第5話
骨が砕かれ、肉が潰れ、血が噴き出す。
ほんの少し力を振っただけでそんな光景が作れることに少年は歓喜していた。
大声を出しながら、全力で襲いかかってくるチンピラの脚をすかさず払い、転げたタイミングを見計らって、顔面を踏みつける。
素足とはいえ、かかとで体重を乗せて踏みつけられれば、どんな人間でも無事では済まない。
再び骨が砕かれ、血が噴き出しながら、苦痛を知らせるかのような叫び声が聞こえてくる。
再び襲いかかってきたチンピラの仲間が金属バットを振り回してくるが、少年は手にした竹刀で金属バットを持った腕を鋭く打ち付ける。
竹ではなく、カーボン製の竹刀は簡単にへし折れることはない。それだけに鋭い一撃はチンピラの腕に確実なダメージを与えた。
すかさず、体勢が崩れたタイミングで、竹刀がチンピラの喉へと突き刺す。
反吐をぶちまけながら、喉を押さえて声にならない悲鳴を出して、ダンスをしているかのように蠢く。
まるでその様は殺虫剤をかけられたゴキブリのようであった。
一方で無防備に恐怖に立ちすくむチンピラが群れから離れていることを察すると、少年は竹刀を担ぐかのように構え、全力で脇腹を打ち据えた。
肋骨が折れる音と共に、金切り声の醜い叫びが聞こえてくると、そのままチンピラは腹部を押さえながら、床にうずくまった。
最小の動作で、最大の攻撃を加える。
その心得を持っているだけに、一対一では例え武器を持っていても叶わないことをチンピラ達も理解しているのか、警戒しながら、一層群れを作り始めた。
『弱い奴は群れを作りたがる。群れを作らなければ戦うことすらできない』
ゾッとするほどの冷たい声が少年の脳裏に響く。
『そういう連中をなんていうか知っているか? クズっていうんだ。ただ自分のプライドや見栄を張るために、仲間を作って群れることしかできない。ルールや規律に縛られることを何より嫌うくせに、群れの掟を絶対視する』
自分の声のようだが、自分は何一つ口にしていないことに気付いた少年は、思わず「お前は誰だ?」と心の中で問いかける。
『どうでもいいだろ。それよりも見ろよ。あいつら戦いを挑んだにもかかわらず、怯えきってやがる』
落ち着きながら目の前に集中すると、先ほどまで怒りをむき出しにしていたチンピラ達が、今では猛獣でも見るかのように怯えきっていた。
多勢に無勢であることを自慢し、それで威嚇してきた連中の心に恐怖が巣くっている。
『たかが半数程度がぶちのめされたところで、おじけづくとは興ざめする。弱いなら適当に弱い奴を相手にしてりゃいいものを』
チンピラ達の心底怯えきった表情にその声はいらだっているようにも思えた。
『……気が変わった。殺すか』
まるで、鉛筆で書いたノートの落書きを消しゴムで消すかのように、生殺与奪という言葉では形容できないほど、高みから見下すかのように声はそうささやいた。
『戦いを選ぶというのは、自分が殺される可能性も考慮する。その覚悟すら持たずに怖じ気づくなど論外だ』
「お前は一体何なんだ?」
手にした竹刀を少年は放り投げてそう言った。戦う覚悟など自分も持ってはいない。
そして、一方的に相手を叩きのめすような趣味など彼は持ち合わせてなどいないはずだった。
だが、声の主はそれをあざ笑う。
『笑わせることを言うなよ。決まっているだろ』
不適に笑いながら声の主はしゃべり続ける。
『俺はお前だよ。一条蓮司』
そいつは、自分と同じ姿をした人間が残忍な顔つきで笑っていた。
何もかもを見透かしたかもような目に狂気を浮かべながら。
***
「またかよ」
久しぶりに見た悪夢に気付いたことで、一条蓮司は目を覚ました。
半年前に自分が起こした事件が、フラッシュバックされる悪夢はアニメやマンガ、ゲームなどに出てくるような怪物や怪人に襲われるよりもたちが悪い。
ましてや、それは他の誰でもない自分自身が出てくればなおさらだ。
とりあえず、気を取り直しながら起き上がろうとすると、気付けばすでに午後六時を過ぎていた。
「ヤバイ、寝過ぎた」
学園で昼食を取った後、自宅に戻った蓮司は明日出すチキン南蛮弁当の仕込みを行っていた。
二十人分の鶏胸肉を仕入れ、特製のつけダレにつけ込むまで終え、休憩を取って横になっていたのだが、気付けば夕食の準備をすっかり忘れてしまっていた。
とりあえず、夕食の準備に取りかかろうと思ったが、来客を知らせるチャイムが鳴る。
