非日常へのカウントダウン

第1話

「それで、金城って奴の正体は分かったのか?」


 自宅の書斎で、一条蓮太郎は昼間会った金城哲人という男の調査報告を受けていた。


『結論から言うと、経歴は全く問題無し。AGSの中でも優秀な社員のようです』


 デスクの上にあるPCのディスプレイには、金城の経歴についての調査報告のレポートが映し出されていた。


『ただ、一つだけ気になったのは転職経歴が多いことです』


 レポートには留学先のアメリカで、そのまま大手銀行に就職後、十年の間に五社もの会社に転職していることが記載されていた。


「外資系の金融やっとる奴らはこれぐらい普通じゃろ」


 外資系、特に金融系の企業は投資銀行や投資機関を含めて転職経歴がある者ばかりだ。

 いくつかの会社で実績を積んでから、より報酬が高い企業へとステップアップすることなど珍しいことではない。


 成績が悪く、ノルマに達成できなければ、即時に職場にあるデスクごと綺麗さっぱり消えてしまうのも珍しいことではないが。


『ですが、逆に言えば経歴を誤魔化すことも、そう難しいことではありません。存在しない人間を作り出すことは困難ではありますが、元々存在していた人間に成り代わることは、それに比べれば容易いことです』


 昼間の若造とは対照的に、論理的で礼儀正しい口調の若者からの言葉に、蓮太郎は深く頷いてしまった。


「確かに、奴らならばそれぐらいのことはやりかねんか」


『経歴が問題無いというのも、それもそれで怪しく見えます。完璧過ぎるのも、そのために作り上げたという作為も感じます』


「それもそうだな」


『ですが、先生が気にしているのはそういうことではないのでは?』


 インターネット通話サービスを通じてビデオ通話していた画面で、サングラス姿の青年、斯波正臣しば まさおみがそうつぶやくと蓮太郎は深くため息をつく。


「お前さんには敵わんなあ」


 昼間の若造と違い、この斯波正臣という男は見た目の鉄面皮通り、皮肉を交えるようなことはしない。

 

 それだけに冷静に事実と結果を端的に、それも正確に貫いていた。


「悟も都も、銀行との付き合いはあるだろうが、あいつらが投資に興味があるとは思えん」


 若い頃から今に至るまで、遊び人であり道楽者である蓮太郎と違い、北条夫妻は二人とも真面目で堅い。


 業者からの接待は基本的に断り、受けてもせいぜい会食を行う程度であり、利殖という行為にはあまりいい顔をしていない。

 

 それに、学園や病院に自分の財産をつぎ込むことはあっても、その逆は絶対にあり得ないほど清廉であった。


「それに金のことで相談があるならば、ワシにも話を通すだろうしな」


『実際、北条総合病院も、白鳳学園も経営は好調です』


 正臣が指摘した病院と学園の経営状況も、ディスプレイ上にある財務データにはまるで問題がない。


 むしろ、キチンと黒字になっており、健全な経営状況であることが明白だった。


「病院や学園の規模拡大を考えての融資ならば、普通は信金か地銀だろう。そんな話は出ておらん。それに、AGSは富裕層向けのプライベートバンクだ。事業経営の話はそもそもお門違いじゃろうしな」


 プライベートバンクは、富裕層向けに金融商品を初めとするサービスや資産運用を提供する。


 相続税や保険、家族の将来などを相談として受ける場合もあるが、事業云々の話は一般的に信用金庫や地方銀行、あるいはメガバンクといった金融機関の領域に入るものだ。


『お二人が急に資産運用に目覚めたという可能性もあるのでは?』

 

