夏樹と悟 

「お義父さん、こんばんは。後藤悟です。」


「開口一番『お義父さん』とは元気がいいね。君が秋葉の彼氏さんか。まあゆっくりしていってよ。」


「シャー」


一月三十日、自宅の玄関で悟とお父さんはにらみ合っていた、ついでにキリ君も精一杯威嚇している。今この状況を説明するためには少しだけ時間をさかのぼらなければならない。


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一月二十六日


結論から言おう、私と悟が恋仲になるまでに長い時間はかからなかった。

一日、また一日と会う回数が増えていき、お互いのことを知っていった私たちは季節が冬になるころには石を投げれば当たるほどの、どこにでもいるカップルになっていた。十一月に告白され、それを快諾した私と悟はクリスマスや初詣などの季節の恋人行事をひとしきり行い、大学生にとって些か長すぎる春休みはどこか旅行にでも出かけようという話も出ていた。


そして今日、父に悟の存在がばれた。私のことが大好きな父が私の恋人の存在を知ったら確実に面倒な事態になることはわかっていたので、恋人の存在はひた隠しにしていたのだが喫茶店のマスターが口からポロリと漏らしてしまったらしい。今度行ったらコーヒーの一杯くらいはごちそうしていただかないとこの罪は消せないぞと思いながら私は父の尋問を受けていた。


「秋葉の恋人の名前はなんて言うんだい?」


「後藤悟。」


「さとる君か、いい名前だな。いつから付き合ってるの?」


「十一月の上旬。」


自分が作った霙鍋を食べながら私がぶっきらぼうに答える。年が明けて、一段と厳しさが増す一月下旬の寒さを温める霙鍋は私のお気に入りの料理の一つだった。作る手間の大きさはあれど、それに見合うだけの美味しさと温かさをそれは兼ね備えていた。


「え、そんな前から付き合ってたの?お父さんショック。」


「絶対受けてないでしょ。」


思春期の女子の気持ちが遅れながら分かったような気がする。


「一人娘に彼氏ができたお父さんがショックを受けていないわけないだろう?」


何でもないような顔をした父がそう答えた。実は高校時代にも彼氏がいたことはあるのだがどうやらそちらは気づかれていなかったらしい。まあ、その子とは転校を機に別れてしまったのだが。


「それもそうね。他に聞きたいことは?」


「いや、特にないよ。学生の身分相応に目いっぱい楽しみなさい。」


なんだかあっさり引いてくれた。ことらとしては非常にありがたいが、世の中の『お父さん』というのはこんなものなのだろうか。だが思い返してみれば父が私の行いに口を挟むことはこれまで一つもなかったのも事実だ。そう思っていると父が口を開く。


「あ、そうそう。家に悟君を連れてきなさい。秋葉を預けるに値するかどうか私がしっかり見定めないといけないからね。」


「にゃお」


キリ君も同じことを言いたいと言わんばかりに鳴いた。

やっぱり面倒なことになった。そう思いながら私は鶏肉を一つ口に放り込んだ。冷ます手間を省いたばかりに口の中をやけどしてしまった。少しだけ痛む口をねぎらうように手元の冷たいお茶を飲んで私は了承の返事をした。


翌日、眼前に迫った期末テストに向けて勉強会を行うという名目で悟の一人暮らしの部屋にお邪魔していた私は事情を悟に説明した。


「そんなわけなんだけど、家に来てもらってもいい?」


「いいよ、そろそろ行かなきゃと思ってたんだ。ちょうどいいタイミングだね。」


そういって彼は煙草に火をつけた。賃貸であると思われるこの部屋で煙草を吸うのはいかがなものなのかといいたい気持ちは最初のころはあったが、この部屋で過ごすことが増えるにつれてなくなっていった。退去時に文句を言われるのは悟なので本人が気にしていないならいいだろう。

口から煙を吐き出した彼は私に尋ねる。


「いつ行くのが都合いい?」


「詳しくはわからないけど、三十日はお父さんも仕事が休みの予定だからきっとその日なら大丈夫だと思う。その日、悟は大丈夫?」


「日中に病院に行く用事があるけど、夕方からなら問題ないよ。」


「病院?なにかあったの?」


「いや、大したことじゃないから心配いらないよ。」


「そう、ならいいんだけれど。じゃあ夕飯も家で食べてく?その日はたぶん私が夕食を作ると思うし。」


「お、秋ちゃんのご飯が食べられるの?それはぜひともご一緒したいね。」


悟の家で過ごすことが多くなってきた最近ではこの家で料理を振舞うことも少なくない。悟は私が作った料理をひどく気に入ったようだった。私としてもおいしく料理を食べてもらえるというのは悪い気分ではないもので、最近では簡単なものだけでなく少し凝った料理を作れるように家で練習もしている。