友人達ならば今頃寮で食事を取っている上に、スマホで連絡してくるはずで、もしかしたら出かけている祖父宛の来客かもしれない。
そんなことを脳裏に浮かべながら、蓮司は来客への応対を考えていたが、すると玄関には予想もしない意外な人物が待ち受けていた。
「こんばんは」
剣道着ではなく、私服姿で北条沙希が玄関で待ち構えていたことに、蓮司は一瞬目が点になった。
先ほど見ていた悪夢のこともあり、正直顔を合わせにくい。
「昼間はゴメン」
素直に頭を下げて謝罪してきた蓮司は、昼間の出来事を思い出す。
「もしかして、それで来たのか?」
目線を逸らしながら、ばつが悪いことから蓮司は誤魔化すように頭をかく。
沙希は短気だが、根は素直なので非を認めると秒で反省して謝罪してくる。
口より沙希に手が出ると呼ばれても、それなりに人望があるのは、こういう素直さがあるからだ。
「お母さんに頼まれて来たのに、言い過ぎちゃったから、これお詫びの印」
沙希が差出してきた手荷物らしき箱を受け取ると、そこには蓮司でも知ってる高級洋菓子店特製のカヌレが入っていた。
「これは……」
「昔から蓮司、カヌレ大好きだったから。それで」
キッカケは、自分が慕う兄貴分の好物であったからだが、今では正真正銘、自分自身の好物になっている。
特に、ラム酒がたっぷり入ったカヌレが蓮司は大好物だった。
「まあ、上がろうか」
とりあえず、玄関先で立ち話をするのもどうかと思い、蓮司は沙希を今へと招く。
昼間の剣道着と違い、ノースリーブのブラウスと、デニムのショートパンツは高校生にはいささか生々しい感じがしたが、それを一切おくびに出さずに蓮司は平常心を装い続けた。
「半年ぶりだよね。そういえば」
幼い頃はもっと頻繁に遊びに来たが、半年前を境にそれはぴったりと途絶えていた。
「蓮司が剣道辞めたのもそれぐらいだよね」
「もうそんなに経つのか」
あの事件以来、幼少期からやっていた剣道も蓮司は辞めてしまった。
元々、亡くなった父が武道の達人であったことや、ずっと憧れていた存在に近づけるようにという、子供じみた憧れからやっていたことではない。
辛いと思ったことはないが、楽しいと思ったこともなかった。
「私、結局一回も蓮司に勝てなかった」
母親の影響で剣道を始めた沙希は、蓮司よりも真面目に稽古に打ち込んでいた。
中学の頃には同年代は無論のこと、上級生でも戦うのが困難なほどに強くなっていたが、唯一勝てなかったのが蓮司であった。
「そういや俺、一回も沙希に負けてなかったな」
昔を懐かしみながら、思わず蓮司はそうつぶやいた。
誰よりも一番先に道場で練習していた沙希とは対照的に、普通に道場にやってきて、ほどほどで切り上げていた蓮司ではあったが、一度も沙希に負けた事が無かった。
「勝ち逃げされた気分だよ」
「そのつもりはないけどな」
他の対戦相手には、適当に戦って適当に勝敗を重ねていたが、沙希相手に蓮司は手を抜いたことが一回も無い。
むしろ、蓮司としては誰よりも真剣な沙希と戦うことが一番の稽古であった。
「強い相手と戦うことが一番の稽古になるって、じいちゃんから教えられたからな」
諦めが悪い上に、粘り強く戦う沙希との試合は他の誰よりも緊張感があった。
その一戦で集中力と緊張感、五体も全て活性化して勝つ事に全力を尽くすことで、それを血肉に変える。
祖父から教えられた稽古法を実践した結果ではあるが、蓮司は一度も沙希に負けた事が無かった。
「……なんであんなことしたの?」
唐突ではあったが、それだけに鋭くその言葉は蓮司の心に刺さった。
「十人も病院送りにしちゃうなんて」
半年前、蓮司自身が起こした悪行とも言うべき事件。
思い出したくもないが、忘れてはいけないことだけに数分まで余裕を見せていた蓮司の顔が険しくなる。
昼間、沙希はその事件に嫌悪感を丸出しにしていたが、落ち着いたのか理由を聞いてきた。
「前にも話しただろ。先輩方に襲われたからだよ」
嘘ではなく、真実とも言えないが蓮司はそう答えた。
半年前、調子に乗っているからということで、高等部の三年生達に蓮司は道場で襲われた。
対して練習しないくせに、実力は高等部の生徒、ヘタすると教師達にも互角に打ち合える蓮司が生意気であるからと、完全なるやっかみを受けたのであった。
