感想戦
我に返り時計を見ると、短針は10という数字を指していた。一限目どころか二限目も始まってしまっている。教室に戻るかとも思うが、気分は乗らなかった。
「やっぱりここにいたのか吉野。」
声がしたほうを向くと五十嵐先生が立っていた。
「ええ、まあ。」
「元気ないな。そんな様子じゃ俺の電話番号を盗み見たことを叱れない。」
「それは盗み見られたほうにも問題があるのでは?」
「それ、盗撮とかにも同じこと言うつもりか?世のJKに刺されかねんぞ。」
「JKの下着と先生の電話番号が倫理的に同じ分類なわけないでしょう。でも先生の言う通りですね。じゃあお説教をどうぞ。」
「あー、いいや。」
「え?」
「やーめた、叱られてもいいと思ってるやつを叱るほど不毛なことはないからな。とりあえず行くぞ。」
「行くってどこに?」
「え?決まってんだろ?」
何を当たり前のことをと言わんばかりの表情を僕に向けた。
「教室ですね。3限目からでいいですか?」
「ちげーよ、何言ってんだ。ドライブに決まってんだろ。」
「決まってない。」
思わず心の声が外に出てしまった。けれど、僕は先生の後についていく。
先生の車はどこにでもある普通の軽自動車だった。ガサツな性格とは裏腹に意外と車内は綺麗だった。少しだけタバコ臭いけれど許容範囲だ。
僕は後部座席に乗りながら車内を見回す。僕のシートベルトを確認することもなく車は発進し、加速感に襲われる。
「で、どうしたんだよ。なんかあったの?」
僕を乗せて学校を出発した車を運転しながら先生は僕に言う。
「ドライブなんていうからてっきりスーパーカーに乗せてくれるものかと思いました。」
「俺の車はスーパーカーだよ。」
「黄色の軽ナンバーじゃ映えませんよ。」
「ちげーよ。スーパーカーって名前なんだよ。」
「いや、そんな車種じゃないですよね。どこにでもある奴ですよね。」
車に詳しいわけではない僕ですら知っているような有名な軽自動車だった。CMでも見たことがある。
「車種は確かにどこにでもあるような車だけどな、俺がスーパーカーって名前を付けたんだよ。」
無茶苦茶な理論で武装している。
「それ言い出しちゃったら世に存在する車全部スーパーカーになれますよ。」
「いいじゃねえか、そっちのほうが。なんかワクワクしないか?」
僕は少しだけ笑う。
「確かに、それもそうですね。」
信号待ちの間で先生は煙草をくわえた。けれどミラー越しに僕が見えたのか一度加えたそれを箱にしまった。
「それで?なにがあったんだ?」
「なにも。」
ぶっきらぼうにそう言った僕を先生が笑う。
「まあ、本当はこういうのは俺の役目じゃあない。けど、今のお前に適役がいるとも思えんからな。俺が聞いてやるよ。しかも今なら出血大サービスだ、
「お金取るつもりだったんですか?」
「学校を介して親からな。」
給料という意味なのか本当に請求するつもりなのかはわからないががめついものだ。僕は渋々口を開く。
「負けました。」
「誰に?」
「飯田春奈。」
「あー、テストか。そりゃあ、なんというか、無謀な挑戦だったな。」
「あなたの辞書には配慮という言葉はないんですか?」
「されたかったのか?」
「いいえ、微塵も。」
「だろ?でも、もう一つルールがあっただろう。総合点では負けても平均点の方では勝てたんじゃなかいのか?」
「そっちも負けました。」
「どういうことだ?」
僕は飯田春奈の世界史の点数と平均点を教える。
「まじかよ、何なんだあいつ。」
「本当ですよ。あれ、本当に人間ですか?親の顔が見てみたいです。」
ミラー越しの先生の顔が突然険しくなる。
「いない。」
「え?」
「あいつに親はいない。深く話すつもりはないけどな。」
僕は言葉につまる。なんと言えばいいかわからなかった。
「でも、おそらく吉野が思うよりも、吉野はあいつに勝ててるぞ。」
「どういうことですか?」
「あいつにはあいつなりのルールがあるんだよ。多分なんでも出来すぎて気持ち悪いとでも言われたんだろうな。」
「どんなルールですか?」
「おそらくだが、『単独トップで満点は取らない』ってルールだな。あいつが満点で、同時に吉野よりも高い点数を取ってるの見たことあるか?」
僕は思い返してみる。すべての点数を覚えているわけではないが、言われてみれば僕が99点以上を取ったテストではすべて引き分けかもしれない。例外があるとすれば、先生が個人的理由で減点した入試と中間テストだけだろう。さすがにそこまでは彼女も読み切れなかったということか。
