第3話

「もう一回!」


 涙目になりながらも、再び沙希は竹刀を構えた。


「別にいいけど、ホントにいいのか?」


「次は絶対勝つもん!」


 あきれている少年、一条蓮司が竹刀をだらりとしているのに対して、少女はムキになりながらも、中段の構えを取る。


「嫌なんだよな……」


「何が?」


「俺さ、こういうのが嫌いなんだよ」


 真剣なままの沙希とは対照的に、少年は構えようともしない。防具を着けているから表情は見えないが、あからさまに面倒くさそうだ。 


「お前さ、さっきから何回負けたか数えてる?」


「負けてないもん! それに、まだ十回目でしょ」


「もう十回だよ。このままだと、十一回目になるけど、そんなに竹刀で叩かれたいのかよ」


 ウンザリしている少年が指摘するように、すでに沙希は十回も倒されていた。


 面打ち四回、胴に三回、小手に三回も有効打を与えられているが、沙希は少年にまだ一発も有効打を与えていない。


「無駄だって。威力があるのは分かるけど、お前の振り、見切ってるもん」


「そんなの次もやってみないと分からないでしょ!」


 そう言いながら、沙希は少年に攻めかかる。先ほどよりも勢いを増して振りかかるが、その一閃は少年ではなく、空を切る。


 すかさず、少年が片手で竹刀を沙希を面打ちした。乾いた音が二人だけしかいない道場に響き渡ると共に、沙希はそのまま床にうずくまってしまった。


「やっと終わりかよ」


 無駄な時間を過ごした、そう思いながら蓮司は腰を下ろし、面を外す。


 本来ならば、さっさと家に帰って食事をしているはずなのに、何度も無駄な戦いを強いられてしまった。


 さっさと着替えて家に帰ろうと思ったが、蓮司は先ほどまで何度も勝てない試合を挑んでいた沙希が、うずくまったまま泣き続けていたことに気付いた。


「私の方が……お姉さんなのに……」


 誕生日はわずかに沙希の方が早く、若干背も高かったことから、彼女はよく自分をお姉さんとして蓮司に接していた。


 実際はしっかり者の蓮司が、ワガママで泣き虫な沙希をなだめていることが多く、お姉さんというのは面倒くさい女の子なのかと突っ込んだこともあった。


「俺帰るからな」


 一応自分が帰ることを伝えても、沙希の鳴き声は止まらなかった。


 以前も沙希と試合をして、一方に駆ってしまい、ガチ泣きさせたことがあったが、あの後は祖父に「女性に華を持たせろ」と怒られたことを蓮司は思い出した。


 沙希が泣くと、面倒な事が起きる。そう認識していたことから、蓮司はため息をつきながら泣いてる沙希をなだめようとした。


「分かったよ、俺の負けでいいからさ。沙希の勝ちだよ。沙希には敵わな……」


 泣き続ける沙希の背中をさすりながら、蓮司はそう言ったが、そう言いかけた瞬間、竹刀独特の乾いた音が鳴り響く。


 額に一発、いいものを蓮司は食らっていた。


「隙ありよ、蓮司」


 沙希がニタニタと笑っている姿に、蓮司は自分が騙されていたことに気付いた。


「何だよそれ!」


「エヘヘ、これは見切ってなかったでしょ」


「汚いぞ!」


「でも、十二回目は勝ったでしょ! 私の勝ち!」


「十一回は俺が勝ってるじゃないか!」


「最後に勝った者が本当の勝利者だって、お父さんから聞いたもん!」


 諦めない者が最後に勝つ。どれだけ負けても、最後に勝てばいい。尊敬する父からそう教わった沙希は、自信満々にそう言った。


「なんだよ、やっぱり十一回も負けたってことじゃないか」


「最後に勝ったから私の勝ちだよ!」


「沙希の弱虫、ヘタレ、卑怯モン!」


 冷たい目線を向けながら、蓮司は沙希の小ずるいやり方を非難した。一応、正々堂々と戦った上で勝っているだけに、こういう卑怯なやり方は承服できなかった。


「卑怯じゃ無いもん!!!」 


 自分の非を沙希は認めなかった。こうでもしなければ蓮司には勝てない。蓮司に勝つ為の方法を彼女なりに考えた結果がこの不意打ちだった。

 

 自分がどれだけ攻めても、蓮司はまるで全てを見抜いているかのように回避し、一撃をたたき込んで勝利する。


 その蓮司を倒すには、こういう 手段しか沙希は思いつかなかった。


「蓮司が強いからいけないんだよ!」


 そう叫ぶと再び沙希は泣きわめいてしまった。自分が卑怯でズルいことは彼女が知っている。


 本当はこんな勝ち方などしたくは無かったが、それ以上に負けたく無いという思いがあった。


 そして、この時の沙希は勝ちたいという欲に負けたのであった。 


 ***


「私ってやっぱり卑怯でズルいのかな?」


 家に戻ってから、一人で泣きながら昔のことを沙希は思い出していた。あのとき、自分は勝ちたいからと卑怯な手を使って蓮司に勝った。


 負け続けるのが嫌だったからこそ、どんな手を使えば勝てるのかを必死に考え、泣き真似をして、蓮司の隙を突く戦法をとった。


 大して練習もせず、気付けば蓮司は自分よりも強くなっている。そんな蓮司に負けたくないとさらに練習を重ねても、勝つことができなかった。

 

