第4話

 一体いつから、沙希との関係がこじれてしまったのか。そのきっかけを蓮司は歩きながら思い出していた。


 出会ってから、下手な兄妹よりも親しいと揶揄されることもあったが、それでも蓮司は沙希と一緒にいることを好んでいた。


 剣道をやり始めて、沙希よりも強く時には泣かしてしまうこともあったし、時には沙希に卑怯な手段で反撃を許してしまうこともあった。


 だが、それでも翌日になればどちらかが先に謝り、関係は常に修復されていった。


 腹が立っても、怒ってもそれが後を引くことなく互いに相手を許し合えたはずだった。

 それが微妙な関係に至ったのはやはり、中等部に入ってからだろう。


 中等部に上がる前までは、蓮司も沙希も互いに小柄であった。小柄というよりもの部類に入る上に、蓮司はよく、先の妹か姉と勘違いされるほどだった。


 蓮司よりも一日早く生まれたことから、沙希は自分がお姉さんであることを強調したが、他人が見ると姉妹に見られるほどに二人はチビで幼かった。


 そんな二人が中等部に上がった頃に、身体的に成長していった。気付けば蓮司は一年で沙希よりも背丈が大きくなり、祖父である蓮太郎を体格で超えてしまった。


 体を鍛えることは、剣道部を辞めた今でも怠っていないが、日増しに体が大きくなり、身体能力も比例して高くなっていく中で、蓮司も沙希も、少しずつ自分達の性差に気付いていった。


 というよりも、気付かされたというのが正解なのかもしれない。特に沙希は、中等部に入ってから体つきが文字通りになっていった。

 

 短くしていた髪も伸ばすようになり、肌の白さと胸板が薄いことから蓮司がホワイトボードと揶揄した部分も、気付けばサッカーボールかバレーボール、あるいはバスケットボールと比べられるほどでかくなっていった。


「なんであんなにでかくなるかなあ……」


 夜道を歩く中で、蓮司は沙希のことを考えながら思わずぼやいてしまった。

 

 沙希に謝るべく、北条家へと向かっている途中ではあるが、蓮司は足りない頭で沙希との関係がぎくしゃくしている原因がどこにあったのかを考えていた。


 沙希よりも大きくなってしまった自分の背丈と、大きく膨れ上がるかのように大きくなった沙希の巨乳。


 お互いに大きく育ってしまったからこそ、男女の違いを理解してしまい、幼少期のように振る舞えなくなった。


 そして、その性差が見えない壁になり、相手の心や距離感を図ることすら困難にし、わかり合えない原因を作ってしまったのではないか。


 だからこそ、沙希は蓮司が何故剣道部で大暴れをした理由を当初理解せずに、剣道部で暴れたことに激怒していた。


 蓮司もまた、自分が悪いと謝ってきた沙希に、自分のことが心配ではなく、剣道部の面子が心配だったのではないかという、嫌みを言ってしまった。

 それも沙希と蓮司の二人が、相手のことなど、思っていないのではないかと。


 もしかしたら、沙希もそんな悩みを抱えていたのではないか。


 微妙にすれ違った中でも、酷いことを言ってしまったので謝り、この微妙なすれ違いを解消したいと考えていた。だからこそ、わざわざ謝りに来たのではないだろうか。


「俺、本当に下らないことで悩んでいたのかな」


 胸がでかいだの、背丈が伸びただの、冷静に考えれば実にばかばかしいことだ。それで気付けば下らない見栄を張って、下世話なことを考えてしまった。


 まずは謝ろう。互いにどうにかしたい気持ちがあるなら、きっとどうにかなるはずだと気持ちを切り替えながら、蓮司は北条家へと向かっていた。

 