 正臣の指摘に蓮太郎は首を横に振って否定する。


「それでも、ワシに相談ぐらいはしてくるわい。というか、ワシならその辺のコンサルよりも遙かにまともな運用しとるしな」


 蓮太郎は機械工学の権威として、いくつかの会社の顧問に就任しながら、デイトレの日々を過ごしている。


 すでに億を超えるだけの金と共に、いくつかの不動産も所有している蓮太郎は、十年間遊びほうけていても暮らしていけるほどの財産を築いていた。


『とすると、やはり先生の言う通りですか?』


「悪い方でいけばな。あいつら、密かにと接触しているかもしれん。沙希を売ることは絶対にあり得ないだろうがな」


 北条家の一人娘である沙希は、両親から深い愛情の元で育てられてきた。


 この学園を作ったのも、沙希を手放したくなかったからという冗談が出てくるほどだが、あの二人が沙希を奴らに引き渡すようなことはあり得ない。


 そう断言できるほどに、北条夫妻は沙希を大切にしている。


『厄介な事に巻き込まれていないといいんですが』


「なんとか急げないか?」


『申し訳ないですが、どんなに急いでも早くても明後日になります。すみません』


 顔には出さないが、斯波正臣は礼儀正しい男であるだけに、申し訳ないという気持ちが伝わってきた。


「お前さんにも責務があるからな。あのアホに比べりゃ、なかなか大変なものを背負っておるし」


 若くして重責な立場にあるだけに、正臣がそう気軽に動ける立場でもないことを蓮太郎は理解している。


 それだけに、一度動けば大概の事が片づくほど頼りになる男であった。


『ところで、蓮司は元気にしてますか?』


 正臣の言葉に、蓮太郎は気まずそうな顔になった。


「元気にはしとるが、今ふさぎ込んでる」


『何かあったんですか?』


「丁度良い、お前さんに聞いておくか」


 蓮司の悩みについて、一番理解力と共に、解決するだけの経験と実績を持つ正臣に蓮太郎は解決法を尋ねることにした。


「幼なじみと喧嘩した後、どうやったら関係修復できるか教えてくれ」


***

 

 何であんなことを言ってしまったのか。


 自室のベットに横たわり、蓮司は暗闇の中で沙希とのやりとりを思い出していた。


「あんなこと、言うつもり無かったのにな」


 そうつぶやくと、ますます、自分が最低なことをしてしまったという気持ちが強くなる。


 よくニュースで犯罪者が、逮捕された時に言う「そんなつもりは無かった」「弾みでやってしまった」「魔が差した」という言葉と何一つ変わらない。


 そんなつもりが無かったのであれば、そもそも罪を犯すこともなく、弾みでやってしまったのは、その行為が悪い事であるという認識が無く、魔が差したのは普段から何も考えていないからではないのか。


 総じて、薄っぺらい言い訳でしかなく、そういう言い訳をすることは最低であることを、尊敬している兄貴分達は無論のこと、蓮太郎や亡くなった両親からも教えられてきた。


 言い訳するぐらいならやらない方が良い。


 悪いと思ったことはするな。


 実際その通りであり、そうしない為に蓮司は行動してきたつもりだった。


 だが、今の自分はどうなのか? 


 最低の犯罪者と同列のことをやっているのではないか?


 そんなことが脳裏に浮かんでくると、部屋のドアがノックする音が聞こえてきた。


「蓮司、今大丈夫か?」


 蓮太郎が自分を呼んでいる声に、気だるそうにしながら蓮司はドアを開けた。


「なんじゃい、ずいぶんヒデエ面しとるのう」


「爺ちゃん、悪いけど俺、腹減ってないから」


 遊び人だが、頭脳明晰で切れ者な祖父を蓮司は敬愛していたが、今は文字通り合わせる顔が無かった。


「メシの話じゃないわい、とりあえず付いてこい」


 手招く祖父に、仕方なく蓮司は後を追う。


 今の自分よりも十センチは背が低い祖父だが、昔はもっとその背中が大きく見えたことを蓮司は思い出した。


 それが、気付けばずいぶんと小さく見えたのは自分が成長したからか、それとも祖父が老けたからなのか。


 それでも、祖父の背後を襲っても勝てるだけの自信も根拠も蓮司は持てなかった。


「まあ座れ」


 いつも食事を取る居間ではなく、来客用の和室に通されると、蓮司は身構える。

 

 普段陽気で冗談を交える祖父だが、今日は珍しく真面目であった。


「じいちゃん、俺最低なことやっちまった」


 蓮太郎が切り出す前に、蓮司は自分が沙希に酷いことをしたことを告白する。


 半年前の事件がキッカケで剣道部を辞め、昼間もそれで叱責されたが、沙希はそれを謝りに来たにもかかわらず、自分が一方的に彼女に暴言を吐いたことを語った。


「なるほど、沙希ちゃんが泣いて帰ったのはそういうことか」


 蓮太郎と入れ替わるように、ガチ泣きしていた沙希が帰る姿はそういうことであったらしい。


「んで、お前はその沙希ちゃんに言ったわけか。自分のことが心配とか、自分のことだけが心配とか」


 髪の生え際が一切後退していない頭をかきながら、自分の想像以上に子供っぽい話であったことに蓮太郎は半分呆れてしまった。


「なんだ、ワシはてっきりお前が沙希ちゃんを襲ったのかと思ったわい」


 つまらなそうな顔で蓮太郎がそう言った。


「そんな訳ないだろ!」


「久しぶりに会ったが、なかなか美人になってたし、ありゃ十年後はもっと凄いことになるな。男が放っておかんだろ。てっきりそれ見越してお前が唾付けたのかと思ったが……」