「だとしたらなおさら恐ろしい。僕の得点まで予想しているってことになりますよね?」
「だからあいつと勝負するなんて無謀なんだよ。でも今回のテストであいつはそのルールを破ってる。世界史が93点ってことはほかの科目で全部百点ってことだろ?お前今回のテストで世界史以外で百点取ったか?」
「取ってないですね。」
「だろ?お前より高い点を一科目でも取れる奴なんて飯田を除いて存在しないだろうから、多分あいつはお前に勝つために自分のルールを曲げてる。」
「だとしても負けですよ。まあ、少しだけ慰めにはなりましたけど。」
窓の外にはいつの間にか知らない街が広がっていた。どこなのかもわからないその景色にすこしだけ興奮している自分がいた。世界が広がっていくことで得られるものなんて一つもなかったというのに。
「ほかにはなんか言いたいことはないのか?」
「チェスも勝てませんでした。」
「ステイルメイトか。」
きっと先生は昨日、僕が動かした盤面を見た時点でそれに気が付いていたのだろう。
「それです。まさか引き分けなんて。」
「まあ、すべての勝負に白黒が付くわけじゃないからな。」
「つくと思ってました。」
先生は僕の言葉を鼻で笑う。
「やっぱり若いな。危ういほどの脆い若さだ。きっとお前は苦労するよ。でも、おれは嫌いじゃない。」
いつか言われたような言葉だった。その言葉を境に、しばらくの間車内は静寂に包まれた。
窓の外に広がる街は依然として見たことのない街だ。それでもなぜか心地よくて、今日のことなんてどうでもよく思えるような気がした。
けれどそんな気持ちとは裏腹に、僕は先生に未練がましく尋ねていた。
「先生、僕はいったい何が欲しかったんですかね。わからないんです。」
「知らねえって。」
昨日と同じことを聞き、昨日と同じ返事が返ってきた。信号が赤になることを見越してブレーキをかけていたスーパーカーがゆっくりと停止する。
「でもさ、吉野。今自分は何が欲しいのかなんて結構みんな知らないものだぜ?俺だってわからないし、今前の信号を渡ってるばあちゃんも、教室で今頃授業受けてるやつもきっと知らない。みんなその時その時を生きるのに精いっぱいでそんなことを考える余裕はないんだよ。」
「でも僕は、きっと何も持ってないんです。吉野圭介として生まれて、この身以外何一つ手に入れることなくここまで生きてきた。ラッピングを剥がしてみたら何も入ってないなんて悲しいじゃないですか。せめて自分が望むものくらいはあたりをつけなきゃ。」
信号が青に変わり、車は進む。
「今から出会うものを抱え込むためには両手があれば十分だろ。」
「十分ですかね?」
「ああ、十分さ。
勝手に貼られた包装紙が運良くはがれたんだ、今度は誰にも何も貼られないように、大きくて、凸凹で、いびつな人間になれよ。
まっすぐ生きるにはお前はちょっとだけ賢すぎる。」
「それで一体何になれるんですか?」
「さあ、なってみればわかる。」
先生の顔には迷いがあった。きっと先生もまだ道の途中なんだろう。
「、、、あんた無茶苦茶だよ。」
そうしてまた、言葉が消えた。
いつの間にか車は学校の周辺に戻ってきていて。車内の時計によればもうすぐ昼休みだ。
「お前の作文、読ませてもらったよ。今までのと違って文字数も足りてない。それどころか書き出ししかないあの作文。」
もう少しで校門というところで先生が僕に言った。僕は正直に答える。
「何を書いたらいいのかわからなかったんです。」
「だろうな。
でも、あの作文が今までのどんな答案なんかよりもお前だった。
探しに行けよ、あの書き出しの先になんて書けばいいのか。」
車は学校に到着する。教室の窓からは机に座る生徒が見えた。
少しだけ黙った僕は、先生に尋ねる。
「何をすれば見つかりますかね?」
「さあな。とりあえず、隣の席の奴に名前でも聞いてみろよ。あとは自分で考えろ。
到着だ。午後の授業はちゃんと出ろよ。あと、俺の電話番号は原則内緒にしてくれ。」
僕は車の戸を開けて、外へと出た。
心地よい風が僕の頬をくすぐった。なんだかいつもより景色が鮮やかに見えた。
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