 どうしても負けたくは無かったからこそ、今考えると浅ましいやり方を選んでしまったが、果たしてそれは勝利と言えない。蓮司が言ったように自分がズルをしたことは沙希自身が一番分かっている。


 だが、それでも二人の関係は今のように微妙な関係にはならなかった。


「あの頃みたいにはもう、戻れないのかな?」


 小さい頃は今よりも沙希と蓮司は喧嘩をしていた。大抵は、沙希が蓮司に挑んでは負けるの繰り返しではあったが、それでも、喧嘩することはあっても、次の日になればすぐに二人は仲直りしていた。


 ふざけあっても、それを後引くことはなく、毎日が続いていく。それが大きく変わったとすれば中等部に上がった頃だろう。


 気付けば、蓮司は沙希よりも背丈と体格が大きくなっていた。小さい頃は、何かとお姉さんぶっていた沙希も、体が大きく成長した蓮司に目線すら合わせられなくなっていった。


 生意気な子供だった蓮司が、中二の頃には悠々と沙希の背丈を超え、今となっては十センチもの差を付けられていた。


 十センチ。たった十センチの差は、今の沙希にとっては光年単位ほどの距離に思えてくる。


 いつまでも昔のままではいられない。思い切って両親に相談した時にそう言われたが、納得ができなかった。


「蓮司のバカ……」


 喧嘩する度に、沙希は蓮司に悪態をついていたが、今はこの言葉すら蓮司につぶやけない。


(下らないことに悩んでいるのね)


 どこからともなく聞こえてきた声に、沙希はベットから飛び起きた。


(そんなに悩んでいるなら、手っ取り早く解決しちゃえばいいのに)


 誰の声なのかは分からないが、どこか聞き覚えがある声だ。


(あいつ、ホント最低よね。こっちが心配してやっているのに。こっちの気遣いも理解無いんだから)


「誰?」


(いつだって、アンタはあいつのことを心配していたっていうのに。あのバカはちっとも気付いてくれない。せっかくこっちがカヌレ持って、謝りに行ったのに、その気持ちも分からないで無茶苦茶言っちゃうんだもの。最低だと思わない?)


 それは、沙希が泣きながら家に帰った時に思っていたことだ。蓮司を心配しているにもかかわらず、当の蓮司はそれに気付かず、沙希に対して一般的に、目に見えない刃のような暴言を吐いていた。


(あなたは何も変わっていないわ。だから、昔みたいに彼に謝りに行ったんでしょ。彼に悪い事をしたと思ったから。昔みたいに謝ればリセットできることを望んでいたんでしょ)


 謝れば、リセットされる。そんな展開を望んでいなかったと言えば嘘になるが、昔のように謝ればまた元通りになれるかもしれない。


 そう望んだのは事実だ。


(そんな気持ちも、あのバカは理解できなかった。こっちが歩み寄っているのにね)


「いい加減にして!」


 誰にも話していない本音を、まるで当てつけるかのように語られたことに沙希は恥ずかしさよりも気味が悪くなった。


 ずっと心の中で抑えてきたことが、明け透けもなく語られている。軽く両親に話した程度で、蓮司と元通りの関係になりたいという最大の本音はずっと彼女自身が心の内で抑えていたことだ。


(いい加減にするのはあなたじゃない?)


「何を言ってるの?」


 正体不明のにいらだつ沙希ではあったが、その声は再び耳付くように語り続ける。


(どうせなら、本当にリセットしちゃえばいいじゃない。あなたが望んでいることは、あのバカはもちろん、両親だって理解していないんだし)


 父や母に相談しても、今ひとつ要領を得なかったのは事実だが、あまりにも過激な発言に沙希は答えることができなかった。


(誰もあなたの本心を理解しないなら、みんな消えて無くなっちゃった方がマシだと思わない?)


「え?」


(そうやって全部消しちゃって、嫌な事は全部スッキリさせちゃうの。あなたには、その力があるのよ。だって……あなたは人間じゃないんだから)


 あまりにも訳が分からないことを言い出してきたに、沙希は二の句が継げずにいた。


 突拍子もない言葉に動揺していると、凄まじい爆発音と共に沙希の背後が爆ぜた。

 強く吹き飛ばされ、耳を鼓膜ごと吹き飛ばしそうな轟音に、三半規管ごと脳を揺らしている。

 

 凄まじい衝撃で床にたたきつけられたからか、全身を動かすことができなかった。


「やっと会えたわね。お姫様」


 燃えている自室の中で、全身を黒いゴシックロリータ姿の少女が、長い舌で舌なめずりをしている。

 まるで、獲物を捕食しようとする蛇のように。


「あなたは一体……」


「あなたの仲間よ。気高き蛇の一族の使い、アジィよ」


 アジィは気高き蛇一族という部分を強調しながらそういった。


「そして、改めまして今晩は。白金の蛇姫プラチナム・アムリタ

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