この上なく軽い告白#2
「で、拓馬の返答は?」
依然として黙り込んでいた私に吉野が声をかける。
「少し考えたい。」
「私はそんなに優しい女じゃないから、今すぐにでも答えを出してほしいけれど。」
佐々木が何でもないように言う。
「色恋沙汰に疎い僕でもそれが酷なことはわかるぞ。もうちょっと何とかならないのか。」
「そうね、じゃあ明日の12時までは待ってあげる。」
それにしたって短い気はする、こういうのって『答えが出るまで待つよ』みたいな展開がセオリーだろう。
「悪くない、熟考は時に浅慮以上に愚かな結論を導くからな。それでいこう。」
「なんで吉野が答えるんだよ。俺の話なのに。」
「回答者側に時間延長の権利はないのが常だろ。というか、僕が明日の12時まで引き延ばしてやったんだから感謝してほしいくらいだよ。」
そう言って吉野がグラスに口をつける。中身の少なくなったレモンサワーを傾けたため、氷がからんと音を立てる。私と佐々木も残り少ないビールを飲み干す。
「私はビールを飲むけど何か飲む?」
「僕はレモンサワー。」
「ウーロン茶。」
「へえ、江嶋のお酒を控えさせるくらいには勝算があると思っていいのね。」
「拓馬は昨日も飲んでいたらしいから、それが理由かもしれないぞ。」
佐々木が店員を呼び三人分の飲み物を注文し、肉と簡単なつまみも追加する。
「吉野と江嶋は何か食べる?」
「俺はいい。ちょっと煙草吸ってくる。」
「僕もいいかな。この状態の拓馬が俺にとっては酒の肴になる。」
そういってケタケタ笑う吉野と佐々木を残し、私は店の外にある喫煙所へと向かった。
______________
窓から煙草を吸う拓馬を見ていた。相も変わらず煙草が似合う。
「一緒に吸いに行かなくてよかったのか?」
理由はわかっていたが僕は尋ねる。非喫煙者からすればわからない感覚だが、喫煙所でのコミュニケーションは喫煙者を喫煙者たらしめる大きな理由らしい。
「私はあんたと違って空気が読めるし突拍子もないことはしないのよ。あれは一人にしてくれって意味よ。」
「やっぱりか。」
佐々木と僕の付き合いはすでに4年になる。自分の感情を隠すことに長けている佐々木だが、佐々木が拓馬に好意を寄せていることに僕は高校生の時から気が付いていた。それは春と拓馬が付き合っているときからだ。
佐々木が拓馬と一緒にいるときの姿からは感じることはできないが、春と佐々木が二人でいる姿をみていた佐々木の姿は雄弁だった。
しかし、少しだけ疑問に思う。ありのままにその質問を佐々木へとぶつけた。
「なあ、なんでこのタイミングだったんだ?」
チャンスなら今までいくらでもあった、そしてこれから先に何度も訪れるだろう。熟考は時に浅慮以上に愚かな結果を招く旨のことを先ほど江嶋に言ったが、佐々木は逆に答えを焦っている気がした。
「タイミング、ね。私が江嶋に好ましい返事をもらえる、そんなタイミングがこれから先本当にあると思う?」
答えになっていない答えが返ってきた。明快な回答を得られなかったことに少し苛立ちながらも私は言った。
「ないことはないだろう。人の気持ちなんていつだって変わりうるんだから。」
「へえ、吉野もそんなに優しい嘘がつけるのね。」
それは紛れもなく真実を口にしていたはずだが佐々木にはそうは聞こえなかったらしい。
「嘘に聞こえた?」
「ええ。」
「そうか。」
店員が先ほど注文したメニューを運んできた。空いた皿を重ねて店員へとそれを返した。
「吉野から見て、勝算はどのくらいなの?」
ほんの少しの沈黙を切り裂くように、ひどく弱弱しい声で佐々木が僕に尋ねた。
「それを佐々木は本当に聞きたいのか?」
限りなくゼロに近い。今日の拓馬の話をきいて、拓馬の心に別の女性がいることは明白だ。
しかし僕は、その答えを口にすることができなかった。いつもの僕ならば即答していただろう、それが僕にとっての真実で、それを偽ることは間違っていると思うからだ。しかし目の前にいる佐々木の顔を見て本当のことは言えなかった。それが僕にとって正しくないことだとしても。
目の前の佐々木の顔を見ることができず、テーブルを見つめた。
「それ、もうほとんど答えじゃない。」
こぼれ落ちた雫だけが彼女の表情を表していた。
初めからいなかった佐々木の隣の席、拓馬のいない私の隣の席。
もしかするともう、4人で集まって食事をすることはできないのかもしれない。何でもないようなことをただ話すこともできないのかもしれない。
なるほど、五十嵐先生が言っていたのはこれか。
人と人の関係が風化していく。そんな当たり前の事実を僕は容認できない。
もう一度、四人で笑って話せる日々を。その小さな願いのために僕は懸命に足搔こうと思った。それがきっと僕にとっても、僕らにとっても正しいはずだから。
______________
煙草を吸っても問題は解決しなかった。果たして私はどんな答えを出すべきなのだろうか。席に戻るとウーロン茶が私の席に置かれていた。
「遅かったな拓馬、答えはでたか。」
「いいや、まだ出てない。」
私の顔を見て吉野が笑う。
「人の深刻そうな顔とか絶望した表情とかっていうのはどうしてこうも面白いのか。」
「最低。」
佐々木が吐き捨てるように言った。この男のこういうところは今に始まったことではないが。
「楽しんでもらえて何よりだよ。」
私はそう言いながらウーロン茶を口にした。
話を変えるべく適当な話題を放り込む。
「佐々木はテスト勉強は大丈夫なのか?そろそろだろう?」
「私は今日で全部終わったわ、一足先に夏休み。というか、テストで遅れるって吉野には伝えたんだけど?」
「俺が思うに吉野は連絡というもの全般が苦手なのかもしれない。実社会でこいつが生きていけるのか心配だ。」
「そんなものは僕自身が一番心配しているに決まっているだろう。誰かに助けてほしいくらいだ全くもう。」
「なんだそれ。」
「拓馬が起業して俺を雇うっていうのはどうだろう。」
突拍子もないことを吉野が言い出した。それに対して答えたのは佐々木だった。
「起業したいって大学生っぽいわね。」
「言われてみればそんな気がする。」
私も同意するが、吉野はいい顔をしていない。
「そんなわけのわからない型に僕を勝手にはめないでくれ。なんだか不名誉そうじゃないか?大学生っぽいって言葉は。」
「偏見がひどいな、全国の大学生っぽさを追い求める大学生に謝ったほうがいい。」
「あんな河原でバーベキューするかスノボに行くかしか能のない奴らに謝るなら死んだほうがましだね。」
「それを聞いた全国のイケイケ大学生は激怒した。必ずやかの邪知暴虐の吉野を除かねばならぬ。」
「拓馬は太宰治に謝れ。」
雑談に花を咲かせて、笑いあった。
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