いわゆる生意気な後輩を締めるという上級生からのリンチを受けたわけだが、争い事を嫌う蓮司は適当に相手をしていたのだが、まともは記憶は後ろから木刀で殴られるまでしか覚えていない。
木刀が折れるほど強く頭を殴られたから、一部記憶が飛んでいるので定かではないが、正気を取り戻した時には自分を襲った十人の先輩達が、血まみれになって道場に転がっていた。
顔面崩壊、肋骨、両手足骨折、内臓の一部損傷。
擦過傷や軽い打撲を上げればさらに増えるが、重傷者は今でも病院のベットの上で動けずにいる。
「まあ、おばさんのおかげで退学されなかったからな」
退学になってもおかしくない不祥事ではあったが、蓮司自身も木刀で頭を殴られており、一歩間違えば蓮司も病院送りになってもおかしくはなかった。
元々素行不良の生徒達であったことから、蓮司も十人の先輩も、剣道部を退部することで全てが決着した。
「お母さんは何も教えてくれなかったよ」
都は周囲に箝口令を敷いて、直接の関係者以外には極秘としたことから、真実を知る人物は数える程度しかいない。
ただ、蓮司が剣道部で大暴れしたという噂が飛び交っており、剣道部での暴行事件という事実は隠しきれていなかった。
その噂が転じて、今年の新入部員が中等部、高等部そろって激減することになり、剣道部では今でも蓮司を厄介者として見ている人間もいる。
実際、昼間の沙希のように激怒している人間の方が内心多いだろう。
「俺も正直あんまり覚えていない。ただ、手にした竹刀が勝手に暴れたとかじゃないなら、俺のせいじゃないけどね」
いつもの調子で斜に構えた口調で蓮司はふざけてそう言ったが、この話になると、真面目に話をするのが空しくなる。
気付けば自分が十人を病院送りにし、その記憶がスッポリと抜けている。
自分がやったのかすら曖昧な代物に真剣になど蓮司はなれなかった。
「ふざけていい話じゃないでしょ。十人も病院送りにしておいて」
一瞬でしおらしい態度から、激怒してみせる沙希に蓮司は若干のめんどくささと共に、自分の落ち度を悟る。
「どんなことがあったのか、知らないけど、人に怪我させてそれでいいと思ってるの?」
「木刀で頭かち割られて、一歩間違えればこっちが死んでかもしれないのに、黙って殺されてろってか?」
沙希の言うことは正論ではあるが、同時に蓮司の言葉もまた正論であった。
蓮司が十人も病院送りにし、逆に木刀が折れるほどの勢いで後頭部を派手に殴られた。
その結果を踏まえればどちらが正しいとも言い切れないが、間違ってもいない。
「分かったようなことを言うなよな。俺だって、好きでああしたわけじゃないし、好きで殴られたわけじゃないんだよ」
押さえ込んでいたはずの感情が、急激に膨らんでいくが、蓮司はそれをあえて止めようとはしなかった。
「昔からそうだよな、遠慮しないでズケズケと聞いてきてさ。こっちの事情なんかお構いなしで、面子とか周囲の目とか、そういうのばっかり気にしてるくせに。それで心配してるつもりかよ!」
いつもだったら絶対に口にせず、適当に蓮司ははぐらかすか、あえて非を認めるが、そんな気分に蓮司はなれなかった。
「昼間もそうだよな。剣道部に泥塗ったとか、迷惑かけたとか、挙げ句の果てにはどの面下げてやってきたとか。俺の事なんて別に心配してないんだろ?」
気付けば、悪夢に出てきたもう一人と同じような口調になっているが、それでも蓮司は止まらない。
「俺がどうかじゃなくて、剣道部とお前自身が心配だから、俺にあれこれ言ってくるんだろ?」
そう言い終えると共に、沙希が大粒の涙を流してくしゃくしゃに泣いていたことに蓮司は気付いた。
止められなかった竹刀ではない口舌の刃は、舌鋒鋭く沙希の心に無残にも突き刺さっていた。
事件の後、剣道部を辞めることになった際、蓮司は理由を聞く沙希を適当にはぐらかしていた。
何度も沙希は理由を聞いてきたが、蓮司はあえて自分の責任であることから言い訳することはしなかった。
だが、そうやってはぐらかし、向き合わずに半年が過ぎた結果、二人には微妙な距離が空いてしまった。
その距離は、二人が想像するよりも遙かに深く、簡単に引き裂けるほどに穿つものであったことを蓮司と沙希は否応に思い知らされたのであった。
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