 斯波正臣に、わざわざこじれ方のアドバイスまで貰ったにもかかわらず、それが無駄になったことに蓮太郎はガッカリした。


 北条沙希のことは、蓮太郎も彼女がまだ小学校に上がる前から知っている。


 当時から可愛い美少女ではあったが、よりグラマラスに成長したことで、色気も付いてきた。


 清楚で和装が似合うが、それとは不釣り合いなほどの胸囲はアンバランスな魅力を生み出している。


 十代の少女に興味は無かったが、二十代以上の女性は蓮太郎の好みのドストライクであり、十年後はもっと凄い色気を増した美人に成長しているだろう。


「じいちゃんに真面目な話をした俺がバカだった」


「そりゃこっちの台詞だわい。お前ら、小学生の頃から何も変わってない。」


 小学生の頃は、蓮司も沙希も、男女の関係なく遊んでいた。

 

 その頃から二人は剣道をやっていたが、沙希が蓮司に挑んで、蓮司が勝ち、その後からまた沙希が蓮司に挑んで蓮司が勝ち、沙希が泣き出して蓮司が根負けすることが繰り返されていた。


「下らないことで喧嘩して、下らないことで騒いで、んで落ち込んで。その図式は何も変わっておらん。お前、小学生の頃、何度も沙希を泣かせてワシに怒られたのを忘れたのか?」


「昔の話じゃないか」


「その昔のことと、同じことをやってる成長していないバカなガキがお前だ。今も、ちっとも変わっていない」


 年不相応にませているところがある蓮司だが、女の扱いに関してはあまりにも粗雑なところがある。

 

「まあそれはともかくとして、蓮司、お前が今しなきゃいけないことは何だと思う?」


「しなきゃいけないことって何?」


 口調とは裏腹に目が真剣になっているが、蓮太郎はあえて突っ込まなかった。


「お前自分の都合で最低だのなんだのと言っているけど、一番酷い思いしたのは誰だと思う?」


 本当に傷つき酷い思いをしたのは間違いなく蓮司ではない。


「半年前の話を今更ほじくり返すようなことはせん。お前も反省はしているし、それに対してどうこう言うつもりはない。だが、あの子は自分が悪いと反省して謝りに来てくれたんだろ」


 普段はふざけたり、バカなことを言っている事が多い蓮太郎だが、それだけに真面目な話になるとずばり要点を突いてくる。


「お前がまずしなければならないのは、沙希ちゃんに謝ることじゃないのか?」


 真剣ではあるが、ほくそ笑んでいる蓮太郎の言葉が、まるで自分の心を打ったように蓮司は感じた。


「傷ついたのはお前じゃなくてあの子。今回の事で非があるのは、あの子じゃなくてお前。そういう時にできることは、結局のところ一つしかない」


 かつて沙希を泣かせた時、蓮司が必ず取っていたことを蓮太郎は思い出させた。


「まずはあの子に謝ってこい」


「でも、それで許してもらえるかな?」


「謝る側が初めからそんなもん期待していたら無理だな」


 少々冷たい言い方ではあるが、蓮司を諭す口調で蓮太郎はそう言った。


「沙希ちゃんだって、お前に許してもらえるからと思って謝りに来たわけじゃないだろ。自分に非があるなら、まずは謝罪することだ。

 一回二回謝罪したぐらいで、どうにかなると思う方がどうかしているわい。許されるとかを考える前にまずは筋を通せ」


 成長しているとはいうが、まだ蓮司がまだ十六歳であることを痛感する。


 そして、女の扱いが下手なのは、今は亡き蓮司の父も同じであったことを蓮太郎は思い出した。


 悪いところは似なくてもいいが、これぐらいの欠点があった方が人間味があるのかもしれない。


「爺ちゃん、ちょっと出かけいいかな?」


 普段は済ましてしているところがあるが、実直なところも父親にそっくりな事に蓮太郎はにやけてしまう。


「朝までには戻ってこいよ」


「当たり前だよ。弁当の仕込みもあるし」


「そういう意味じゃないが……まあ、いいか」


 沙希との関係が一段上になることは当分はないだろう。


 だが、今の関係が少しだけ改善される可能性はあるかもしれない。


 果たして、自分がひ孫を抱ける日は来るのだろうかと蓮太郎は頼もしくも、女の扱いが下手な孫の将来がほんの少しだけ不安になった。




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