第2話
「それでは、ご納得していただけましたか?」
優位性を喧伝するように、金城哲人はクライアントであるはずの北条夫妻に向かってそう言った。
「納得するしないの問題ではないだろう」
北条悟の指摘に、金城は不適に笑う。
「ええ、我々としても納得して頂く必要性はありませんので」
微笑みながら金城は、不遜な態度を一切隠そうとはしなかった。
本来はクライアントという立場であるはずの北条夫妻だが、それはあくまでも表向きの話でしかない。
実際は、北条夫妻が金城にとっては本職のクライアントなのだから。
「私達が納得しなければどうしていたのですか?」
あえて理由を尋ねた都であったが、金城はそれでも揺るぐことはなかった。
「その時は決まっています」
そう一言つぶやくと、金城はまるで肉食獣が狙った獲物に襲いかかるように、残虐な笑みを浮かべる。
「皆殺しですよ。我々と敵対した相手はね」
底知れないほどの悪意を込めた言葉に、流石の都も蹴落とされてしまった。
表面上はともかく、金城の内面は底知れない悪意と残忍さで構成されている。
時折表に出てくる悪意は、人間を相手にしてはいないことを思い知らされるほどだ。
「しかし、あなた方も意外に冷酷ですな」
「どういう意味だ?」
「決まっているじゃないですか。娘可愛さに、一条蓮司という少年を人身御供に出すのですから」
金城は改めて、自分と北条夫妻が共犯関係にあることをつぶやく。
「それは君達が要求してきたことではないのか?」
「ご冗談を。我々はあくまで提案しただけですよ。あなた方のお嬢さんを狙わない変わりに、一条蓮司という少年を
提案と言えば聞こえがいいが、実際は金城とその主君を頂点とする組織からの脅迫である。
その提案は、北条夫妻の一人娘である沙希を見逃す代わりに、一条蓮司の排除を黙認するという内容であった。
沙希と蓮司が常人とは違う異能な存在であることは、北条夫妻と一条蓮太郎だけが知る極秘情報ではあるが、金城はその極秘情報を探り当ててきた。
「あの少年がガルーダである可能性はありましたが、まさかあなた方がよりにもよって、アムリタを所有していたとはね。善人面を装いながら、なかなか食えない人達だ」
「あなた方に何が分かるというのですか?」
子を思う母としてか、都が金城に凄むが、金城は全く気にしてなどいなかった。
「事実を申し上げているだけですよ。それにしても、お嬢さんの大事なお友達で、あなた方も幼い頃からの付き合いがあるにもかかわらず、こうもあっさり斬り捨てるとはね。常人ではないからですか?」
「何とでも言え」
蓮司も沙希も、常人ではないことは北条夫妻がよく分かっていることだ。
そして、今更それを理由にして親を辞めるつもりなど、選択肢として存在しないものであった。
「それだけ、あのお嬢さんが大事であり、深い愛情を注いでいるのでしょうなあ」
北条夫妻の愛情など、一切考慮することもない上に、金城は愛情という言葉に何の価値も見いだしていない。
そんなことを考えるような人情などは、金城は持ち合わせてなどはいない。
「あるいは悪い虫が付かないようにしたと考えるべきなのか」
娘を大切にしているからこそ、娘の障害を排除しようとしている夫妻の行動がよほど滑稽に見えるのか、金城は夫妻の気持ちを嘲り続けた。
結果としてそれは、愛娘が真実を知れば深く傷つくだけの事実であるだけに、北条夫妻は苦い顔になりながらも、反論しようとしはしなかった。
「話はそれだけですか?」
すでに金城との契約は履行されている。
これ以上、付き合うつもりはない意思表示であるかのように都はそう言った。
「ええ、私の主君からの要求はね。後は私が主君より命じられた使命を果たせばそれで終わりです」
ビジネスライクを装っているのか、それとも本心からそう言っているのかは分からないが、金城もまた北条夫妻との会談を続ける意思はなかった。
すでに主君からの指令は下っている。後はそれをただ実行するだけであり、話し合いなどは不要である。
泰然としながら、金城は腰掛けていたソファから立ち上がる。
「最後にあなた方にお礼を言わなくてはなりませんね」
