第4話
「あの子を手放せと先生はおっしゃたいのですか?」
北条の言葉に、蓮太郎は首を左右に振った。
「誰もそんなことは言うとらん。あの子はお前らの大事な娘だ。その縁は切れん」
沙希もまた、蓮司と同じく普通の高校生などではないことも、北条夫妻と蓮太郎との間で共有された秘密である。
「あの子も、蓮司と同じ特殊な力がある。今はまだ、それは目覚めてはいないがな」
目覚めて欲しいくはないというのが、蓮太郎の本音だ。蓮司の持つ力と同じく、沙希が持つ力も、覚醒してほしい代物ではない。
北条夫妻もそれは絶対に望んでなどいない。使い方によっては、人を守れる力ではあるが、本質的には何かを破壊する為に生み出された力だ。
「だが、あいつらの力を狙っている連中はいる。そして、奴らは決して手段など選ばない。それはお前達も分かっているはずだ」
「そのえげつなさを知っているからこそ、私達はその世界から足を洗ったわけですしね」
都の言葉に、北条も同意を示して頷いてみせる。元々、戦いに向いている方ではない二人だが、それに巻き込まれる意味を嫌というほど理解していた。
「奴らが本格的に攻め込んで来れば、ワシらではあの二人は守り切れないし、あの子達の友人も守れん」
二人だけではなく、最悪第三者までも巻き込んで被害者を出してしまう危険性を蓮太郎は危惧していた。
あの二人だけを攫う為に、人質を取ってくることもあり得ない話ではない。
それを知っているからこそ、蓮太郎は北条夫妻に蓮司と共に沙希をこの地から離れた安全な場所へと送ることを以前から提案していた。
しかし、その場所に対して北条夫妻は嫌悪を抱いている。
「沙希も扶桑へと留学させるべきだと?」
冷静な都が、露骨なまでな嫌悪の表情を見せた。だが、蓮太郎はあえて発言を続けた。
「奴らから二人を守って、周りに被害も出さないことを両立させるならば、それ以外に最善の方法は無いと思うがな。ワシはもちろん、お前さん方でもあの二人を奴らから守り通すことは無理だ。奴らは、そもそも人間を捨ててるからな」
「……もう少し考えさせてはくれませんか?」
北条悟の三度目の保留に、蓮太郎は意外そうな顔をした。
「お前さんらしくないな。優柔不断という言葉が似合わない男のくせに」
見た目は温厚だが、目の前の患者を絶対に見捨てず、様態が急変しても、冷静に最善の手を尽くすのが北条悟だ。
数十年以上もの付き合いがあり、互いに相手のことを理解しているだけに、蓮太郎が煮え切らない北条の姿に異様さを感じる。
「それに、これは三度目の話だぞ。お前さん方が、沙希ちゃんを大切にしているのは分かる。だが、お前さん達はあの子の親であると共に、この病院と学園を預かる経営者でもあるんだ。お前さんらが守らなければならないのは、あの子一人だけじゃない」
「そんなことは分かっています」
都が今更という気持ちがこもっているかのようにそう言ったが、本当に分かっているならば三度も同じ話にならないはずだ。
「ですが、あの子をあそこに送ることがあの子の為になるのですか?」
少なくとも、北条総合病院と白鳳学園に身に置くよりは確実に安全ではあるが、危険性が無いとは言えなかった。
「生徒達や職員達が巻き込まれる危険性も考慮しなければなりません。ですが、沙希一人がそのための人身御供になることは許容できることではない」
都がそう言うと、北条も口には出さないが、内心同意しているのが感じ取れた。
なんだかんだと、一人娘を溺愛しているのはわかりきったことではあったが、それだけでは納得出来ない違和感を蓮太郎は感じていた。
「せっかくのご忠告ではありますが、保留させていただけませんか?」
三度目の保留になる提案に、蓮太郎は仕方なく目をふせため息をついた。
「……仕方ない。だが、保留するだけの猶予があるとは思えんがな。早めの答えを待っとるよ」
そう言うと、蓮太郎は昼飯の太巻きを全て口の中に放り投げ、院長室から退出した。
すると、院長室の前で一人の青年が立っていた。
「お話し合いは終了しましたか?」
真夏に不釣り合いな紺色のスーツを身に纏った青年がそう言った
「ああ、お話し合いは終わったわい。お前さん何者だ?」
黒髪に褐色の肌、流石にネクタイは外しているが、蓮太郎は青年の目つきがどことなく陰険そうに見えた。
「失礼、こういうモノです」
青年は懐から一枚の名刺を手渡す。
そこにはAGSというスイスに本社を置く外資系金融機関の名と共に
「銀行屋さんかい?」
「当行では主に富裕層の方向けの、プライベート・バンキングを専門としておりまして」
私立の学園と病院経営を行っている北条夫妻は間違いなく富裕層の部類に入る。
