一章

邂逅

「楓ちゃん、元気ないけどどうかしたの?」


「え、ううん。何でもないよ。」


 昼休みに卵サンドを食べながら昨日の出来事を思い出していると、机の向かいに座り一緒に昼食をとっていた春がそう声をかけてきた。入学後に仲良くなった飯田春奈という少女はふわふわとした言動と裏腹に、勘が鋭い。自分の感情は顔には出にくいタイプだと思っている。それでも何かしら些細な悩みがあると彼女にはばれてしまう。


「それは何でもない人の返事には聞こえないよ~、私には言えないこと?」


「いや、そんなことないよ。でも、口止めはされてないけどあんまり噂が広がるのも良くないって話題かな。」


 私は昼食を摂る手を止める。彼女は相も変わらず持参した小さな女性らしい昼ご飯を食べていた。自分で作っているらしいそれは高校生が作ったとは思えないほど良い出来で、一口もらった時は驚いた。私の今日の昼ご飯は卵サンドとメロンパンとプリンだった。忙しい両親が私の分の弁当を準備できないので、コンビニでパンや出来合いの弁当を買って登校するのが日課になっていた。

 私も女性として料理くらいはできたほうがいいかもしれないと思うことはあったが、面倒に思えて踏み出せないのが現状である。


「つまりそのお悩みは楓ちゃんの悩みって訳じゃないんだね。他人から相談を受けた感じ?」


 自分の口から少しずつ情報が漏れていた。これだから隠し事は苦手なのだ。


「うん、まあそんな感じ。」


「楓ちゃんって自分とは関係のないことでよく悩んでるよね。面倒見がいいのは素敵なことだよ。」


「そうかな?褒めても何も出ないけど。」


「ざんねーん。そのデザートのプリンくらいはくれると思ったのに。」


 彼女は無邪気に笑っていた。

 こうしていると普通の少女だけれど、彼女はすこぶる頭が良い。それはもう意味が分からないほどに。県内随一の進学校に入れるだけあって、自分のおつむの出来もいいほうであるとは思う。けれど彼女、そして同じクラスの吉野圭介にはかなう気がしなかった。定期テストの後に張り出される成績優秀者の名前は入れ替わりが激しく、私も載ったことがあるけれど、常に一位は春で二位は吉野君だった。


「一人で解決できる悩みならいいけど、そうじゃないんだったら人を頼るのも悪いことじゃないと思うよ~?」


 昨日の七瀬先輩の相談を一人で解決できるとは到底思えなかった。


「うーん、じゃあ相談に乗ってくれる?でも学校で話すって内容でもないからどこか別の場所で。」


「いいよ~、じゃあ今日の放課後喫茶店でも行かない?」


「喫茶店?どこの?」


「実は学校の近くにひっそりとたたずんでるんだよ。たっくんと吉野君が隠れ家みたいにしててさ。」


『たっくん』というのはおそらく同じクラスの「江嶋拓馬」のことだろう。何度か彼女が彼のことをそう呼んでいるのを聞いたことがある。だが私は少しだけ警戒を強めた。


「江嶋君と吉野君に話を聞かれるのはよくないかも。」


「大丈夫、盗み聞きするような二人じゃない、と思う、多分、おそらく。

 それに、二人とも信頼できる人だから聞かれても大丈夫だと思う。」


 その言い方だと盗み聞きしそうな人間に聞こえる。江嶋君に関しては夏ごろ行われた体育祭の一件で私の信頼はそこまで高くない。別に私が直接何かされたわけでも、間接的に不利益を被ったわけでもないけれど。


「そうなの?吉野君はともかく江嶋君は自分勝手な人って印象があるけど。」


 彼女はそれを聞いて、口元を抑えて微笑んだ。


「たっくんは自分勝手というか、正しさと平等の味方なんだよ。それが外から見ると自分勝手に見えるだけで。何はともあれ、今日の放課後は喫茶店に行こう!今日の放課後は剣道部はあるの?」


「今日はお休み。」


「じゃあ放課後に直行ってことで!あ、でも私ちょっとだけ委員会の仕事があるからそれが終わり次第ね。」


 人に相談内容を広めることに若干の罪悪感はあるが、心強い味方を得ることができたと思った。


「あと。これちょうだい?お願い!」


 そういって彼女は私がデザートとしてコンビニで昼食とともに買ったプリンを指さした。上目遣いの彼女のお願いはなかなかの破壊力を有しており、それによってあまたの男が勘違いし、ぶつかり、そして玉砕している。私もこの前河野という男に告白されたし、モテるほうではあったけれど春ほどではない。