「じゃあ、美味しいの作れるように準備しとくわね。」


「期待しとくよ。」


煙草の煙を吐きながら彼は短くそう言ったが、嬉しそうな顔が彼の内心を物語っていた。

そして、三十日。場面は冒頭へ。

________________


のっけから一触即発の様相を漂わせている二人と一匹をみて私はため息をついた。

そんな剣呑にならなくても。私は靴を脱いで自宅に上がる。


「まあ、なにはともあれ上がったら?いつまでも棒立ちでいてもつまらないでしょう?」


「そうだね、お邪魔させていただいてもよろしいですかお義父さん?」


「ああ、いらっしゃい。ようこそ桜庭家へ。」


そう言って父は背を向けてリビングへと向かった。悟もそれに続くべく靴を脱ぎ、それをそろえて後を追う。


「適当に掛けてて、いまからご飯作るから。」


そういって私はキッチンへと入り準備を始める。とはいっても時間のかかりそうな下準備はすでに終えていたため、後はじっくり調理するだけだった。今日のメニューはロールキャベツだ。


「「何か手伝うことはある?」」


父と悟が声をそろえて私に言った。それを聞いて私は笑ってしまう。二人は顔を見合わせて複雑そうな顔をしていた。


「大丈夫よ、二人はお喋りでもしててちょうだい。」


そう言って私は調理に入る。

しかしそこからしばらく無言の時間が流れていた。ロールキャベツはすでに煮込む段階に入っており、いつでもリビングには戻れるのだが私はどの立場で会話すればよいのだろうか。父の娘としてか、悟の彼女としてか。そんなことを考えていたとき、ついに沈黙が破られた。それは悟の声だった。


「ご、ご趣味はなんですか?」


合コンか何かか?この男もしかしてコミュニケーション能力に不備があるのか?思わず吹き出しかけていた私だったが父は和やかそうな声で答える。


「読書と、コーヒーを淹れること飲むことかな。クリケットも好きだけど、観戦したり競技に参加するわけじゃないから趣味というのは少し違う気がするな。悟君は何か趣味はあるのかい?」


「趣味というわけではないんですけれど、美術館や博物館にはよく行きます。」


「へえ、結構文化的なんだね。どんな絵が好きとかはあるのかい?」


「そこまでマニアックなものが好きなわけじゃないんです。有名どころの絵画なんかが日本に来たら見に行くくらいですよ。」


「そうなのか、好きだからといいて極めなければならないわけではないからね。趣味としては浅く広くっていうのも丁度いいかもしれないね。」


玄関でのやり取りや会話の出だしとは違い非常に円滑に会話が進んでいる。少しほっとして鍋に目をやる。ロールキャベツは煮崩れすることなくコトコト煮込まれている。これならあと十数分で完成することだろう。


「あとちょっとで完成するからお皿出すの手伝って。」


私がそう言うと、二人は会話をしながらキッチンへと入ってきた。


晩御飯を食べながら私たちは談笑していた。父も悟も緊張がほぐれたのかわからないが既に普通に会話できるようになっており。お互いのことや出身、私についてのエピソードで盛り上がっていた。父の親バカともとれる私についての話を聞かれるのは気恥ずかしさもあったが、興味深く聞く悟を見ているとそれ指摘する気にもなれなかった。さすがに私の幼少期の頃のホームビデオを見ようという話には反対したが。

私のロールキャベツも好評だったらしく、二人とも残さず食べきってくれた。作り手としてこれ以上の幸福はない。


「「「ごちそうさまでした」」」


三人で手を合わせる。


「片付けは僕がやっておくから、秋葉は悟君とお喋りでもしてなさい。」


「僕も手伝いますよ。」


「客人に家事をやらせないのが我が家の家訓なんだ。年上の気遣いをありがたく受け取っておきなさい、ゆっくりテレビでも見ててくれ。」


そういって、テーブルの上の食器を父はてきぱきと片付け始めた。悟は感謝の言葉を口にし、テレビの前に置かれているソファに腰を下ろした。私もその隣に座り、父に声を聴かれないように耳打ちした。


「仲良くなってるようで安心したわ。」


「お義父さん、あーこの呼び方はまだ駄目かな。秋ちゃんのお父さんのおかげだよ。自慢じゃないけれど、俺は人と会話するのが得意じゃないからね。」


「知ってる。私が料理してる時の会話を聞いてたから。なにあれ?合コンかお見合いでも始める気だったの?」


笑いながら小ばかにする私を見て悟が口をとがらせる。


「天気の話をしなかっただけほめてほしいね。」


「天気の話はないわ。本当にない。」


「そんな真顔で言われると怖いよ。しなくてよかったー。」


先ほどまで私たちと同様にご飯を食べていたキリ君が悟の膝の上に乗ってきた。


「にゃーお」


「これなんて言ってるの?」


「きっと、『僕もお前を認めてやらんでもない』って言ってるのよ。」


「にゃ」


肯定するようにキリ君が鳴いた。そして悟の膝の上で丸まって寝始めた。


「何様だお前はー」


笑いながらキリ君を撫でまわしている。

振り返って父を見る。それを見た父は少しだけ寂しそうに、それでもやっぱりうれしそうな顔で笑い返した。





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