学園と病院は儲かるが、その為の投資もバカにならない。そのアドバイザーという形でこの手の人間が出入りしているのも珍しいことではないだろう。
「失礼ですが、一条蓮太郎先生とお見受けいたしました」
金城は笑顔でそう言ったが、蓮太郎は口をへの字にした。
「なんでワシの名前知ってるの?」
「先生は白鳳学園の理事ではありませんか。学園関係者の方は皆さん把握しております」
一応、蓮太郎も白鳳学園の理事ではあるが、殆ど名ばかりであり経営には殆ど口出しをしていない。
理事会にも顔を出す程度の名ばかり理事に過ぎないのだが、そんな自分のことも調べていることに対して逆に違和感があった。
「それに、先生は機械工学の分野では有名人ですし」
「悪い方のじゃろ。営業かけてるなら余所をあたってくれ。ワシ、投資は自分でやるのが大好きなんでな」
若い頃から自分自身で資産運用をやってきただけに、蓮太郎は他人任せではなく自分で金を動かすのが大好きであった。
おかげで老後には困ってはいない上に、十年は遊んでいても平気なほどの蓄えがある。
「それは残念です」
金城は口では残念がってはいるが、初めから営業対象としては見られていなかったのか、あっさりと引き下がった。
上品な富裕層を相手にする場合、泥臭い営業スタイルは嫌悪感しか与えない。そういう意味では優秀な銀行員なのだろう。
「じゃあな。あの夫婦によろしく言っておいてくれ」
そう言うなり、蓮太郎はその場を後にする。エレベーターに乗り、一階のロビーから外へと出ると、まだ太陽は爛々と輝いていた。
紫外線が混じった強い日差しを気にせず、蓮太郎はゆっくりと日陰に入ると、愛用しているスマートフォンを取り出す。
そして、前々から連絡を取っている昔なじみに電話を掛けた。
『どうしたじっちゃん。まだ昼間だぜ』
電波越しに聞こえてくる軽い口調に思わず蓮太郎は「昼間にかけちゃ悪いのか」と突っ込んでしまった。
『意外な時間にかかってきたからな。今日は何? おねーちゃんでも落とせたのか?』
「うっせー若造。それより、お前らが来るのは明後日だったな?』
『じっちゃん、耄碌するには早すぎねえか?』
『ボケとらんわい』
少しは老人を敬えと言いたくなったが、受話器の向こう側にいる若造と同じ歳だった時、蓮太郎もまたジジイやババアを敬うよりも、からかっていたことの方が多かった。
若い頃の自分も、この若造のように生意気であったのだから。
「その予定だが、明日にできないか?」
『予定変更とは穏やかじゃないな』
一刻も早く会いたいというような内容ではないことは、受話器の向こう側にいる若造にも察しが付いているらしい。
そもそも、明後日の予定にしても、決して穏やかな話の内容ではないのだから。
「嫌な予感がしてな。北条夫妻だが、あいつらもしかしたらヤバイ連中とつながりがあるかもしれん」
先ほどあった金城哲人という男は、外面こそ良いが、外面が良すぎる人間を蓮太郎は信用しないようにしていた。
独特のきな臭さを感じただけに、あえて当初の予定を変更することを決めたのであった。
『ま、俺の方はとっくに本土入りしてるけど、あの二人はまだ動けないぜ』
若造がそう言うと、蓮太郎は複雑な心境になった。当初予定していた三人での合流ではなく、別々の合流にならざるを得ない。
『それでもいいって言うなら、なんとか俺だけでも先にそっちに行けるけどな』
「この際やむを得んわい」
この若造の強さは心配していない。一対一ならばマトモに勝てるどころかやりあえる相手など、後から合流する二人ぐらいなものだ。
だが、一対一でやり合うようなマトモな連中ではないだけに、数が多い方に越したことは無い。
「お前さん一人だけでも今は先に来た方が助かる」
『じっちゃんにそう言われると、どうもケツがかゆくなりそうだ』
少々真面目に話しているつもりだが、この若造の文字にシリアスという言葉は存在しないことを蓮太郎は思い出した。
「相変わらず、マイペースだなお前は」
『とんでもない、マイペースだったらそもそも予定変更しないっつーの。それに、じっちゃんの話聞いてたら、スゲーきな臭そうな感じがするぜ』
マイペースで人を食ったところがある若造ではあるが、人としての本性は極めて真面目な男ではある。
『あの二人も急かせるから、まあ、明日はいい酒でも用意しておいてくれや』
「頼んだぞ」
会話はそれで終わったが、蓮太郎はまだ不安を拭いきれないでいた。その不安を解消する為に、先ほど貰った名刺をスマホで撮影し、SNSの共有グループに送信する。
そこに蓮太郎は「この男の正体を確認して欲しい」とコメントしたのであった。
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