慇懃無礼を地で行くような男が礼を口にするのは、ギャンブル狂いが明日から真面目に働くという言葉と何ら意味が変わらない。
「人殺しのご協力、ありがとうございました」
金城の無慈悲な言葉の刃は、北条夫妻の心に深々と見えない傷口を作りあげたのであった。
***
金城が帰った後、仕事を終えて帰宅した北条夫妻は、自宅の一室にて珍しくワインを空けていた。
若い頃は、恩師である一条蓮太郎が主催する飲み会によく参加しており、二人はかなり飲める方ではあった。
しかし、医者と教育者が酒を飲み過ぎるのは、患者や生徒達に示しが付かないことから節制し続けていたのだが、今は飲まずにはいられなかった。
「何故、こうなってしまったんでしょうね」
真夏に合わせて、二人は甘い貴腐ワインを凍結寸前までに冷やしたものを用意していた。
二杯目のワインを口にしながら、妻がそう言うと、悟は三杯目を勢いよく飲み干す。
通常のワインよりも糖度が高い貴腐ワインではあるが、妙に味は苦く感じた。
「あの子を守る為とはいえ、私達は一人の少年を犠牲にしようとしている」
金城が提案した、沙希を見逃す代わりに、一条蓮司の殺害を黙認する。
娘を守る為に、二人は娘の幼なじみの少年への殺害を結果として認めたことに変わりが無い。
金城が言った「人殺しのへの協力」は嫌みではあるが、詭弁ではない真実であった。
「沙希はこれで守られるのよね」
蓮太郎や金城らには気丈に振る舞っていたが、都は元々は誰よりも優しい性格をしている。
厳しい指摘はしても、毅然としながらも暖かみのある指導を行うことから、生徒達と教職員達から慕われている。
沙希に対しても、親として厳しく接することはあるが、母親としてはかなり甘いところがあるほどだ。
「だけど、これで本当の意味で沙希を守ったことになるのかしら?」
三杯目の貴腐ワインを口にしながら、都が尋ねると、悟は手にしていたグラスをテーブルに置いた。
「どういう意味かな?」
「蓮司君を生け贄にして、沙希を見逃して貰う。だけど、また同じ事が起きたらどうすればいいの?」
直接二人が手を下すわけではない。
手を下すのは金城と金城が所属する組織ではあるが、そんな連中が蓮司を標的にしているという事実を二人は知らされている。
黙認といえば聞こえがいいが、やっていることは見殺しだ。
「覚悟を決めるしかないだろう」
「あの子が死ぬことを?」
「沙希を守る為の覚悟をだ」
良心の呵責で悩む妻に対し、あえて悟は覚悟を口にした。
沙希を守るという選択肢から想定される結果として、蓮司が標的になることは予想の範囲内の事象に過ぎない。
「あの子を守る為に、私達は蓮司君を見捨てた。沙希しか守れないならば、その結果として起きうることは覚悟するべきじゃないか?」
再びワインを注ぐ悟ではあったが、内心複雑なのは彼も同じであった。
二人も一条蓮司という少年に恨みも憎しみも無い。むしろ聡明で、心優しい少年として高評価しているほどであった。
だが、二人はその少年と愛娘を天秤にかけた。傾いた方に悪魔の手が迫ってくることを知りながら。
「沙希を守る為に、私達は蓮司君を見捨てた。金城は私達を人殺しといったが、そう言われる覚悟もなければ沙希を守ることなどできやしない。違うか?」
迷いもためらいも、完全に捨て去ったわけではない。すでに事実は変わらないのだから。
患者を救う為に、時には臓器の一部や、手足をも斬り捨てなければ助からない時もある。
それを理解していなければ医者になどなれやしない。
「……受け入れるしかないのですね」
そうつぶやく妻をそっと悟は抱き寄せた。自分も妻と同じく、覚悟など何一つ決まっていない。
「あの子を守れるのは、私達だけだ」
黙って頷く妻の姿に、揺らいでいた覚悟が少しずつ定まっていく。
自分達の娘が例え、悪魔に魅入られたとしても守り抜くことは、あの子を育てる時に決意したことだ。
一人の少年を犠牲にしても、あの子だけは守る。その決意が例え、人道に悖ることであったとしても、二人は沙希の親であることを放棄するつもりはなかった。
沙希が例え、人間ではなかったとしても。
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