 その瞬間、嫌な気配を感じた蓮司は思わずその場に伏せた。


 伏せた瞬間、横一線に放たれたエネルギーが街灯がスッパリと切断されていた。とっさに伏せなければ自分の体がそうなっていた可能性に、蓮司は背筋が凍りそうになる。


「今のを避けますか……やりますね」


 とっさに振り向いた先には、全身を黄色に染めた甲冑を纏った剣士が、黄金に光る剣を片手に立っていた。


「片手間で放った斬撃で倒れては、それはそれで興ざめと言えますが」


 口調は至って平然としているが、黄色い甲冑からは、殺気というよりも悪意と例えた方がいいのかもしれない。そんなおぞましさが伝わってくる。


「お前何者なんだ?」


「刺客が名前と正体を口にするとでも?」


 見た目はおどけてみせるが、隙が無い。その上、刺客という言葉を強調していることはハッタリではないらしい。


「ですが、死人に口なしと言いますからね。魔獣軍団ヴェスティ・ヴァッフェの一員、ヴェスペと言います。一条蓮司、あなたを殺しにやってきました」

 

 ヴェスペと名乗った黄色の甲冑の刺客は、まるで新聞を配達しにきたかのようにそう言った。


「酒でも飲んでんのかよ?」


「まさか。それに、あなたと私では戦力に差がありすぎる」


 戦力の差を見せつけるかのように、ヴェスペは黄金の剣を片手で縦に一閃する。煌めいた斬撃が再び蓮司へと迫る。


 とっさに右へとサイドステップすることでその一閃を回避したが、斬撃の形をした殺意はそのままコンクリートでできた壁を縦に切り裂いていた。


「文字通りの片手間ですが、今のも躱しますか」


「威力は凄いけど、避けられないほどじゃない」


 怖じ気づかないように蓮司は強がりながらもそう言ったが、ヴェスペの放った飛ぶ斬撃は普通ではない。


 金属製の街灯を切断し、コンクリートでできた壁をも切り裂いているが、重要なのはリーチと攻撃範囲の広さにある。


 縦に放てば範囲は狭まりサイドステップで躱せるが、横に薙げば、飛ぶか伏せるかで無い限り避けることができない。


「ならば、試してみましょうか?」


 右腕の剣を構え直すと、ヴェスペは横一線に剣を薙ぐ。最初に放ってきたのと同じ、飛翔する殺意が正面切って蓮司に向けて放たれる。


 だが蓮司は伏せるのではなく、あえてその場から跳躍を選択した。


 体操部の公平に教わった、腰ではなく胸に重心を定めて蓮司はその場で前宙を決めながらヴェスペの斬撃を躱し、落下した勢いを利用しながら、ヴェスペの頭頂部めがけて踵を振り落とす。


