあるのは死だけだ。

 

 ヴェスペは圧倒的な力でいつでも殺せることを見せつけて楽しんでいたが、ザッハークは圧倒的な力で苦痛を与えることで、その先にある確実な死へと追い込んでいる。


 処刑よりも拷問担当の方が似合っているほどだ。


「リクエストがあるならば承ろう。どこから引きちぎってやろうか? 手も足も二本ずつあるが、好きなところを選びたまえ」


 頭の選択肢がない時点で、目的が処刑から拷問に切り替わっていることに蓮司は気づいたが、どっちにしても芋虫のような死体になるのか、首無し死体になるのかの違いでしかない。

 

 死ぬことが怖いと言えば嘘になるが、まだ自分が死ぬわけにはいかなかった。


 北条夫妻の仇も取れず、何より奴らに攫われた沙希を取り戻すこともできていない。


 それに自分が死ねば、祖父の蓮太郎が独りぼっちになってしまう。まだ亡くなった両親の元に行くことなどできない。


 自分がジャガーノートであるならば、悠人と同じ力があるなら今ここでそれを使いたい。


 そう思った時、蓮司は悠人がジャガーノートに変わる時に口にしていた時に何かを口ずさんでいたことを思い出した。


 あの言葉を唱えた時に、悠人は光に包まれ金色の鎧を纏っていた。自分の父親である蓮也も、金の鎧を纏い黄金の翼を広げて闇を切り裂くように夜空を飛翔していた。


 あの姿を想像しながら、蓮司は必死にあの言葉を唱えようとした。


「……共振レゾナンス……開始レディ


 か細い声で唱えた瞬間に、全身を通じて力があふれていく。気づけば、幼い頃に見た父と同じく、体が金色のオーラに包まれていた。


 今まで感じたこともない強い力が、自分の体の内側から湧き上がり、ザッハークの見えない糸を引きちぎった。


「何?」


 自分のサイコキネシスが強引に解除されたことに、ザッハークは初めて取り乱した。


「サイコキネシスを無理やり引きちぎっただと?」


 その気になれば、旅客機すら捻じ曲げられるサイコキネシスを力技で解除されたことなど初めてであった。


 その驚きを突く形で、ザッハークの顔面が蹴り飛ばされる。


 一瞬の隙をつかれたとは言え、普段のザッハークならば未熟な少年の攻撃を食らうことなどありえない。


 未熟な少年ではあるが、目の前にいるのは自分と同じ規格外の怪物だ。


「どうやら、私が君を目覚めさせてしまったようだね」


 目覚めぬ内に処理するはずだったが、そのための行動が完全に裏目に出てしまったらしい。


 オーラが消えていくとともに現れたのは、金色の装甲に覆われ、猛禽類のような嘴が特徴の兜を被った一人の戦士であった。


「やるじゃないか一条蓮司くん」


 顔面を蹴られたことに平静を装いながら、ザッハークは慇懃無礼な態度を崩そうとしなかった。


「今の俺は一条蓮司じゃない」


 あふれ出る力に押し出されるように蓮司はそう言った。


「今の俺は、金色の鳥王ゴールデン・ガルーダだ!」


 死んだ父がそうであったように、蓮司はもう一つの自分の名前を名乗るとともに、ザッハークと対峙した。

 

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