 この破壊力は同性の私にとってもなかなかに有効で、私はいまだかつて彼女のおねだりを断れたためしがない。今回も例には漏れない。


「しょうがないなあ。はい。」


「やったー!ありがとう楓ちゃん。」


 無邪気にはしゃぐ彼女をみて私もつられて笑っていた。私は食べかけの卵サンドをほおばった。



 放課後になり、委員会の仕事があると言った春を待って私たちは喫茶店に向かった。住宅地の中に佇んでいたその喫茶店は、隠れ家と呼ぶにふさわしい立地にあった。目的地に向かってただ歩いているだけでは見つけることができそうにない場所に立っており。見た目はレトロな感じで、悪く言えば古びていた。店内にはカウンター席と二つのテーブル席があり、繁盛しているとは言いづらい。現在時刻は16時を少し回ったところだが、外から見てお客さんは黒羽高校の通学用の簡易制服を着た二人だけだった。驚くことにその喫茶店は店名が『喫茶店』だった。紛らわしいことこの上ない。

 私が入店を少しだけためらっていると、それを見透かしたかのように春がドアを開けてくれた。ドアにつけられた重めの鈴がからん、という音を立てる。

 開いたドアのその先の、カウンターに立つ店員と思しきおじさんは優しそうな顔をしていた。だが何故か「いらっしゃいませ」という声は聞こえない。


「ここのマスターあんまり喋らないんだ。でもちゃんと営業中だから大丈夫だよ~」


「そ、そうなの?」


 マスターと呼ばれた先ほどの店員は春の言葉を肯定するように頷く。


「じゃあ、お邪魔します。」


 そう言って私は店内に足を踏み入れる。

 店内は吊り下げられたペンダントライトから放たれた電球色によって眩しくはないけれど暗くもない心地の良い明るさに満ちている。


「いらっしゃいませ。」


 先ほどの春の発言とは矛盾するようにそんな声が聞こえた。そちらを向いてみると、クラスでは後方の席を陣取っている江嶋君が私のほうを見ていた。


「いつから喫茶店で働き始めたんだ拓馬。」


 隣に座る黒羽高校の制服を着た男子生徒が私のほうを向くこともなく、私のことを見ている江嶋君にそう言っていた。後ろ姿から察するに、おそらくこれは吉野君だろう。


「こんにちは、江嶋君。それから吉野君?」


「江嶋でいいよ。同い年だし、同じクラスだろう?佐々木。」


「佐々木?そんな奴クラスにいたか?」


 そう言って私のほうを吉野君は向く。


「駄目だ。顔を見てもわからん。」


 少しだけイラっとした。仮にも四月から様々な行事を超えてきたというのにクラスの人間の名前も憶えてなければ顔も覚えていないというのか。

 落ち着いてから、当てつけのように自己紹介を始める。


「どうも、A佐々木楓です。よろしく。」


「よろしく。まあ、今日を除けばもう話すこともないと思うけどな。」


 絶対に学校でもう一度話しかけてやる、と心の中で決意した。とはいえこれが実行に移されることがあるかどうかは甚だ疑問だが。


「楓ちゃん、こっちこっち~」


 一足先にテーブル席へと到着した春が私のことを呼んでいた。ぴょんぴょんと跳ねながら手招きする姿は愛くるしい小動物のようだった。私は彼女の座るテーブル席へと向かう。店内は暖房が聞いており温かいため、羽織っていたパーカーを脱いで椅子に掛けてから彼女の対面の席へと座った。


「じゃあ、何飲む?どれもおいしいけどやっぱりコーヒー系が美味しいよ。私はカフェラテにしようかな。」


 おすすめされたが、私はコーヒーはあまり好きではなかった。というのも苦い食べ物や飲み物が苦手なのだ。最近でこそ克服してきたが、中学二年生ごろまでピーマンも食べるのを避けていた。子供っぽいと両親に言われてからは改善するよう努力しているが、今でも苦みの塊のようなコーヒーは得意でないままだ。


「私苦いの苦手なんだよね。」


「そうなの?ちょっと意外。でも、大丈夫だと思うよ?喫茶店のコーヒーはちゃんと美味しいから、香りとかカフェインがダメとかじゃない限り美味しく飲めると思う。砂糖もあるから私と同じの一回飲んでみなよ。」


「うーん、じゃあ私もカフェラテにしようかな。」


「じゃあ、決まりだね。マスターさんカフェラテ二つ。」


 カウンターに立つマスターは静かにうなずいてカップを用意し始めた。その手つきはプロのそれだった。父が家でコーヒーを抽出しているのを見たことがあるが、使っている器具からして違う。抽出器具が違うということは普段のコーヒーと何かしらの違いがあるのだろうけれど、私にはそれがわからなかった。家に帰ったら調べてみることにしよう。


「それで?どんなお悩みなの?

 あ、たっくん、吉野君。盗み聞き禁止ね。」


「僕はそんなことしないよ。」


 吉野君がそう返す。この距離なら聞こうとせずとも聞こえてしまうような気がする。まあ、あの二人の交友関係はそこまで広くは見えないので聞かれてしまったら口止めすればいいか。

 そうして私は昨日の出来事を話し始める。


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