 だがヴェスペは微動だにしなかった。それを悟り、蓮司は速やかに距離を取った。


「子供と思って舐めていましたが、やはり慢心は禁物ですね。ネズミも追い詰めれば、猫を噛む」


 常人ならばそのまま頭蓋骨を陥没させる会心の一撃。人間の体で最も堅い部位でもある踵に全体重を乗せ、加速させたはずだった。


 致命傷になるはずの打撃をたたき込んだはずが、まるで地面そのものを蹴り込んだような感触にしかならなかった。


「私が人間であったら死んでいたでしょうが、私はあいにくですが人間などではないのでね。人間を殺せる程度の技が通用するとでも?」


 ヴェスペの言葉には偽りは存在しない。見た目云々などではなく、文字通りの化物であることを蓮司は今更だが理解させられた。


「それでも、私の一撃を回避して反撃してくるところは流石ですね。ひな鳥であってもガルーダはガルーダというべきか」


「褒めてくれてるならそのまま逃がしてくれないかな?」


 冗談を言う場面ではないが、冷静さを保つためにあえて蓮司はふざけてみせた。今すぐにでも逃げ出したくなるが、ここでうかつに逃げれば確実に自分は死ぬ。


「構いませんが、三分後に死ぬことと一時間後に死ぬことに大した違いは無いと思いますがね」


「人間いつかは死ぬんだろ。だけど十六歳で死ぬのと、九十歳で死ぬのとじゃ大違いだ」


「減らず口は叩けるようですが、どうせ口にするならば命乞いした方が逃げられる確率は高いと思いますがね」


「逃げたところで追いかけてくるだろ。それに、お前は俺だけを殺して満足するような奴に思えない」


 ヴェスペが余裕を見せているのは、黄金の剣という武器という圧倒的な攻撃力を持っているだけではない。


 本気で殺すつもりならば、最初の段階で確実に仕留めているはずだ。その実力があるか無いかぐらいは蓮司にも分かる。


 それでも確実に仕留めなかったのも、蓮司にむざむざ踵落としを決められたのも油断などではなく、遊んでいるからに他ならなかった。


「私は自分でも理解しているのですが、欠点がありましてね。容易く殺せると思うと、どうも遊んでしまう。悪い事だとは思っていますが……」


 そう言いながらも少しも悪びれていないところに、蓮司は寒気を感じた。真夏に寒気を感じさせるほど、ヴェスペには悪意がある。


 殺しを楽しむ、というよりも楽しんで相手を嬲るところは無邪気さとは対極の悪意しか感じない。


 再びヴェスペの剣が光ると共に、悪意と殺意が込められた剣撃が襲いかかってくる。


 袈裟懸けに振った剣撃の後に、横に薙いだ剣撃が飛んでくるのを察知すると再び蓮司は跳躍してこれを避ける。一連の動作、剣が光る初動を蓮司はすでに見切っていたが、避けたところで反撃する術は蓮司には無い。


「跳んで跳ねるだけでは勝てませんよ」


「だろうね」


「私が遊んでいるからといって、君が勝てるわけではない。それぐらいのことは理解できると思いましたが」


「諦めは悪い方なんだ」


「悪いのは諦めではなく、頭の方ですよ」


「性格が悪いよりはマシだと思うよ」


「負け惜しみですね」


 再びヴェスペの剣が光る。飛ぶ斬撃が直撃すれば間違いなく死ぬが、同時に二連撃しか放てない上に、二連撃で放った場合、インターバルが必要なことを蓮司は見切っている。


 初動を見誤らなければ、とりあえず死ぬことは無い。再び迫ってくる剣撃に蓮司はバク転をして回避してみせたが、半分ほど宙を舞ったところで腹部に熱い物を感じた。


 その違和感と共に、蓮司は着地をしくじりそのまま地面へと突っ伏す。


「やはり、負け惜しみでしたね」


 右手に剣を持ったまま、左腕を折り曲げ、銃口のようになった肘を構えながら、ヴェスペがほくそ笑む。


毒針ギフトナーデルを使う事になるとは思ってもいなかったのですが、まさかここまで私の思い通りに動いてくれたのでね」


「……性格悪すぎるだろ……」


「君を倒すだけならば、この剣で事足ります。ですが、それではあまりにも面白くない。勝てると思った確信、確信した勝利への道に落とし穴をしかけて絶望するところを見るのが、私は大好きでしてね」


「クソ野郎……」


 痛みが酷すぎて口が上手く回らない。蓮司は二連撃の動作を見切ったつもりでいたが、ヴェスペはわざと見切らせていたことを悟った。


 その気になれば、ヴェスペはいつでもこの戦いを文字通り終らせることができた。


 そして、自分にか細い勝機を見せつけ、その勝機を奪って嬲るところはまさに悪魔というしかなかった。


「さて、遊びの時間は終わり。少々物足りない気もしますが、これも使命なのでね」


 ヴェスペがゆっくりと近づく中で、蓮司は必死に体を動かそうとした。


 だが腹部の痛みが次第に熱に変わり、右手で傷口を押さえても血が止まらず、起き上がろうとするも脳から発した指令はちぐはぐな形で体に伝わり立つことすらできずにいた。


 このままいけば確実に殺される。ヴェスペが手を下さなくても結果は同じだ。失血死か、一思いに介錯されるかの違いしかない。


 自分が死ぬ可能性に思い立ったとき、蓮司は少々短気で、胸がでかいことを気にいている幼なじみの少女の顔を思い出した。

 

 彼女の顔を思い出した時、途端に死ぬことが怖くなった。


「冗談じゃない……」


 死ぬつもりでここに来たわけではないことを蓮司は思い出しながら、動かない体に力を入れる。


 ヴェスペとやり合うためでもなければ殺されるわけでもない。ヴェスペを倒すためでもない。


 口よりも沙希に手が出る幼なじみに一言謝るのが、今晩の目的と予定であったはずだ。


「それなりに楽しめましたよ。それでは良い夢を」


 黄金の剣がまぶしく光り輝き、闇夜を切り裂きながら蓮司の命を断とうとしていた。


 死神の鎌がまだ、生易しい代物ではないかと思いたくなるほどだが、蓮司の命は断ち切られることはなかった。


「何!?」


 蓮司を両断しようとするヴェスペの黄金の剣は間違いなく振り落とされたが、この剣以上に輝く金色の何かが、その剣をはじき飛ばしていた。


「何だコレは?」


 ヴェスペは驚愕した。闇夜の中でも光り輝く一本の杖、もしくは棍棒と例えた方が良いかもしれない金色の棒が、ヴェスペの魔の手から蓮司を救っていたのだから。


「全く、派手にやらかしやがって。田舎だからって周囲の迷惑ぐらいは考えろや」


 ヴェスペはもちろん、蓮司とも違う、懐かしい砕けた口調が聞こえてきた。そのタイミングで雲に覆われた月光が周囲を照らしていく。


 その月光というスポットライトの下に、アロハシャツ姿の金髪の青年がつまらなそうな顔をして立っていた。


「生きてるか蓮司?」

 

 イケメンだが軽薄そうで、軽い雰囲気がある顔つきの青年がそう言った。どうやら、普段はおちゃらけているが、いざという時には誰よりも頼りになる男が助けに来てくれたらしい。


「悠兄……どうしてここに?」


 自分が幼い頃に慕っていた、二人の兄貴分の一人、片桐悠人とまた再開できたことに驚きながらも嬉しく思った。


「お前の爺様に頼まれてな。ここからは、俺がコイツをぶっ飛ばす」


「面白いことを言うものですね。大言壮語は大怪我の元ですよ」


 ヴェスペが剣を突きつけながら皮肉を言うが、悠人は一切動揺していなかった。


「相手を選んで使うことの方が大事だろ。それに、お前さんじゃ大怪我どころか、かすり傷で上等ってところじゃねえか?」


 あからさまに馬鹿にした口調で、悠人はヴェスペに皮肉を言った。


「ついでに言えば、お前はタダでも無事でも済まさないからな」


 憤怒の表情を見せつけた悠人は、怒りを隠そうともしなかった。卑劣な闇討ちで自分の弟分を殺しにかかってきたヴェスペに対して、容赦も手加減もするつもりもなかった。


「……共振開始レゾナンス・レディ!」


 その言葉と共に悠人の全身が黄金色に輝いていく。か細い光りが一つ一つ、文字通り共振されていき、光はやがて周囲を照らし、闇夜を一瞬、真昼であるかのように照らしていく。


 だが、その光に屈さずにヴェスペは自慢の剣を悠人めがけて斬りかかる。しかし、その剣は金色に光る一本の杖に阻まれていた。


「まさか……貴様は……」


「言っただろ、お前さんじゃ大怪我どころかかすり傷で上等だってことを……」


 カーテンのような光が消え去った時、その下にはその光が圧縮されたような黄金の鎧を身に纏った戦士が顕現けんげんしていた。


「自己紹介がまだだったな。黒金くろがねのジャガーノートの一人、金色の獅子王ゴールデン・ルーヴェ、それがもう一つの俺の名前だ。しっかりと覚えておけ」

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